陰キャな凄腕プログラマーくんの視線が気になって仕事になりません!
 昼休憩に入るや否や、海堂は無言で私の手首を掴んだまま、ビルの1階まで私を引張った。

「どこに行くんですか?」

「……」

 やはり、海堂はイアホンを盗み出した犯人が私だと思っているのだろうか。

 彼の沈黙は、強い怒りの表れのようで、荒々しく掴まれた手首が少し痛み出したが、これ以上彼を怒らせたくなかったので何も言えなかった。

 1階のサンドイッチショップの前まで来て、彼は入り口付近の女性店員に話しかけた。

「あの、先ほどブースの予約をさせていただきました、海堂です」

「あ、どうぞこちらへ」

 中に通されても、海堂は手首を離してくれず、彼の得体の知れぬ強引な手つきにされるがままだった。

 案内された店内はイメージしていた明るくアットホームなものとは違い、黒と銀を基調とした都会的でモダンな内装になっていた。

 予約が必要とされるブース席は、黒い半カーテンによって外から顔だけが見えないような仕様になっている。

「広瀬さん、ごめんなさい。強引にこんなことをしてしまって」

 座った途端に海堂は謝罪をしてきた。

「えっ、どうして海堂くんが謝るんですか?」

「つい、カッとなってしまって。広瀬さんにあんな陰湿な真似をする人がいると思うだけで、やり場のない怒りにずっと苛まれていました」

「私は全然気にしていませんよ。そんなことより、どうして今朝は私のことを庇ってくれたんですか?どうして私を疑わなかったんですか?状況からして、私は限りなく黒に近いように見える筈ですが?」

「もうすでにバイアスがかかっている状況かも知れませんが、僕の中で、広瀬さんは白なんですよ。ですから、今朝も一瞬も疑いませんでした。それに、あの加藤さんの行動、怪しすぎます。あれは、黒かもしれませんね……」

 最後は独り言のように言い捨て、彼はメニューを私に見せてオーダーを取った。

「改めて、今朝は私を庇ってくださってありがとうございました。あんな嘘までつかせてしまって、本当に申し訳ないです」

「……それが嘘でなければ、広瀬さんは申し訳ないと思わずに済むんですか?」

「へっ?」

 いまいちその言葉の真意が掴めず、私は素っ頓狂な返事をしてしまった。

「いいえ、何でもありませんよ。広瀬さんをあのように守ったのは……」

 一番気になるところで店員がサンドイッチのランチセットをテーブルに運び、続きを聞く機会を失ってしまった。

「ハハッ」

 店内入り口の方から、女性たちの笑い声が聞こえ、隣接するブースに入っていく音がした。

「今日のは、マジでやばかったよねー」

「まさか、あの二人が付き合っていたとはね」

 海堂と私は顔を見合わせ、言葉に出さずともお互いに「もしかして?」と目だけで会話した。

「あれは絶対嘘よ」

 それは、加藤の声だった。

「え、もしかして麗華が全部仕組んだ感じ?そういうのは、ほどほどにしなよ。バレたときが大変だから。ほら、あの子部長まで手懐けていると噂だしね」

 そんなことを言われていたなんて。無意識的に口を手で覆う私を、海堂が少し心配そうに覗き込む。

「でも、麗華が仕組んだことなら、どうしてわざわざ海堂くんに庇われたんだろう?」

 もう一人の女性が疑問を口にした。

「あの女に勝手に海堂くんに迫っているだけだよ。海堂くんは優しいから、仕方なく庇ったんじゃない?一生懸命、海堂くんの気を引こうとしてさあ、馬鹿みたいに読みもしない参考書を広げていたじゃん。ほんと馬鹿」

「……っ」

 熱い液体が頬の上を走る。

 ぼやけた視界に映る海堂くんは怒りを抑えるあまり、テーブルに置かれた彼の拳が血の気が引いたように白く、固く握られていた。

 私は泣いている姿を見られまいと、流れる涙をナプキンで素早く拭き取るが、目の周りの赤みだけは誤魔化しようがない。

 彼はテーブルの上から私の手をそっと、上から覆うようにして優しく包み込んだ。

 ああ、どうしてこの人は、こんなに優しいのだろう。

 再び泣きそうになる私の目を真正面から捉え、身も心もそっと包み込んでくれる静かな優しさを孕んだ眼差しを向けられる。視線を外したいのに、なぜか外せない。

 目が魂への窓であるなら、海堂くんの魂は、優しさで満ちているのだろう。

「まあいい。ああいうせこい女には一回痛い目に合わせないといけないのよ」

「やだ、あんたまた何かする気?」

「いいでしょ?あの子が会社から消えたら部長もフリーになるんだから、みんなにとってはいいことだと思うんだけど……」

「こぇー!こういう時、女ってマジ怖いと思う」

 女性たちのケラケラと笑う声がやがて消えていき、海堂と私は会話が許された。

「広瀬さん、加藤たちのことは心配しないでください。僕が何とかしますから」

 お店を去る際も、彼は私の手を今度は固く握ったまま、上階へと繋ぐエレベーターのボタンを押した。

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