陰キャな凄腕プログラマーくんの視線が気になって仕事になりません!
チョコとミントのマリアージュ
ギリギリセーフ!
今朝の電車が遅延したせいで、汗だくのまま職場まで走って行き、ギリギリのところで始業時間に間に合った。
デスクに近づき、「おはようございます」と周囲の人に挨拶を済ませると、床にしゃがんでいたと思われる海堂くんが勢いよく立ち上がった。
「おはようございます、広瀬さん」
乱れた髪を整いつつ、私は彼に小さく笑いかけてから席に着いた。
「ねえ、海堂くん、どうしたの?また探し物?」
加藤さんが隣から海堂に声を掛けた。
「ええ、そんなところです」
「何を探しているんですか?手伝いますよ」
彼の困っている姿を見ていたら、つい私も声を掛けずにはいられなくなった。
私の申し出に海堂は一瞬考える素振りを見せたが、断るのも気まずかったのか、彼はすぐに答えてくれた。
「実はこの1ヶ月間、イアホンを4つも無くしたんです。無線のやつなんで、ポロッとどこかに落とした可能性も考えたんですが、ケースごと消えているので、何かおかしいんですよね」
「家に置いてきたというわけではないんですよね?」
床にしゃがみ込んで落ちていないか確認したが、消しゴム以外に何も落ちていなかった。
「それはないはずです。オフィス用と家用を2つ買っていますので、家に持って帰ったということはないと思います」
「それはたしかにおかしいですね……」
「あ、もう大丈夫ですよ、広瀬さん。今日はもうこのヘッドホンを代わりに使いますから」
「……わかりました」
他に探せる場所もなく、私は諦めることにして、自分のデスクに戻ろうとしていた矢先——
「あれっ、広瀬さんのデスクの開いている引き出しから、イアホンみたいなものが見えるんですけど……」
その筈はない。無線のイアホンなんて持っていないし、そもそもデスクの引き出しが開いている状況もおかしい。
足早にデスクへ近づき、引き出しの内容物を見て、私は驚愕した。そして、誰かにやられてしまったと絶句してしまった。
「う、うそ……どうして?」
見知らぬ4つのイアホンケースが、見てくれと言わんばかりに引き出しの開口に行儀良く並べられていた。
「どういうことですか、広瀬さん?海堂くんのイアホンですよね、これ?」
彼女は追い込むような強い口調で問い、オフィス全体に響き渡る声が、皆の好奇心を刺激する。
「あっ……」
何と言えばいいか。何を言えば海堂くんに信じてもらえるか。
オフィス全体の疑いの眼差しが鋭利の刃物の如く、私を全方向から刺す。
騒動を聞きつけた部長が、仲裁に入ろうと思ったのか、ゆっくりと近づいてくる。
「こ、これは……」
絞り出された震える声で、私は弁護の言葉を探るが、この公開処刑のような場において、審判である全員の意見は既に固まっていた。
目頭が熱くなり、抗いようのない感情が押し寄せてくるのを観念するように、ぎゅっと自分の両肘を抱く。
「……海堂くん、これ、海堂くんのでしょ?」
私の真後ろまで来たと思われる海堂に、加藤が聞く。
次の瞬間、信じられないことが起きた。
硬く鍛えられた両腕に包まれ、後頭部がコツンと逞しい胸板に預けられる。
「ごめん、ごめん、佳奈さん。俺、完全に忘れてたわ。佳奈さんの家に忘れてきたのを持ってきてくれと頼んだんだった。俺たちのことがバレるといけないから、とりあえずしらばくれていたんだよね。でもこうなったらもう仕方ない。……皆さん大変お騒がせして、申し訳ありません」
好奇の眼差しも痛いが、先ほどの視線よりも幾分もマシだ。
犬を撫で回すような手で海堂は私の頭をヨシヨシして、私に耳打ちしてきた。
「後で、少し話しましょうか」
耳元で囁かれ、彼の湿った吐息が直接鼓膜を襲撃し、甘い戦慄が耳を伝って背骨をぞくりと走る。
「は、はい」
私を優しく包み込んでいた石鹸とヒノキの香りとともに、彼の体温がゆっくりと離れていき、恐ろしいほどの寂しさに呑み込まれそうになる。
今日で私は身を持って知ってしまった。ここでは私の味方は一人もいないことを。海堂だって、とりあえずは私のことを庇ってくれたけれど、本心では私のことをどう思っているのか、知る由もない。
