人魚の鼓動はあなたに捧ぐ
◇
洞穴の中は、意外と広かった。
奥にも続いてそうだけれど、怪我をした身で薄暗い道を進む気にはなれない。
足を引きずりながらなんとか座る体勢になり、外を眺める。
いつの間にか空は重い灰色に覆われていた。
この様子では、雨はまだまだやみそうにない。
「困ったなぁ……」
思わずため息をついた。
せっかく洗濯してもらったと思われる服も、雨と砂ですっかり汚れてしまった。
少年にも会えなかったし、わたしは一体なにをしているのだろう。
憂鬱な気分に襲われながら、目を閉じる。
なんだかずっと、どこか疲れている気がする。
まぶたの裏の闇の中、洞穴により反響する雨の音を聴く。
そうしている間に、わたしはいつの間にか睡魔に襲われていた。
──どのくらい経っただろう。
目を開けると、辺りは暗かった。
気づけばわたしは、洞穴の奥の方を向いて横たわっていた。
足首に痛みを感じながら、起き上がろうとした、瞬間。
「見ぃつけた」
背後から聞こえた声は、どこかうれしそうな響きで、けれど低く平坦な調子で、おそらくわたしに向かって言った。
ぞくりと、嫌な予感がする。
それが、その不気味な声色だけでなく、例の甘い香りのせいだと気づいたときには、もう遅かった。
首筋への痛みと共に、ぬるりとした液体が流れる。
押さえてもそれは止めどなく、わたしが声を出そうとするのも阻み続ける。
わたしはそうして振り返ることもなく、犯人の正体に近づくこともなく、あまりに呆気なく深い闇へ引きずり込まれてしまったのだった。