私がもう一人いる!
放課後の教室。クラスメイトたちは下校や部活、委員会活動でみんないなくなり、私は教室で一人、ボーっとしていた。ここ数日は趣味の読書にも集中出来なくて、ずっと彩香と私のことばかりを考えている。私と彩香が何者なのかを、ずっと考え続けている。
「神藤さん。まだ残っていたのですか?」
「先生」
一人だけだった教室に姿を現したのは、担任教師の樹林寺人力先生だった。廊下を通った時に、私を見かけたようだ。
「何か悩みごとですか? 最近どこか落ち着かない様子でしたが」
「私、そんなに分かりやすかったですか?」
「読書家が本を読まなくなれば、それなりに目立ちますよ」
「そういえば、最近あまり本を読んでなかったな」
「これでも担任教師です。何か悩みがあるのなら、話ぐらいは聞きますよ。話を聞くことしか出来ませんが」
樹林寺先生はどちらかというと、たんたんと仕事をこなすだけの先生だと思っていたから、こうやって生徒の感情の変化に気づき、気にかけてくれたことは少し意外だった。先生は理科の教師でもある。話し相手にはピッタリかもしれない。もちろん、私の抱えている事情を全て打ち明けるわけにはいかないけれど。
「最近読んだSF小説のお話なんですけど、登場人物がどうしてそういう行動を取ったの。感情が理解できないシーンがあって」
私は小説の中のお話ということにして、ずっと離れ離れだった兄弟が再会したのに、何か事情を知っていそうな片方は再会は喜ばず、うっかり「クローン」という言葉を発してしまった。その父親は遺伝子の研究者である。という話を先生に聞かせた。
「なるほど。それは確かに意味深だ。双子の兄弟ではなく、実はどちらかがクローンであるという可能性がありますね。それならば、真実を知る側が再会を喜ばず、もう一人をすぐに帰らせるような真似をしたのは納得がいきます。例え本心では再会を喜んでいたとしても、そうしなくてはいけなかったのでしょうね」
「どういう意味ですか?」
「少し難しいお話になってしまいますが、私なりの考えをお聞かせしましょう。神藤さんが読んだ物語の世界の法律がどうなっているかは分かりませんが、現実では各国がクローン人間を作ることを禁止していますし、日本でも人間のクローンに関する技術を規制する法律が存在します。法律の問題以外にも、倫理的な問題もあります。技術的には可能でも、道徳的にそれが許されるのかということですね。いずれにせよ、クローン人間が存在していて、それが世間にバレてしまったら、本人の意志とは関係なく、大きな注目を浴びてしまうことは避けられないでしょう」
緊張で唾をゴクリと飲み込む。その音がいつもよりも大きく感じられた。私自身、クローンと聞いても同じ姿をした存在ぐらいにしか考えていなかったけど、そこまで大きな問題を秘めているなんて……。
「もしも自分がクローンだという自覚があるのならば、自分と同じ姿をした存在と一緒にいるところを誰かに見られるのは大きなリスクです。だからこそ、突き放すような態度を取ってでも、もう一人の自分を遠ざけようとしたのかもしれません。自分はもちろん、もう一人の自分も守るためにね」
『……幸せでいてね。もう一人の私』
別れ際の彩香の言葉がよみがえる。彩香は全てを知っていた。その上で、私の幸せも願ってくれた。それなのに私は、何も知らなかったとはいえ、無神経に彩香の前へと現れてしまった。だとしたら私は大バカ者だ……。
「それぞれ父と母の元へと引き取られ、離れ離れとなったのも、やはり同じ理由でしょう。リスクを考えれば双子として一緒に育てるよりも、それぞれの子として遠く離れて育てた方が安全だと、ご両親は考えたのかもしれません」
お父さんはもちろん、お母さんも全てを知っている。そうでなければお父さんはあんな手紙をお母さんに送りはしないだろう。そうなると自然と、私が最初に抱いた疑問も、私たち姉妹の秘密に繋がっているような気がしてならない。
「先生はもしも知り合いにクローンがいたとして、その人が写真に写ることをどう思う?」
「私が事情を知っている側の人間ならば、その知り合いのためを思い、写真には写らない方がいいと注意するでしょうね。写真として記録に残れば、自分の知らないところで、同じ姿をした人間がいるとバレてしまう可能性がありますから。昔ならまだしも、SNSが一般化している現代であればなおさらでしょう」
ああ、やっぱりそういうことだったんだ。お母さんが私に何度も言いつけてきた、写真には写るなというルール。あれも私や彩香を守るためだったんだ。だけどそれなら……ひょっとして私は……。
「先生は私が話したSF小説に登場する二人の、どちらがクローンだと思う?」
「はっきりとしていないのなら、決める必要なんてないのかもしれませんよ。世の中には知らない方が幸せなこともありますから」
先生の発した彩香と同じような表現に、思わず背筋がゾッとした。知らない方が幸せなこともある。彩香は全てを知っているはずだけど、だからといって彩香の方がクローンとは限らない。私が、神藤文香が茅原彩香のクローンという可能性だってありえなくはないのだ。
