私がもう一人いる!
「昼休みに姿が見えなかったけど、どこか行ってたの?」
夕方。学校が終わった水方和美は家に帰る途中、周りに誰もいないタイミングで私に質問した。
「理科室で樹林寺先生とお話ししてた。あなたも樹林寺先生のことは知ってるでしょう?」
「もちろん。矢的麻耶の担任の先生だもの」
「水方和美の担任の先生でもあったんでしょう?」
「……あなた、どうしてその名前を」
私が水方和美の名前を知っていることに驚いた和美は足を止め、不安そうに眼を細めた。それは、私の体を乗っ取って以来、ずっと軽い調子だった和美が初めて見せた弱気な姿だった。
「樹林寺先生には特殊な力があって、幽霊状態の私や、私の体の中にいる和美にも気づいてる。あなたが樹林寺先生が前に勤務していた学校の生徒だったことや……事故のことも聞いたよ」
和美は余裕を失い、混乱したような表情でこちらを見つめている。たぶん、樹林寺先生が特殊な能力を持っていることは知らなかったのだろう。知っていたら、私が樹林寺先生から事情を聞かされる可能性は考えていたはずだ。
「……事故のことを知っているなら、私にこの体をちょうだいよ」
その場にしゃがみ込み、和美は顔を膝につけた。弱弱しくて、今にも泣き出しそうな声。無邪気さの向こうに隠れていた和美の本音を、やっと聞けたような気がする。
「その体は私の、矢的麻耶のものだよ。和美にあげることは出来ない」
「……嫌よ。絶対にこの体を離さないから! 事故で死んだ私には居場所がない。幽霊のままこの世界をさまよい続けるのはもう嫌なの!」
「和美はまだ死んでない!」
私は樹林寺先生から伝えられた事実の全てを和美に打ち明けることにした。始めは私の体を乗っ取った悪い幽霊だとばかり思っていたけど、事情を知った今は、彼女の力になってあげたいと、心からそう願っている。
「う、嘘だよ……」
「嘘じゃない。樹林寺先生が教えてくれた。水方和美は確かに車の事故に遭って怪我をしたけど、幸いにも一命を取り留めた。だけど怪我も治って脳に異常も無いのに、今も意識を取りも出さないまま眠り続けてるんだって。和美はまだ死んでなんかいない。事故のショックで幽体離脱をして、魂と体が離れ離れになっているだけ」
「し、信じない……私から体を取り戻すための作り話でしょう?」
「なら聞くけど、自分がもう死んでいると和美は証明出来るの? 幽霊だからって理由は通用しないよ。私だって生きたまま幽体離脱をしているんだから」
「それは……」
「幽体離脱して以来、病院や自分の家に、一度も行かなかったんじゃない?」
和美は無言で頷いた。たぶん、和美も心の中では自分が生きている可能性に気づいていたんだと思う。だけど、それを確かめられなかった気持ちも理解出来る。
「本当はまだ死んでいないのかもしれない。だけどそれを確かめるのは怖いよね。死んでいる可能性だってゼロじゃないんだから。勇気が出なかったからといって、私は和美を責められない。私は命に関わるような怪我をしたことはないけど、幽体離脱をして存在が不安定になる不安は分かってあげられるつもりだよ」
「麻耶……」
和美が初めて、私のことを名前で呼んでくれた。涙で目が赤くなっているけど、表情が少し優しくなっている。少しは和美の心に寄り添うことができたのかな。
「一人なら怖いかもしれない。だけど今は私が側にいる。和美の入院している病院に行こう? 元の体に戻ろう」
「本当に一緒にいてくれるの? だって私は麻耶の体を勝手に乗っ取ったんだよね?」
「言ったでしょう。不安は分かってあげられるつもりだって。自分の体に戻れれば私はそれで満足。ゴタゴタはそこで終わりにして、また一から始めよう」
「一から? どういう意味?」
「和美が目覚めたら、私たち友達になろうよ。私は目覚めた和美の側にいるから」
「目が覚めたら麻耶がいるのか。元の体に戻るのが楽しみになったかも」
