人魚の鼓動はあなたに捧ぐ





 洞穴の中は、意外と広かった。

 奥にも続いてそうだけれど、怪我をした身で薄暗い道を進む気にはなれない。

 足を引きずりながらなんとか座る体勢になり、外を眺める。

 いつの間にか空は重い灰色に覆われていた。

 この様子では、雨はまだまだやみそうにない。


「困ったなぁ……」


 思わずため息をついた。

 せっかく洗濯してもらったと思われる服も、雨と砂ですっかり汚れてしまった。

 少年にも会えなかったし、わたしは一体なにをしているのだろう。

 憂鬱(ゆううつ)な気分に襲われながら、目を閉じる。

 なんだかずっと、どこか疲れている気がする。

 まぶたの裏の闇の中、洞穴により反響する雨の音を聴く。

 そうしている間に、わたしはいつの間にか睡魔に襲われていた。



 ──どのくらい経っただろう。

 目を開けると、辺りは暗かった。

 気づけばわたしは、洞穴の奥の方を向いて横たわっていた。

 足首に痛みを感じながら、起き上がろうとした、瞬間。


「見ぃつけた」


 背後から聞こえた声は、どこかうれしそうな響きで、けれど低く平坦な調子で、おそらくわたしに向かって言った。

 ぞくりと、嫌な予感がする。

 それが、その不気味な声色だけでなく、例の甘い香りのせいだと気づいたときには、もう遅かった。

 首筋への痛みと共に、ぬるりとした液体が流れる。

 押さえてもそれは止めどなく、わたしが声を出そうとするのも(はば)み続ける。

 わたしはそうして振り返ることもなく、犯人の正体に近づくこともなく、あまりに呆気なく深い闇へ引きずり込まれてしまったのだった。


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