春待月の一夜のこと
「……田辺くんさ、ファンデーションとか、もしくはフェイスパウダーでもいいから持ってたりしないよね?」


その問いかけで、田辺は真帆が急いで洗面所に戻ろうとした理由を察したらしく「ああ」と納得したように呟いた。


「逆に、俺がそんなの持ってたらどん引きじゃない?ていうか、ファンデーションくらいは名前知ってるけど、フェイスパウダーってなに?顔の粉?」

「……直訳やめて。あと、最近は男の人だってメイクするんだよ。そういう時代だよ」

「残念ながら俺はそこまで意識高くないんで」


ダメもとで訊いてみたはずなのに、その答えにため息が漏れる。


「別に気にする必要ないでしょ。知らない仲でもないんだし」

「卒業以来昨日初めて会ったクラスメイトは、最早知らない仲だと思う」

「へー、そういうこと言っちゃうか」


だってそうだろうと思いながら床を見つめていた真帆は、先ほどまで横を向いていた田辺の足が、こちらを向いたことに気が付いた。
それはつまり、体の向きもこちらを向いているということで、更には足が一歩二歩と距離を詰める。
恐る恐る顔を上げると、田辺の笑顔がすぐそこにあった。
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