俺様レーサーは冷然たる彼女に愛を乞う
「ご無沙汰してます」
「お帰りなさい。織絵さんなら今、中庭にいますよ」
「ありがとうございます」
昼過ぎに施設に到着した2人。
昼食を終え、午睡している入所者も多く、瑛弦らは挨拶だけ交わして中庭へと向かった。
瑛弦の母親は中庭のベンチに腰掛け、手のひらサイズのラジオから流れてくる音楽を目を閉じて聴いていた。
「私はここで待ってます」
「……ん」
羽禾は親子水入らずの時間を過ごせるように気を利かせて、庭を散策することにした。
瑛弦は母親の隣りに無言で座り、暫し同じ曲を聴き入った。
「あら、こんにちは」
「……こんにちは」
「今日は陽射しが暖かいわね」
「……そうですね」
隣りに瑛弦がいることに気付いた母親が、優しい声音で挨拶をした。
けれど、その言葉から『息子』だとは認識されてないことが分かる。
もう何年も前から『初めまして』『どちらからいらしたの?』『イケメンさんね~』などと口にする母だから、この状況で取り乱すことはない。
「フィナンシェ、お好きですか?」
「えっ?……えぇ、甘い物は何でも好きだけど、フィナンシェは特に好きよ」
「沢山持って来たので、良かったら食べて下さい」
「あら、嬉しいわ。後で戴くわね」
毎年、母親の好物を手土産に帰国している。
けれど、それも本当の理由は違う。
母親の手作りのフィナンシェが、父親の好物だった。
今はもう料理をすることすらなくなってしまったが、大好きだった人との想い出は、まだ微かに残っているらしい。
「また来ます。お体にお気をつけて」
親子らしい会話ができなくても、元気な姿が見れただけで十分。
瑛弦は穏やかな気持ちで遠くから見守る羽禾の元へと。