この話題を始めてから、和美が初めて笑顔を見せた。直接触れることは出来ないけど、私たちは友情の証に、お互いの両手を重ねた。
「まだ面会時間には間に合う。行こう」
「うん」
私が先頭を行き、二人で和美の入院する病院へと向かった。
「……たった一日なのに、何だか久しぶりな気がする」
和美が入院する病室の椅子の上で、私は十数時間ぶりに自分の体へと戻った。魂と体がなじむまでの時間なのか、一分ぐらい意識が無かったような気がする。
勢いが大事だからと言って、和美は私の体から離れると同時に、病室のベッドで眠る自分の体へと飛び込んだ。彼女もじきに目覚めるはずだ。
「和美?」
椅子から立ち上がり、ベッドで眠る和美の顔を覗き込む。長い黒髪と右の目元のほくろが印象的な水方和美。こうして顔を見るのは初めてだけど、初対面ではない。何だか不思議な感覚だ。
「……恥ずかしいから、あまりじろじろ見ないでよ」
「か、和美!」
眠っていた和美の目がゆっくりと開き、続けて口に笑みを浮かべた。
「もしかして、起きてた?」
「うん。和美が目を覚ますよりも前に。幽体離脱の経験の差かな」
「それ、全然誇れることじゃないってば」
お互いに思わず笑いが零れた。それぞれが自分の体で笑い合える。目を覚ました時以上に、自分の体に魂が戻ったのだと実感できた気がする。
「生身では初めまして。今日からよろしくね、水方和美」
「こちらこそ、矢的麻耶」
この日、私に親友が出来た。
※※※
和美が意識を取り戻してから二週間後。私は昼休みに、理科室の樹林寺先生を訪ねていた。
「矢的さんは元の体に戻ることができて、水方さんも意識を取り戻した。めでたしめでたしですね」
「先生もありがとう。先生がいなければ今頃どうなっていたことか」
「私はただ、知っていることを伝えただけです。水方さんを救ったのは矢的さん自身ですよ」
そう言われると、少し照れくさかった。だけど一つだけ、気になっていることもある。
「先生、一つ聞いてもいい?」
「何でしょうか」
「無事に解決したから良いけど、例えば先生が和美を説得したりするのは駄目だったの?」
樹林寺先生は幽霊を見ることが出来るし、和美の元担任でもある。今回の出来事は先生にも解決することは出来たような気がする。
「確かに、私が水方さんに事情を説明することも出来たでしょうが、それが解決に繋がるとは限りません。同じく幽体離脱を経験した、同年代の相手である矢的さんだからこそ水方さんの心を動かすことが出来たのだと思います。運命と言い換えてもいいかもしれません」
「運命?」
「矢的さんにはあれ以来、幽体離脱は起きていますか?」
「そういえば、一度も無いかな」
「矢的さんが原因不明の幽体離脱を経験し、その間に水方さんの魂が矢的さんの体へと入った。実に運命的だとは思いませんか? だとすれば、水方さんの問題を解決出来る運命の人は、矢的さんを置いて他にはいません。もちろん、偶然と言ってしまえばそれまでですが、運命という言葉の方が響きが良いでしょう?」
「確かにそうかもしれないね。和美との出会いは偶然じゃなくて運命。その方が私も嬉しい」
大変な思いはしたけど、和美を救うために必要なことだったと思えば、あの幽体離脱も良い思い出だと感じられるような気がする。
「先生はあれから和美とは?」
「お見舞いに伺い、ご両親ともお話をしてきました。リハビリも頑張っていて、予定よりも早く退院できそうですね。そういう矢的さんは水方さんとは?」
「毎日連絡を取り合ってるよ。退院したら一緒に遊びに行こうって、今から二人で計画を立ててるんだ」
「良き友人になれましたね」
「うん。魂で通じ合った仲だもの」
私は先生に笑顔でピースサインをした。
心の友という言葉はよく聞くけど、私と和美はそれ以上。魂で通じ合った魂の友だ。
