春待月の一夜のこと

2

「とりあえず顔洗って来たら?洗面所は廊下出てすぐ右。洗顔フォーム使いたかったら鏡の前、タオルは右側の棚に置いてあるやつ好きに使って。トイレは廊下出て左、洗面所とは反対側ね」


真帆が百面相を終えて最終的に放心し始めた辺りで、キッチンへと移動した田辺から声がかかる。
田辺が戻ってきたことに、もちろんさっきまで隣に立っていたことにも気付いていなかった真帆は、その声に驚いて肩を跳ねさせた。


「田辺、くん……いつからそこに」

「田中さんがおもしろ百面相し始めた辺り」


自覚のない真帆は、おもしろ百面相ってなんだと思いながら、とりあえずのそのそとベッドから降りる。
思えば、動揺していた、そして寝ぼけてもいたとはいえ、いつまでもベッドの上にいたという事実がまた少しだけ恥ずかしい。

田辺がつけた暖房と、窓から差し込む日差しで部屋の中はいい感じに暖まっているし、なんだかとてもいい匂いもしている。
それは、コンロにかけられた鍋の中から香るお出汁と、フライパンで焼かれているネギの香ばしい匂い。

うどんにネギを入れるという話は聞いていたけれど、まさかぶつ切りにして焼くとは思わなかった。せいぜい、適当な大きさに切って上から散らす程度だと思っていた。
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