「小説の中のお話とはいえ、その兄弟には平穏な人生を歩んでほしいですね」
先生は自分の考えを、そう締めくくった。
「神藤さん。まだ残っていたのですか?」
「先生」
一人だけだった教室に姿を現したのは、担任教師の樹林寺人力先生だった。廊下を通った時に、私を見かけたようだ。
「何か悩みごとですか? 最近どこか落ち着かない様子でしたが」
「私、そんなに分かりやすかったですか?」
「読書家が本を読まなくなれば、それなりに目立ちますよ」
「そういえば、最近あまり本を読んでなかったな」
「これでも担任教師です。何か悩みがあるのなら、話ぐらいは聞きますよ。話を聞くことしか出来ませんが」
樹林寺先生はどちらかというと、たんたんと仕事をこなすだけの先生だと思っていたから、こうやって生徒の感情の変化に気づき、気にかけてくれたことは少し意外だった。先生は理科の教師でもある。話し相手にはピッタリかもしれない。もちろん、私の抱えている事情を全て打ち明けるわけにはいかないけれど。
「最近読んだSF小説のお話なんですけど、登場人物がどうしてそういう行動を取ったの。感情が理解できないシーンがあって」
私は小説の中のお話ということにして、ずっと離れ離れだった兄弟が再会したのに、何か事情を知っていそうな片方は再会は喜ばず、うっかり「クローン」という言葉を発してしまった。その父親は遺伝子の研究者である。という話を先生に聞かせた。
「なるほど。それは確かに意味深だ。双子の兄弟ではなく、実はどちらかがクローンであるという可能性がありますね。それならば、真実を知る側が再会を喜ばず、もう一人をすぐに帰らせるような真似をしたのは納得がいきます。例え本心では再会を喜んでいたとしても、そうしなくてはいけなかったのでしょうね」
「どういう意味ですか?」
「少し難しいお話になってしまいますが、私なりの考えをお聞かせしましょう。神藤さんが読んだ物語の世界の法律がどうなっているかは分かりませんが、現実では各国がクローン人間を作ることを禁止していますし、日本でも人間のクローンに関する技術を規制する法律が存在します。法律の問題以外にも、倫理的な問題もあります。技術的には可能でも、道徳的にそれが許されるのかということですね。いずれにせよ、クローン人間が存在していて、それが世間にバレてしまったら、本人の意志とは関係なく、大きな注目を浴びてしまうことは避けられないでしょう」
緊張で唾をゴクリと飲み込む。その音がいつもよりも大きく感じられた。私自身、クローンと聞いても同じ姿をした存在ぐらいにしか考えていなかったけど、そこまで大きな問題を秘めているなんて……。
「もしも自分がクローンだという自覚があるのならば、自分と同じ姿をした存在と一緒にいるところを誰かに見られるのは大きなリスクです。だからこそ、突き放すような態度を取ってでも、もう一人の自分を遠ざけようとしたのかもしれません。自分はもちろん、もう一人の自分も守るためにね」
『……幸せでいてね。もう一人の私』
別れ際の彩香の言葉がよみがえる。彩香は全てを知っていた。その上で、私の幸せも願ってくれた。それなのに私は、何も知らなかったとはいえ、無神経に彩香の前へと現れてしまった。だとしたら私は大バカ者だ……。
「それぞれ父と母の元へと引き取られ、離れ離れとなったのも、やはり同じ理由でしょう。リスクを考えれば双子として一緒に育てるよりも、それぞれの子として遠く離れて育てた方が安全だと、ご両親は考えたのかもしれません」
お父さんはもちろん、お母さんも全てを知っている。そうでなければお父さんはあんな手紙をお母さんに送りはしないだろう。そうなると自然と、私が最初に抱いた疑問も、私たち姉妹の秘密に繋がっているような気がしてならない。
「先生はもしも知り合いにクローンがいたとして、その人が写真に写ることをどう思う?」
「私が事情を知っている側の人間ならば、その知り合いのためを思い、写真には写らない方がいいと注意するでしょうね。写真として記録に残れば、自分の知らないところで、同じ姿をした人間がいるとバレてしまう可能性がありますから。昔ならまだしも、SNSが一般化している現代であればなおさらでしょう」
ああ、やっぱりそういうことだったんだ。お母さんが私に何度も言いつけてきた、写真には写るなというルール。あれも私や彩香を守るためだったんだ。だけどそれなら……ひょっとして私は……。
「先生は私が話したSF小説に登場する二人の、どちらがクローンだと思う?」
「はっきりとしていないのなら、決める必要なんてないのかもしれませんよ。世の中には知らない方が幸せなこともありますから」
先生の発した彩香と同じような表現に、思わず背筋がゾッとした。知らない方が幸せなこともある。彩香は全てを知っているはずだけど、だからといって彩香の方がクローンとは限らない。私が、神藤文香が茅原彩香のクローンという可能性だってありえなくはないのだ。
「小説の中のお話とはいえ、その兄弟には平穏な人生を歩んでほしいですね」
先生は自分の考えを、そう締めくくった。