春待月の一夜のこと
「いいんだよ、今更気を遣わなくても。むしろ、ここで吐かれる方が困るから」

「だから違うってば」

「でも、今胸のところ抑えてたじゃん。気持ち悪いんでしょ?」


古傷が痛んだと言えば、怪我をしていると思われるだろうか。でもまあ、見えない部分の傷だって、怪我と呼んでもいいのかもしれない。
けれど、それを言ったら怪我の原因も詳しく説明させられそうなので、この短い時間でも、田辺という男のことが多少なりともわかってきたので、真帆は無視することに決めた。
これが、面倒くさい男への対応としては一番簡単だと、そんなことを思っていたら――


「っ!?」


突然至近距離に田辺の顔が現れて、危うく叫びそうになった。


「うん、でも顔色はさっきより良さそうだね。なんだかんだ言って、うどんも完食だったし」


そんなになんだかんだ言った覚えはないし、急に至近距離に顔を出すのはやめてほしい。
高校時代、かっこいいと女子にキャーキャー言われていた顔面は、大人になっても衰えていないというか、年を経て少年っぽさが抜けると、大人の魅力で二割増しかっこいいと同窓会の時に新婚のクラスメイトが熱く語っていたが、まあ一般的には正にその通りなので、その整った顔面に至近距離で見つめられると、嫌でもドキッとしてしまう。
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