私がもう一人いる!
樹林寺先生は早くお家に帰りなさいと言っていたけど、今家に帰ったら偽物の私と出くわしてしまう。帰る勇気が出なくて、私はまだ公園のベンチにいた。もうすぐで完全に日が落ちそうだ。
「先生、戻ってきてくれたの?」
再び上から影が差した。樹林寺先生が心配して戻ってきてくれたのだと思って、安心して顔を上げると。
「やっほー。マリナ」
鏡で見慣れたその顔に、一気に血の気が引いた。
「あなた、私の偽物ね?」
顔やスタイル、着ている服はもちろん、髪形やほくろの位置、メイクの特徴。何から何まで私そのものだ。
「偽物は心外だな。私は成町マリナだよ」
「違う。成町マリナは私よ」
「私も成町マリナ。あなたも成町マリナ。偽物も本物もない。それでいいじゃない」
「良くない。私は最初から存在していた成町マリナで、あんたは後から突然現れた偽物よ」
「欲張りだね。どうして成町マリナが一人であることにこだわるの?」
「欲張りなのはあんたでしょう。私の生活を乗っ取ろうとして」
「成町マリナが成町マリナの生活を送ってどこが悪いの?」
「あんたは成町マリナじゃない!」
「私は成町マリナだよ。パパもママも私をマリナと呼んでくれる。寧音は私と笑顔で手を繋いでくれる。牧人は私と楽しくデートをしてくれる。私が成町マリナでないなら何なのさ」
「お前……」
両親や寧音はもちろんだけど、私の知らない牧人を知っていることが、何よりも許せなかった。感情的に頬を叩きそうになったけど、直前で手が止まった。
「叩けるわけないよね。これは成町マリナの顔だもの。成町マリナの顔が傷つくのは成町マリナは絶対に嫌だから」
「……何で手が止まるのよ」
絶対に叩ける勢いで手を出した感覚はあった。それなのに急ブレーキがかかる。お前が成町マリナだなんて、絶対に認められないはずなのに。
「私は、成町マリナは周りの人達に愛されている。あなたの方こそ私の偽物なんじゃないの?」
「そんなわけ!」
「さっき家の前にいたよね。あんなに楽しそうなパパとママなんて久しぶりに見たでしょう? あなたが偽物のことで突っかかるから、最近寧音とは変な空気になってたけど、私がしっかりと仲直りして友情はより強固になった。牧人とはもう、あなた以上に心を通わせている。成町マリナの世界はこんなにも良く回っているんだよ。あなたの存在こそが不要だとは思わない?」
「黙って! 本物は私だ! 偽物はこの世界から消えて!」
私は感情的に叫んだが、偽物は冷たく笑った。
「そうだね。それじゃあ、消えなよ」
「えっ?」
突然、体が異常に軽くなったような感覚がした。違う、軽くなったどころの話じゃない。まるで体そのものが無くなってしまったかのような虚無感。恐る恐る自分の両手を見てみると。
「何よこれ……」
両手が透けて、その向こう側にいる偽物と目が合う。足に視線を落とすと、足もスニーカーごと透けていて、公園のタイルの地面が見えている。私の体全体が透けている。存在感が失われていく。私という存在が消えていく。
「この世界は私こそが本物の成町マリナだと定義した。だから偽物のあんたは消える。ただそれだけの話だよ」
「……どうして、本物は私なのに……」
「あなたは私を叩けなかった。より輝いて見える私の方こそ本物なのではと、自分が本物だって自覚を一瞬でも忘れてしまったんだよ。どっちが最初から存在していたかなんて関係ない。本物か偽物かの定義なんて、自分の気持ち一つなんだから」
「先生が言っていたのはこういう……」
自分が本物である自覚があれば大丈夫だと樹林寺先生は言っていた。今になってその意味を理解した。この世界はもう、私を成町マリナの偽物だと判断し、消しにかかっているんだ。
「消えるなんて嫌……」
「成町マリナは消えないよ。何も変わらない。むしろ私の方がもっと魅力的かもしれない。世界はいつだって平和だよ」
