春待月の一夜のこと
「田中ちゃんさ、同窓会のあと辺りから、すっごく表情が豊かになってるんだよー。気が付いてた?それまでは、とりあえず笑っておくみたいな笑顔ばっかりだったけど、最近は眉間に皺が寄ってたり、顔面蒼白になってたり、真剣な顔で考え込んでいたり」

「……前向きな表情が一つもなくないですか?」


まあ、それはそれとしてー。とマスターが笑顔で受け流す。


「自分に影響を与えてくれるような人との出会いって大事だよー。生きていれば色んな人と出会うけど、自分に影響を与えてくれるほどの人って、中々出会えないからねー」

「……影響」


いい影響を受けているような気はしないのだが、それを言ったところでまた“それはそれ”と笑顔が返ってくるのだろうか。


「マスターは、そんな出会いがありました?」


真帆の問いに、ん?と笑顔で首を傾げたマスターは


「内緒だよー。ミステリアスな方が、バーのマスターっぽいでしょ?」


といたずらっぽく笑って言った。
そう言われるとますます気になるが、内緒と言ったら内緒なのだからしょうがない。真帆は諦めてピザトーストにかぶりつく。

もぐもぐと噛みしめて、しっかりと味わったところで飲み込んで、最後にコーヒーを一口。
浮かんでは打ち消し、また浮かんでは打ち消すを繰り返していた田辺の顔を、打ち消さずに思い浮かべてみる。
そのまま真帆は手の平に視線を落とし、しばらくじっと見つめていた。
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