和美との出会いは、私にとって一生の宝物だ。
了
夕方。学校が終わった水方和美は家に帰る途中、周りに誰もいないタイミングで私に質問した。
「理科室で樹林寺先生とお話ししてた。あなたも樹林寺先生のことは知ってるでしょう?」
「もちろん。矢的麻耶の担任の先生だもの」
「水方和美の担任の先生でもあったんでしょう?」
「……あなた、どうしてその名前を」
私が水方和美の名前を知っていることに驚いた和美は足を止め、不安そうに眼を細めた。それは、私の体を乗っ取って以来、ずっと軽い調子だった和美が初めて見せた弱気な姿だった。
「樹林寺先生には特殊な力があって、幽霊状態の私や、私の体の中にいる和美にも気づいてる。あなたが樹林寺先生が前に勤務していた学校の生徒だったことや……事故のことも聞いたよ」
和美は余裕を失い、混乱したような表情でこちらを見つめている。たぶん、樹林寺先生が特殊な能力を持っていることは知らなかったのだろう。知っていたら、私が樹林寺先生から事情を聞かされる可能性は考えていたはずだ。
「……事故のことを知っているなら、私にこの体をちょうだいよ」
その場にしゃがみ込み、和美は顔を膝につけた。弱弱しくて、今にも泣き出しそうな声。無邪気さの向こうに隠れていた和美の本音を、やっと聞けたような気がする。
「その体は私の、矢的麻耶のものだよ。和美にあげることは出来ない」
「……嫌よ。絶対にこの体を離さないから! 事故で死んだ私には居場所がない。幽霊のままこの世界をさまよい続けるのはもう嫌なの!」
「和美はまだ死んでない!」
私は樹林寺先生から伝えられた事実の全てを和美に打ち明けることにした。始めは私の体を乗っ取った悪い幽霊だとばかり思っていたけど、事情を知った今は、彼女の力になってあげたいと、心からそう願っている。
「う、嘘だよ……」
「嘘じゃない。樹林寺先生が教えてくれた。水方和美は確かに車の事故に遭って怪我をしたけど、幸いにも一命を取り留めた。だけど怪我も治って脳に異常も無いのに、今も意識を取りも出さないまま眠り続けてるんだって。和美はまだ死んでなんかいない。事故のショックで幽体離脱をして、魂と体が離れ離れになっているだけ」
「し、信じない……私から体を取り戻すための作り話でしょう?」
「なら聞くけど、自分がもう死んでいると和美は証明出来るの? 幽霊だからって理由は通用しないよ。私だって生きたまま幽体離脱をしているんだから」
「それは……」
「幽体離脱して以来、病院や自分の家に、一度も行かなかったんじゃない?」
和美は無言で頷いた。たぶん、和美も心の中では自分が生きている可能性に気づいていたんだと思う。だけど、それを確かめられなかった気持ちも理解出来る。
「本当はまだ死んでいないのかもしれない。だけどそれを確かめるのは怖いよね。死んでいる可能性だってゼロじゃないんだから。勇気が出なかったからといって、私は和美を責められない。私は命に関わるような怪我をしたことはないけど、幽体離脱をして存在が不安定になる不安は分かってあげられるつもりだよ」
「麻耶……」
和美が初めて、私のことを名前で呼んでくれた。涙で目が赤くなっているけど、表情が少し優しくなっている。少しは和美の心に寄り添うことができたのかな。
「一人なら怖いかもしれない。だけど今は私が側にいる。和美の入院している病院に行こう? 元の体に戻ろう」
「本当に一緒にいてくれるの? だって私は麻耶の体を勝手に乗っ取ったんだよね?」
「言ったでしょう。不安は分かってあげられるつもりだって。自分の体に戻れれば私はそれで満足。ゴタゴタはそこで終わりにして、また一から始めよう」
「一から? どういう意味?」
「和美が目覚めたら、私たち友達になろうよ。私は目覚めた和美の側にいるから」
「目が覚めたら麻耶がいるのか。元の体に戻るのが楽しみになったかも」