感情を噛み殺しながら席に付き、私は電源の未だ入っていないモニターをただ見つめることしかできなかった。
今朝の電車が遅延したせいで、汗だくのまま職場まで走って行き、ギリギリのところで始業時間に間に合った。
デスクに近づき、「おはようございます」と周囲の人に挨拶を済ませると、床にしゃがんでいたと思われる海堂くんが勢いよく立ち上がった。
「おはようございます、広瀬さん」
乱れた髪を整いつつ、私は彼に小さく笑いかけてから席に着いた。
「ねえ、海堂くん、どうしたの?また探し物?」
加藤さんが隣から海堂に声を掛けた。
「ええ、そんなところです」
「何を探しているんですか?手伝いますよ」
彼の困っている姿を見ていたら、つい私も声を掛けずにはいられなくなった。
私の申し出に海堂は一瞬考える素振りを見せたが、断るのも気まずかったのか、彼はすぐに答えてくれた。
「実はこの1ヶ月間、イアホンを4つも無くしたんです。無線のやつなんで、ポロッとどこかに落とした可能性も考えたんですが、ケースごと消えているので、何かおかしいんですよね」
「家に置いてきたというわけではないんですよね?」
床にしゃがみ込んで落ちていないか確認したが、消しゴム以外に何も落ちていなかった。
「それはないはずです。オフィス用と家用を2つ買っていますので、家に持って帰ったということはないと思います」
「それはたしかにおかしいですね……」
「あ、もう大丈夫ですよ、広瀬さん。今日はもうこのヘッドホンを代わりに使いますから」
「……わかりました」
他に探せる場所もなく、私は諦めることにして、自分のデスクに戻ろうとしていた矢先——
「あれっ、広瀬さんのデスクの開いている引き出しから、イアホンみたいなものが見えるんですけど……」
その筈はない。無線のイアホンなんて持っていないし、そもそもデスクの引き出しが開いている状況もおかしい。
足早にデスクへ近づき、引き出しの内容物を見て、私は驚愕した。そして、誰かにやられてしまったと絶句してしまった。
「う、うそ……どうして?」
見知らぬ4つのイアホンケースが、見てくれと言わんばかりに引き出しの開口に行儀良く並べられていた。
「どういうことですか、広瀬さん?海堂くんのイアホンですよね、これ?」
彼女は追い込むような強い口調で問い、オフィス全体に響き渡る声が、皆の好奇心を刺激する。
「あっ……」
何と言えばいいか。何を言えば海堂くんに信じてもらえるか。
オフィス全体の疑いの眼差しが鋭利の刃物の如く、私を全方向から刺す。
騒動を聞きつけた部長が、仲裁に入ろうと思ったのか、ゆっくりと近づいてくる。
「こ、これは……」
絞り出された震える声で、私は弁護の言葉を探るが、この公開処刑のような場において、審判である全員の意見は既に固まっていた。
目頭が熱くなり、抗いようのない感情が押し寄せてくるのを観念するように、ぎゅっと自分の両肘を抱く。
「……海堂くん、これ、海堂くんのでしょ?」
私の真後ろまで来たと思われる海堂に、加藤が聞く。
次の瞬間、信じられないことが起きた。
硬く鍛えられた両腕に包まれ、後頭部がコツンと逞しい胸板に預けられる。
「ごめん、ごめん、佳奈さん。俺、完全に忘れてたわ。佳奈さんの家に忘れてきたのを持ってきてくれと頼んだんだった。俺たちのことがバレるといけないから、とりあえずしらばくれていたんだよね。でもこうなったらもう仕方ない。……皆さん大変お騒がせして、申し訳ありません」
好奇の眼差しも痛いが、先ほどの視線よりも幾分もマシだ。
犬を撫で回すような手で海堂は私の頭をヨシヨシして、私に耳打ちしてきた。
「後で、少し話しましょうか」
耳元で囁かれ、彼の湿った吐息が直接鼓膜を襲撃し、甘い戦慄が耳を伝って背骨をぞくりと走る。
「は、はい」
私を優しく包み込んでいた石鹸とヒノキの香りとともに、彼の体温がゆっくりと離れていき、恐ろしいほどの寂しさに呑み込まれそうになる。
今日で私は身を持って知ってしまった。ここでは私の味方は一人もいないことを。海堂だって、とりあえずは私のことを庇ってくれたけれど、本心では私のことをどう思っているのか、知る由もない。
感情を噛み殺しながら席に付き、私は電源の未だ入っていないモニターをただ見つめることしかできなかった。