人魚の鼓動はあなたに捧ぐ



 ……それにしても。

 先ほどから、二人ともまるでわたしのことを知っているかのような口ぶりだ。

 わたしは、わたしのことをひとつも思い出せていないのに。


「……あの、わたし……」


 声がかすれる。

 そういえば、ひどく喉が渇いているみたいだ。


「ああ、ごめんね、ほら、水だよ。話すことはたくさんあるだろう? ゆっくりでいいんだ」


 男の人が渡してくれたのは、透明な水が半分ほどまで注がれたグラス。

 一瞬、見知らぬ場所で見知らぬ人から渡された得体(えたい)の知れない液体なんかを口にしてもいいものかと躊躇(ためら)いが生まれた。

 けれどそれは喉を潤したいという生理的欲求には叶わず、わたしはグラスの水を一気に飲み干した。


「大丈夫かい? ……ねえ、僕はずっと君を待っていたんだよ、ナノカ(・・・)


 ──ナノカ。

 聞いた瞬間、からだに電撃が走ったようだった。


「ナノカ、って……」

「君の名前だろ? もしかして混乱してる? ほら、見て」


 男の人が差し出した鏡を受け取ると、不思議と手が震えた。

 震えた手で鏡を近づけると、そこにわたしが映る。

 乱れた髪に、疲れを感じる(くま)が目立つ。

 鏡の中の顔は、右目の下の泣きぼくろが印象的だ。


 ……そうだ、ナノカ。

 わたしの名前は、ナノカだ。


「思い出した?」


 そう言って、男の人は微笑んだ。


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