理科準備室で、二人は。

理科準備室で、二人は。

 母の作ってくれるお弁当はとても彩り豊かだ。でも、それを誰に見せるわけでもなく、自分の席で一人で食べる。それがわたしの日常。
 あーあ、つまんないな。高校生活なんて。
 六月になり、他の女子生徒はほとんどが半袖のブラウスになった。でも、わたしは長袖のまま。
 お弁当を食べ終わり、スマホでもいじって暇を潰そうかと思った時だった。

「高梨さん」

 クラスメイトの男の子に声をかけられた。いつも物静かで、わたしのようにどのグループにも属していない榊くんだった。

「えっ……何?」
「次、理科室でしょ。準備があるから、高梨さんと俺とで手伝いに来てくれって先生が」
「なんで、わたし……?」
「知らないよ。とにかく来て」
「う、うん……」

 榊くんと会話をするのは初めてだった。
 線の細い、華奢な男の子だ。顔立ちはくっきりしていてモデルさんみたいだけど、笑っているところなんて見たことがないし、いわゆる――陰キャだった。
 理科室に繋がる形で理科準備室があって、わたしはそこに初めて入った。手伝い、ということだから、先生が待っているのかな、と思っていたのだけど、そこには誰もいなかった。

「榊くん、何すればいいの?」
「手伝いは嘘。腕、見せて」
「えっ……」

 そんなことできない。これは、わたしだけの「秘密」だ。

「い、嫌だよ……」
「じゃあ俺から見せるから。はい」

 榊くんも長袖を着ていた。右の袖のボタンを外し、一気に腕をさらした。

「あっ……えっと……」
「そういうこと。高梨さんもでしょ?」
「うん……」

 観念したわたしは右腕を見せた。
 二人とも同じ。何本も走ったカッターの痕。

「榊くんはなんで気付いたの……」
「うちの女子の制服、長袖はダサいって風潮じゃん。この時期になっても着てるから、きっとそうだろうと思って」
「そ、そっかぁ……」
「まあ、俺も秘密見せたし、誰にも言わないよ。LINE交換しない?」
「いいよ……」

 その日はそれだけのやり取りで終わった。



 それから、三日後。お風呂に入って、寝ようかな、スマホのゲームでもしようかな、とベッドの上で寝転んでいる時だった。
 榊くんから、LINEで画像だけが送られてきた。

「えっ……」

 それは、「やった」ばかりの腕の画像だった。

『榊くん大丈夫?』
『大丈夫。今はスッキリしてる』
『なんで送ってきたの?』
『高梨さんにしか見せられないから』

 それが始まりで。お互い、「やった」後には画像を送ることがお決まりになってきた。
 でも、それだけ。わたしと榊くんは、クラスでは直接話すこともないし、LINEで他の話題に触れることもなかった。
 たまに、やり取りを見返しては、手の中にある二人の「秘密」がどんどん重くなっていったのを感じた。
 わたしは言わない。なぜこんなことをするのかを。榊くんも言わない。何を抱えているのかを。



 七月の期末テストが終わり、終業式の日。さっさと帰ろうと荷物をまとめていると、榊くんに声をかけられた。

「理科準備室」
「あっ、うん……」

 ここに来るのはあの日以来だ。今度は何だろう、とわたしは身構えた。

「高梨さん。腕、触らせてよ。俺のも触っていいから」
「なんで……?」
「いいから」

 気迫に負けて、袖をめくった。榊くんの細い人差し指が線をなぞった。少し、くすぐったい。

「次、高梨さんいいよ」
「うん……」

 幾重にも刻まれた線はわたしよりも多かった。ざらついた感触が生々しくて、わたしはすぐに指を離した。

「えっと、榊くん、その……」
「先帰りなよ。俺はこれで満足」
「あっ、うん、そっか」

 逃げるようにその場を立ち去った。



 夏休みの間、榊くんから送られてくることがなかったので、わたしも何もしなかった。
 それを後悔したのは、始業式の後のホームルームの時だった。担任の先生が言った。

「えー、榊くんですが、ご家庭の事情で夏休みの間に転校しまして……」

 ――転校? もう会えないの? 終業式の日は、お別れだったの?

 下校してすぐに、わたしは榊くんにLINEを送った。

『転校したって聞いてびっくりした』
『どうして何も言ってくれなかったの?』
『何があったの?』

 いつまでもつかない既読。わたしは電話をかけたけど、虚しくコール音が鳴るだけで。もしやと思って、絶対に榊くんが持っていない変なスタンプを贈ろうとしたら、それもダメで。

 ――ああ、ブロックだ。ブロックされてる。

 わたしは今までの画像を全て見直した後、そっと榊くんの連絡先を削除した。

 ――今、今気付いた。これは、失恋だ。

 わたしは、君のことが、好きだったんだ。
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