猫と兎
16 雑念
クリスマス・イブのデートが大失敗に終わった後。
クラスの連中にも隠しきれないほど、僕と陽奈の関係はぎこちなくなっていった。
恋人の期待に応えられなかったことで、僕の自信は地に落ちていた。もう一度挑戦しよう、なんていう気さえ起こらなかった。
あの陽奈が、どれだけの勇気を振り絞って僕を誘ったのか。それを想像して、さらに胸が痛んだ。そして、彼女にそこまでさせてしまった自分のふがいなさに、一層深く落ち込んだ。
唯一の救いは、すぐに冬休みになったことで、僕は勉強、陽奈は自動車学校に専念していった。
学校が閉まっている間、近所のコーヒー・チェーンへ行くようになった。そんなに混む店ではなかったので、数時間勉強していても怒られなかったのである。
しかし、目的はそれだけではなかった。たまに、夕美と会うことができたのだ。
「志貴、順調か?」
「なんとかな。夕美は?」
「ラストスパートって感じだね」
僕たちは、テーブルに向かい合い、イヤホンで洋楽を聞きながら問題集を解いた。夕美の最寄駅にも、同じ店があるのだが、そこは混んでいるから嫌なのだ、と彼女は言っていた。
陽奈とは朝と夜に毎日メールをしていたが、会う約束は交わさなかった。試験直前だから。そんな暇ないから。そう言って、初詣にも行かなかった。そのとき彼女は、遠まわしな表現で文句を言ったが、僕はうんざりして返事を返さなかった。
だいたい、受験生が遊んでいては駄目だろう。今はやりたいことを我慢して、勉強に集中すべきだ。陽奈だって、僕が頑張っているのだから、それを陰ながら支えてくれるべきだ。
メールの着信がある度、僕は責められているような気分になった。だから、同じ立場、同じ受験生である夕美といるときの方が、ずっと気楽だった。
「はぁ……休憩……」
夕美はイヤホンを外し、椅子に深くもたれかかった。彼女は大体いつもパーカー姿で、伸びた前髪をちょんまげのように束ねていた。
「僕も休憩しよう……」
その日はなんとなく気が向いたという理由で、夕美は追加のコーヒーを二人分買ってきてくれた。ありがたくそれを頂戴しながら、世界史のどの辺りがややこしいとか、模試で出た現代文の小説が案外いい話だとか、そんなことを話した。
「なんか、いいな。こういう話ができるのって」
僕がそう言うと、夕美は頬杖をつきながら軽く笑った。
「だな。気分転換にもなるし……志貴と話すのは、嫌いじゃない」
「僕もだ」
「てか、そろそろ帰らないと」
「うわっ、もうこんな時間か」
僕たちは荷物をまとめ、店を出た。すっかり日が落ちていた。夕美はパーカーのフードをかぶり、スニーカーで歩道を蹴り始めた。
「陽奈とは、まだ仲直りしてないのか?」
「まあ、ね……」
夕美はこうなった原因も知っているのだろうか、と僕は不安になっていた。いくら陽奈でも、そこまでは言わないだろう、という希望もあるにはあった。僕は思い切って、彼女に聞いてみた。
「陽奈は、その……夕美に話してるのか?クリスマス・イブのこと」
「あー、聞いてるよ。志貴の気分が急に悪くなって、途中で帰ったんだろ?それで拗ねた自分が悪いんだって、陽奈は言ってた」
事実と嘘と本音が入りまじっているな、と僕は思った。ひとまず、夕美が本当のことを知らないことに、僕は安堵した。
「いつも通り、接すればいいじゃないか。二人とも、気を遣いすぎなんだよ」
「そうなのかな」
その時ようやく、僕は夕美に、暴言を吐いたことを思い出した。進路を陽奈に合わせることを非難され、夕美には関係ないだろ、と口走ったことを。その翌日、彼女は何食わぬ顔で勉強していて、普通に挨拶をしてくれたので、すっかり忘れてしまっていたのだ。
「うん、確かに、そうだ……」
今さらそのことを謝っても、夕美は絶対にとぼけるだろう。交わした言葉が少なくても、過ごした時間が長くなるにつれて、彼女のことはよくわかってきた。
「とっとと仲直りしろよ」
夕美は背伸びして手を伸ばし、僕の髪をわしゃわしゃと撫でた。
センター試験の成績は酷かった。模試感覚で受けていたとはいえ、さすがにショックだった。僕は最後の悪あがきをした。必死になって机にかじりついた。
先に陽奈と同じ栄北大学の試験があり、その後が緑南大学だった。滑り止めで、それらよりランクが低いところもいくつか受けた。
陽奈は試験の朝に、応援メールを送ってくれた。手作りのお守りを胸ポケットに、お揃いのネックレスをシャツの中にしまっていた。センター試験の日だけは効かなかったが、他の試験には効果があったようだ。