偽物の言う通りだ。確かに世界という大きな目線で見れば、成町マリナは消えてなんていないのかもしれない。だけどそんなのってあんまりだよ。本物は私。私こそが成町マリナなのに……。
「助けて……牧人……」
世界は姿だけではなく、私から声も奪おうとしている。もうこの声も……どこにも……届かない……。
「何だ。今度は間違えないんだ――」
偽物が小さい声で何か言ったような気がしたけど、それを大きな声がかき消した。
「マリナ!」
叫ぶ牧人の声が聞こえたような気がした。これが死ぬ前に見る走馬灯というやつなのかな? 牧人の声を聞きながら消えていくのなら悪くは……。
「しっかりしてマリナ」
強く手を握られるような感覚を右手に覚えた。それをきっかけに、消えかかっていた体の感覚が戻ってきた。自分の体にしっかりと重さを感じる。両足がしっかりと地面についている感覚がある。耳がしっかりと風が木々を揺らす音や、公園の近くを通る車の音をとらえている。実体を取り戻した右手に、別の誰かの温もりを感じる。
「大丈夫、マリナ」
いつの間にか閉じていた目を開けると、私の目の前に立っていたのは偽物の私ではなく、心配そうに私の右手を握る牧人だった。
「あれ、牧人? 偽物の私は」
「に、偽物? それよりも大丈夫? 顔色が悪いよ」
「牧人。怖かった……怖かったよ!」
「マ、マリナ。落ち着いて」
ああ、私は消えないですんだんだ。最初は何が起きたのか理解出来なかったけど、牧人の顔を見た瞬間、消えずにすんだんだという実感が湧いてきて、気づいた時には大粒の涙が溢れ出していた。牧人は私を近くのベンチに座らせて、気持ちが落ち着くまで、優しく私の肩を抱いてくれた。
「少しは落ち着いた?」
「うん。ありがとう」
これだけたくさん泣けたことも、私がまだこの世界に存在していることの証明だ。たくさん泣けたことで、少しだけ頭の中がスッキリした。同時に疑問を思い浮かべる余裕が生まれる。
「そういえば牧人。どうしてここに?」
「急に樹林寺先生から電話がかかってきたんだよ。公園で成町さんが困っているから助けてあげなさいって。突然のことでビックリしたけど、マリナのピンチと聞いて慌てて駈けつけて。そしたらマリナの姿が何だか透けて見えたような? 夕方で薄暗かったし、あれは見間違いだったのかな」
「今度は私を見失わないでくれたんだね」
「私を? そういえばもう一人誰かいたような。あれも見間違いか?」
本人は無自覚みたいだけど、牧人は私のヒーローだ。偽物の私と言い争って、一度自分の存在が消えかけた今なら何となく理解出来る。一度は自分が本物なのか自信が持てなくて存在が消えかかってしまったけど、牧人が私の名前を呼んでくれたことで、私は辛うじて意識をこの世界に繋ぎ止め、牧人が手を握ってくれたことで私は自分の存在を再認識し、一気に自分を取り戻すことが出来た。牧人の存在が私が本物の成町マリナであるという自覚を取り戻させてくれたんだ。その結果、偽物の私の方が世界から消えてしまった。たぶん、そういうことなんだと思う。
「後で、樹林寺先生にもお礼を言わないと」
樹林寺先生は去り際に、「誰があなたを本物だと認めてくれたから一番嬉しいですか?」と私に聞いてきた。私が一番存在に気づいてほしい牧人を、先生はこの公園へと呼んでくれた。それが無ければ私はきっと、今頃この世界には存在していない。
今回の出来事で、自分を支えてくれる人たちの大切さが理解出来た。パパやママや寧音、そして牧人との絆を、これからはもっと大切にしていこうと思う。もしもまた私の偽物が現れても誰も惑わされないように。
「ねえ、牧人。今日うちはバーベキューなんだけど、もしよかったら今から食べに来ない?」
「お誘いは嬉しいけど、急だしご迷惑じゃ」
「駄目。今日は牧人と一緒にご飯が食べたいの」
「分かったよ。ちょっと緊張するけど」
私はベンチから立ち上がり、牧人の手を取った。
私を見つけてくれてありがとう。大好きだよ、牧人!