この話題を始めてから、和美が初めて笑顔を見せた。直接触れることは出来ないけど、私たちは友情の証に、お互いの両手を重ねた。
「まだ面会時間には間に合う。行こう」
「うん」
私が先頭を行き、二人で和美の入院する病院へと向かった。
「……たった一日なのに、何だか久しぶりな気がする」
和美が入院する病室の椅子の上で、私は十数時間ぶりに自分の体へと戻った。魂と体がなじむまでの時間なのか、一分ぐらい意識が無かったような気がする。
勢いが大事だからと言って、和美は私の体から離れると同時に、病室のベッドで眠る自分の体へと飛び込んだ。彼女もじきに目覚めるはずだ。
「和美?」
椅子から立ち上がり、ベッドで眠る和美の顔を覗き込む。長い黒髪と右の目元のほくろが印象的な水方和美。こうして顔を見るのは初めてだけど、初対面ではない。何だか不思議な感覚だ。
「……恥ずかしいから、あまりじろじろ見ないでよ」
「か、和美!」
眠っていた和美の目がゆっくりと開き、続けて口に笑みを浮かべた。
「もしかして、起きてた?」
「うん。和美が目を覚ますよりも前に。幽体離脱の経験の差かな」
「それ、全然誇れることじゃないってば」
お互いに思わず笑いが零れた。それぞれが自分の体で笑い合える。目を覚ました時以上に、自分の体に魂が戻ったのだと実感できた気がする。
「生身では初めまして。今日からよろしくね、水方和美」
「こちらこそ、矢的麻耶」
この日、私に親友が出来た。
※※※
和美が意識を取り戻してから二週間後。私は昼休みに、理科室の樹林寺先生を訪ねていた。
「矢的さんは元の体に戻ることができて、水方さんも意識を取り戻した。めでたしめでたしですね」
「先生もありがとう。先生がいなければ今頃どうなっていたことか」
「私はただ、知っていることを伝えただけです。水方さんを救ったのは矢的さん自身ですよ」
そう言われると、少し照れくさかった。だけど一つだけ、気になっていることもある。
「先生、一つ聞いてもいい?」
「何でしょうか」
「無事に解決したから良いけど、例えば先生が和美を説得したりするのは駄目だったの?」
樹林寺先生は幽霊を見ることが出来るし、和美の元担任でもある。今回の出来事は先生にも解決することは出来たような気がする。
「確かに、私が水方さんに事情を説明することも出来たでしょうが、それが解決に繋がるとは限りません。同じく幽体離脱を経験した、同年代の相手である矢的さんだからこそ水方さんの心を動かすことが出来たのだと思います。運命と言い換えてもいいかもしれません」
「運命?」
「矢的さんにはあれ以来、幽体離脱は起きていますか?」
「そういえば、一度も無いかな」
「矢的さんが原因不明の幽体離脱を経験し、その間に水方さんの魂が矢的さんの体へと入った。実に運命的だとは思いませんか? だとすれば、水方さんの問題を解決出来る運命の人は、矢的さんを置いて他にはいません。もちろん、偶然と言ってしまえばそれまでですが、運命という言葉の方が響きが良いでしょう?」
「確かにそうかもしれないね。和美との出会いは偶然じゃなくて運命。その方が私も嬉しい」
大変な思いはしたけど、和美を救うために必要なことだったと思えば、あの幽体離脱も良い思い出だと感じられるような気がする。
「先生はあれから和美とは?」
「お見舞いに伺い、ご両親ともお話をしてきました。リハビリも頑張っていて、予定よりも早く退院できそうですね。そういう矢的さんは水方さんとは?」
「毎日連絡を取り合ってるよ。退院したら一緒に遊びに行こうって、今から二人で計画を立ててるんだ」
「良き友人になれましたね」
「うん。魂で通じ合った仲だもの」
私は先生に笑顔でピースサインをした。
心の友という言葉はよく聞くけど、私と和美はそれ以上。魂で通じ合った魂の友だ。
和美との出会いは、私にとって一生の宝物だ。
了