春待月の一夜のこと
それまで二人の熱を帯びたやり取りを黙って聞いていたマスターが、会話が途切れたタイミングで「あの……」と控えめに声を上げる。


「さっきから随分と盛り上がっているそれって、もしかして僕に言ってる……?」


ちらりと岡嶋が女性を窺うのと、「いえ、違います」と女性が答えるのがほぼ同時だった。


「確かにマスターもマイペースで自由だなと思うことはありますけど、上には上がいますので。言葉が通じるだけ全然いいです」

「え……言葉通じないこともあるの?」

「言葉が通じないというか」

「会話が通じないんですよね」


女性の言葉に続けるように岡嶋が言う。


「ああいう人って、やっぱりわざとやっているんだと思いますか?」

「思いますね。少なくとも俺の知っている奴は、絶対にわざとです。反応を見て楽しんでいる節があるので」

「質が悪いですよね、そういう人って」

「本当に」


妙に息の合った動きで、二人してうんうんと深く頷く。それ以上は入っていけない、もしくは入ってはいけないと感じてか、マスターはそうっと視線を外して何事もなかったかのようにハイボールを飲み始めた。
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