春待月の一夜のこと
その時真帆の中に浮かぶのは、当然“彼”の顔だ。今もまだ、忘れられない。忘れることが出来るのかもわからない彼の顔。
そんな状態で田辺のことを考えようとしても、上手く考えがまとまらない。自分の気持ちがわからない。
いつの間にか俯いていた顔に、そうっと伸びてきた手が触れる。驚いて真帆が顔を上げると、田辺のホッとしたような笑顔が目に入った。


「よかった、泣いてなかった」


頬に触れていた田辺の手が、触れた時同様そっと離れていく。


「いいんだよ、今すぐわからなくたって」


今度は真帆が「ん?」と疑問符を返す。田辺はふふっと可笑しそうに笑って


「田中さんがちゃんと俺と向き合ってくれたら、きっとそのうちわかるよ。もうあの夜のことをぐちゃぐちゃ考えなくていいんだから、何の憂いもなく俺と向き合えるよね」

「……憂い」


大きな憂いはなくなったが、その代わりに別の問題が浮上している。それをジト目で訴えたところで、田辺には華麗にスルーされた。
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