僕は、栄北にも、緑南にも、両方合格した。
クラスの連中にも隠しきれないほど、僕と陽奈の関係はぎこちなくなっていった。
恋人の期待に応えられなかったことで、僕の自信は地に落ちていた。もう一度挑戦しよう、なんていう気さえ起こらなかった。
あの陽奈が、どれだけの勇気を振り絞って僕を誘ったのか。それを想像して、さらに胸が痛んだ。そして、彼女にそこまでさせてしまった自分のふがいなさに、一層深く落ち込んだ。
唯一の救いは、すぐに冬休みになったことで、僕は勉強、陽奈は自動車学校に専念していった。
学校が閉まっている間、近所のコーヒー・チェーンへ行くようになった。そんなに混む店ではなかったので、数時間勉強していても怒られなかったのである。
しかし、目的はそれだけではなかった。たまに、夕美と会うことができたのだ。
「志貴、順調か?」
「なんとかな。夕美は?」
「ラストスパートって感じだね」
僕たちは、テーブルに向かい合い、イヤホンで洋楽を聞きながら問題集を解いた。夕美の最寄駅にも、同じ店があるのだが、そこは混んでいるから嫌なのだ、と彼女は言っていた。
陽奈とは朝と夜に毎日メールをしていたが、会う約束は交わさなかった。試験直前だから。そんな暇ないから。そう言って、初詣にも行かなかった。そのとき彼女は、遠まわしな表現で文句を言ったが、僕はうんざりして返事を返さなかった。
だいたい、受験生が遊んでいては駄目だろう。今はやりたいことを我慢して、勉強に集中すべきだ。陽奈だって、僕が頑張っているのだから、それを陰ながら支えてくれるべきだ。
メールの着信がある度、僕は責められているような気分になった。だから、同じ立場、同じ受験生である夕美といるときの方が、ずっと気楽だった。
「はぁ……休憩……」
夕美はイヤホンを外し、椅子に深くもたれかかった。彼女は大体いつもパーカー姿で、伸びた前髪をちょんまげのように束ねていた。
「僕も休憩しよう……」
その日はなんとなく気が向いたという理由で、夕美は追加のコーヒーを二人分買ってきてくれた。ありがたくそれを頂戴しながら、世界史のどの辺りがややこしいとか、模試で出た現代文の小説が案外いい話だとか、そんなことを話した。
「なんか、いいな。こういう話ができるのって」
僕がそう言うと、夕美は頬杖をつきながら軽く笑った。
「だな。気分転換にもなるし……志貴と話すのは、嫌いじゃない」
「僕もだ」
「てか、そろそろ帰らないと」
「うわっ、もうこんな時間か」
僕たちは荷物をまとめ、店を出た。すっかり日が落ちていた。夕美はパーカーのフードをかぶり、スニーカーで歩道を蹴り始めた。
「陽奈とは、まだ仲直りしてないのか?」
「まあ、ね……」
夕美はこうなった原因も知っているのだろうか、と僕は不安になっていた。いくら陽奈でも、そこまでは言わないだろう、という希望もあるにはあった。僕は思い切って、彼女に聞いてみた。
「陽奈は、その……夕美に話してるのか?クリスマス・イブのこと」
「あー、聞いてるよ。志貴の気分が急に悪くなって、途中で帰ったんだろ?それで拗ねた自分が悪いんだって、陽奈は言ってた」
事実と嘘と本音が入りまじっているな、と僕は思った。ひとまず、夕美が本当のことを知らないことに、僕は安堵した。
「いつも通り、接すればいいじゃないか。二人とも、気を遣いすぎなんだよ」
「そうなのかな」
その時ようやく、僕は夕美に、暴言を吐いたことを思い出した。進路を陽奈に合わせることを非難され、夕美には関係ないだろ、と口走ったことを。その翌日、彼女は何食わぬ顔で勉強していて、普通に挨拶をしてくれたので、すっかり忘れてしまっていたのだ。
「うん、確かに、そうだ……」
今さらそのことを謝っても、夕美は絶対にとぼけるだろう。交わした言葉が少なくても、過ごした時間が長くなるにつれて、彼女のことはよくわかってきた。
「とっとと仲直りしろよ」
夕美は背伸びして手を伸ばし、僕の髪をわしゃわしゃと撫でた。
センター試験の成績は酷かった。模試感覚で受けていたとはいえ、さすがにショックだった。僕は最後の悪あがきをした。必死になって机にかじりついた。
先に陽奈と同じ栄北大学の試験があり、その後が緑南大学だった。滑り止めで、それらよりランクが低いところもいくつか受けた。
陽奈は試験の朝に、応援メールを送ってくれた。手作りのお守りを胸ポケットに、お揃いのネックレスをシャツの中にしまっていた。センター試験の日だけは効かなかったが、他の試験には効果があったようだ。
僕は、栄北にも、緑南にも、両方合格した。