春待月の一夜のこと
「名前を教えてって、持ってるんじゃないの?」

「ん?いや、持ってはないよ」

「……あげるって、じゃあどこから出す気なのよ」

「“今はね”持ってないけど、あてがあるから」


何を言っているんだこいつは?と首を傾げる真帆に、田辺は笑顔で続ける。


「俺の上司がね、新しいの買ったから古いのでよければ譲るって前に言ってたんだよね。俺はそんなに本格的にコーヒー淹れるほど拘ってないから、その時はお断りしたんだけど、それを貰おうかなって。あの人、結構なんでも持ってるし、なんでもやるんだよね。多趣味っていうかさ。確かこの前の休みは、蕎麦打ったって言ってたし」


つまり、他人様から、しかも上司から貰ったものを、真帆に横流ししようというわけか。
それも一度いらないと断った物を、真帆にあげるためにやっぱり貰おうだなんて、とんでもない男だ。


「……田辺くんって、凄いね」


色んな意味で凄い。だが決して、褒めてはいない。


「ええー、照れるなー」


だが本人は、褒められたと思っているようで、なんとも幸せなことだ。
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