「先生、戻ってきてくれたの?」
再び上から影が差した。樹林寺先生が心配して戻ってきてくれたのだと思って、安心して顔を上げると。
「やっほー。マリナ」
鏡で見慣れたその顔に、一気に血の気が引いた。
「あなた、私の偽物ね?」
顔やスタイル、着ている服はもちろん、髪形やほくろの位置、メイクの特徴。何から何まで私そのものだ。
「偽物は心外だな。私は成町マリナだよ」
「違う。成町マリナは私よ」
「私も成町マリナ。あなたも成町マリナ。偽物も本物もない。それでいいじゃない」
「良くない。私は最初から存在していた成町マリナで、あんたは後から突然現れた偽物よ」
「欲張りだね。どうして成町マリナが一人であることにこだわるの?」
「欲張りなのはあんたでしょう。私の生活を乗っ取ろうとして」
「成町マリナが成町マリナの生活を送ってどこが悪いの?」
「あんたは成町マリナじゃない!」
「私は成町マリナだよ。パパもママも私をマリナと呼んでくれる。寧音は私と笑顔で手を繋いでくれる。牧人は私と楽しくデートをしてくれる。私が成町マリナでないなら何なのさ」
「お前……」
両親や寧音はもちろんだけど、私の知らない牧人を知っていることが、何よりも許せなかった。感情的に頬を叩きそうになったけど、直前で手が止まった。
「叩けるわけないよね。これは成町マリナの顔だもの。成町マリナの顔が傷つくのは成町マリナは絶対に嫌だから」
「……何で手が止まるのよ」
絶対に叩ける勢いで手を出した感覚はあった。それなのに急ブレーキがかかる。お前が成町マリナだなんて、絶対に認められないはずなのに。
「私は、成町マリナは周りの人達に愛されている。あなたの方こそ私の偽物なんじゃないの?」
「そんなわけ!」
「さっき家の前にいたよね。あんなに楽しそうなパパとママなんて久しぶりに見たでしょう? あなたが偽物のことで突っかかるから、最近寧音とは変な空気になってたけど、私がしっかりと仲直りして友情はより強固になった。牧人とはもう、あなた以上に心を通わせている。成町マリナの世界はこんなにも良く回っているんだよ。あなたの存在こそが不要だとは思わない?」
「黙って! 本物は私だ! 偽物はこの世界から消えて!」
私は感情的に叫んだが、偽物は冷たく笑った。
「そうだね。それじゃあ、消えなよ」
「えっ?」
突然、体が異常に軽くなったような感覚がした。違う、軽くなったどころの話じゃない。まるで体そのものが無くなってしまったかのような虚無感。恐る恐る自分の両手を見てみると。
「何よこれ……」
両手が透けて、その向こう側にいる偽物と目が合う。足に視線を落とすと、足もスニーカーごと透けていて、公園のタイルの地面が見えている。私の体全体が透けている。存在感が失われていく。私という存在が消えていく。
「この世界は私こそが本物の成町マリナだと定義した。だから偽物のあんたは消える。ただそれだけの話だよ」
「……どうして、本物は私なのに……」
「あなたは私を叩けなかった。より輝いて見える私の方こそ本物なのではと、自分が本物だって自覚を一瞬でも忘れてしまったんだよ。どっちが最初から存在していたかなんて関係ない。本物か偽物かの定義なんて、自分の気持ち一つなんだから」
「先生が言っていたのはこういう……」
自分が本物である自覚があれば大丈夫だと樹林寺先生は言っていた。今になってその意味を理解した。この世界はもう、私を成町マリナの偽物だと判断し、消しにかかっているんだ。
「消えるなんて嫌……」
「成町マリナは消えないよ。何も変わらない。むしろ私の方がもっと魅力的かもしれない。世界はいつだって平和だよ」
偽物の言う通りだ。確かに世界という大きな目線で見れば、成町マリナは消えてなんていないのかもしれない。だけどそんなのってあんまりだよ。本物は私。私こそが成町マリナなのに……。
