春待月の一夜のこと
「田中さん、どうかした?洗顔と歯磨き粉間違えた?それともタオルの場所わからない?」


入るよーと田辺の声がしたが、それより先に真帆が内側からドアを開けたことで、田辺が驚いたように身を引いた。


「びっくりした……。で、一体どんな問題が発生してたの?」

「なぜ問題が発生している前提で訊いてくる。別に何もないから」

「そう。それにしては随分と時間かかってたね」

「女の朝の支度なんてこんなものだよ」

「もう昼だけどね。それに、顔洗うだけでしょ?」


そうだけど、それよりもっと時間のかかる案件があったのだからしょうがない。まあ時間をかけたところで、収穫はなかったけれど。
目の前に立ちはだかる田辺の横を、無理矢理すり抜けるようにして洗面所を出た真帆は、そこでハッとしてくるりと向きを変える。


「うわっ、びっくりした。今度はなに」


あとに続こうとしていた田辺を押しのけるようにして真帆は洗面所に戻るが、戻ったところでどうすることも出来ないことを思い出す。なにせここは、真帆の家ではないのだ。
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