春待月の一夜のこと
「言ってたけど、新しい恋はしたくないって、つまりそういうことでしょ。あっ、じゃあ好きな人はいないっていうのも、違ってくるのか。“今もずっと”好きな人がいるわけなんだもんね」


“今もずっと好き”――田辺の放ったその言葉が、真帆の心を満たしていたどろどろしたものに火を点けた。
その勢いのままに、真帆の右手が勢いよく田辺の頬を張る。


「やめて!!そうやってひとのことおちょくって、田辺くんは楽しいのかもしれないけど、やられるこっちは最低の気分なのがわからない!?わからないか、わからないからやってるんだもんね!田辺くんのそういうところがほんと嫌!!どうせ全部嘘だし、それだって狼狽える私を見て楽しんでるだけだし、いい性格しててほんと最低!!!」


叫んだ拍子に、目尻を熱いものが伝う感覚がした。
ああダメだ、このままだと止められなくなって、みっともなく泣きわめいてしまう。田辺には関係のない感情まで、一緒に田辺にぶつけてしまう。

いや、たぶんもう既に、ぶつけてしまっている。じんじんと痺れたような感覚がする手の平に、そう感じた。
伝った涙が落ちる前に手の甲で乱暴に拭い、真帆は立ち上がる。

カバンと上着を掴んで足早に玄関に向かうと、「田中さん!」と呼び止める声が聞こえた。
けれど真帆は足を止めず、振り返ることもせずに、田辺の家を飛び出した。




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