「助けて……牧人……」
世界は姿だけではなく、私から声も奪おうとしている。もうこの声も……どこにも……届かない……。
「何だ。今度は間違えないんだ――」
偽物が小さい声で何か言ったような気がしたけど、それを大きな声がかき消した。
「マリナ!」
叫ぶ牧人の声が聞こえたような気がした。これが死ぬ前に見る走馬灯というやつなのかな? 牧人の声を聞きながら消えていくのなら悪くは……。
「しっかりしてマリナ」
強く手を握られるような感覚を右手に覚えた。それをきっかけに、消えかかっていた体の感覚が戻ってきた。自分の体にしっかりと重さを感じる。両足がしっかりと地面についている感覚がある。耳がしっかりと風が木々を揺らす音や、公園の近くを通る車の音をとらえている。実体を取り戻した右手に、別の誰かの温もりを感じる。
「大丈夫、マリナ」
いつの間にか閉じていた目を開けると、私の目の前に立っていたのは偽物の私ではなく、心配そうに私の右手を握る牧人だった。
「あれ、牧人? 偽物の私は」
「に、偽物? それよりも大丈夫? 顔色が悪いよ」
「牧人。怖かった……怖かったよ!」
「マ、マリナ。落ち着いて」
ああ、私は消えないですんだんだ。最初は何が起きたのか理解出来なかったけど、牧人の顔を見た瞬間、消えずにすんだんだという実感が湧いてきて、気づいた時には大粒の涙が溢れ出していた。牧人は私を近くのベンチに座らせて、気持ちが落ち着くまで、優しく私の肩を抱いてくれた。
「少しは落ち着いた?」
「うん。ありがとう」
これだけたくさん泣けたことも、私がまだこの世界に存在していることの証明だ。たくさん泣けたことで、少しだけ頭の中がスッキリした。同時に疑問を思い浮かべる余裕が生まれる。
「そういえば牧人。どうしてここに?」
「急に樹林寺先生から電話がかかってきたんだよ。公園で成町さんが困っているから助けてあげなさいって。突然のことでビックリしたけど、マリナのピンチと聞いて慌てて駈けつけて。そしたらマリナの姿が何だか透けて見えたような? 夕方で薄暗かったし、あれは見間違いだったのかな」
「今度は私を見失わないでくれたんだね」
「私を? そういえばもう一人誰かいたような。あれも見間違いか?」
本人は無自覚みたいだけど、牧人は私のヒーローだ。偽物の私と言い争って、一度自分の存在が消えかけた今なら何となく理解出来る。一度は自分が本物なのか自信が持てなくて存在が消えかかってしまったけど、牧人が私の名前を呼んでくれたことで、私は辛うじて意識をこの世界に繋ぎ止め、牧人が手を握ってくれたことで私は自分の存在を再認識し、一気に自分を取り戻すことが出来た。牧人の存在が私が本物の成町マリナであるという自覚を取り戻させてくれたんだ。その結果、偽物の私の方が世界から消えてしまった。たぶん、そういうことなんだと思う。
「後で、樹林寺先生にもお礼を言わないと」
樹林寺先生は去り際に、「誰があなたを本物だと認めてくれたから一番嬉しいですか?」と私に聞いてきた。私が一番存在に気づいてほしい牧人を、先生はこの公園へと呼んでくれた。それが無ければ私はきっと、今頃この世界には存在していない。
今回の出来事で、自分を支えてくれる人たちの大切さが理解出来た。パパやママや寧音、そして牧人との絆を、これからはもっと大切にしていこうと思う。もしもまた私の偽物が現れても誰も惑わされないように。
「ねえ、牧人。今日うちはバーベキューなんだけど、もしよかったら今から食べに来ない?」
「お誘いは嬉しいけど、急だしご迷惑じゃ」
「駄目。今日は牧人と一緒にご飯が食べたいの」
「分かったよ。ちょっと緊張するけど」
私はベンチから立ち上がり、牧人の手を取った。
私を見つけてくれてありがとう。大好きだよ、牧人!