春待月の一夜のこと
黙ってホットチョコレートを数口飲んで、「うん、甘い」と呟いたかと思ったら、また黙る。
お客さんが行きかう足音、接客をするマスターの声、料理を作っている音、楽しそうな笑い声。二人して黙っていると、そんな周りの音がよく聞こえた。

ああそうだ、せっかくならばここで、本日田辺を呼び出した要件を済ませてしまおうか――ふと、真帆は思った。
タイミング的にどうなんだと思わなくもないが、ここを逃したら一番の目的を果たせないままに今日が終わってしまう気がする。


「あのさ……」


ぽつりと真帆が呟くのと、田辺がすっくと立ち上がるのがほとんど同時だった。


「田中さん、ちょっとここで待ってて」

「……え?ちょっと待って、どこ行くの」

「すぐ戻るから、勝手にいなくならないでね」


そう言い残して、田辺は呼び止める真帆を置いて足早に去ってしまう。
ぽかーんとしてその場に座り込んだままの真帆の元に、マスターがひょこっと顔を出した。


「喧嘩でもしたー?」


田辺だけが足早にいなくなってしまったので、そう思ったのだろう。「違いますけど……」と答えながら、真帆は難しい顔で首を捻る。
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