陰キャな凄腕プログラマーくんの視線が気になって仕事になりません!

私の心を灯す言葉

『君は、僕の闇に蝕まれた心を灯してくれる、灯火なんだ。どんなに暗い夜でも、君が照れしてくれるから、僕は正気でいられる。……頼む、もう二度と僕の前から消えないでくれ』

 甘やかなイケボで囁かれたゲームの台詞が、シーンとした会議室に響き渡る。

 プロジェクターで映し出された、新作の乙女ゲームの画面を前にして、私は密かな満足感に浸っていた。

 その甘い台詞に、大きなガラステーブルを囲うように座る女性社員たちの黄色い声や溜息が溢れ、改めて自分の考えた台詞が女性受けするものであるという実感を得られたのだ。

「この台詞は、ヒロインを危機から救った後にジャックが言うんですよね?」

 興味津々に目を丸くし、綺麗にマニキュアされたネイルを口に当てながら、隣に座っていた女子がプレゼンをしていた上司の佐京統也(さきょうとうや)に聞く。

 普段よりワントーン高めの、女性を意識させるようなその声に、佐京は資料から一旦目を剥がし、「そうだ」とだけ言ってプレゼンを進めようとする。

「わあ、めっちゃいいですね。女性はやっぱり、男性に守られると好きになってしまいますよね」

 彼女の発言は佐京というよりも、他の女性社員に向けられたものに聞こえて、「そうだよね」とか「うふふ」という女性特有の同意を示す雑言で場がざわめき出す。

 乙女ゲーム会社に好んで就職する女性はやはり、乙女なのである。恋に恋をしていると言われてしまえばそれまでだが、恋は人を動かす大きな原動力であり、自分磨きを促すものでもあり、平凡な日常にスパイスを加えて世界を薔薇色に染めていくのだ。

 ピンク色のふわふわとした浮ついた空気が会議室に充満するなか、その場の雰囲気に馴染めない人物が二人ほどいた。

 一人目はプレゼンの最中に先ほどの女性社員の発言によって中断を余儀なくされた、上司の佐京統也。面倒見が良く、実績が裏切らないクールなビジネスマンである。腕捲りされたブレザーの下に無地の白いTシャツを着こなしている姿は、どの角度から見ても”デキる男”。去年離婚したとされる彼は、恋愛市場に戻ってきたことがきっかけに、うちの乙女ゲーム会社の女性社員が色付き始めた。

 そして、もう一人は……

「……はぁ」

 小さく溢れた溜息の源を視線で辿る。

 同じ会議用テーブルを囲みながら、どこか異空間にいる彼——海堂渡(かいどうわたる)。テーブルの隅に腰を下ろし、携帯用の少し小さめのノートパソコンを覗き込んで他の作業をしている彼は、心底面倒そうな表情を浮かべている。うっすらと眉間に皺を寄せているその姿は、ただの義務感からこの会議に出席していることを物語っていた。

 佐京が咳払いをしてやっと少し静けさが取り戻される。

「……実はな、この台詞なんだが、この前の社内公募でうちの広瀬が考えたものが採用されたんだ。うちは開発部だが、こういう形で他部門と連携し、シナジーを高めることは我が社の発展には重要なことだ。……広瀬、よくやった」

 途端に真剣な眼差しを私に向け、目の表情を少し柔らかめて彼は言った。

 その柔らかい視線のせいか、部屋中の目玉が一気に私に向けられたせいか、ほぼ反射のように頬が熱を帯び始め、唐突の褒め言葉にたじろいでしまう。

「あ、ありがとうございます」

 佐京の視線を避けるように、私は視線をやや伏し気味にして答えた。そして、皆の視線の棘を感じながら、視線の回避地を求めて目を泳がすと、無意識にテーブルの片隅に座る、会議に無関心な人の方へと視線が吸い寄せられる。

「……っ」

 私の期待は裏切られた。

 海堂の瞳は珍しくもパソコンの画面に張り付いておらず、なんとも言えない表情で私を捉えていた……と思いきや、彼は素早くパソコンを見つめ直し、多少荒々しいタイプ音を立てながら何かの文字を打ちだした。

 新作乙女ゲームのリリースに向け、チーフエンジニアである海堂はきっと色々と忙しいのだろう。ジェットブラックの髪が、彼の色白な肌を際立たせている。連日会社に泊まり込んでいるせいで、直に陽を浴びる機会もなく、目の下には不健康的な葡萄色が広がっている。

 その整った涼しげな顔もあり、こうした薄暗い部屋にいると、彼は少しイケメンヴァンパイアに見えると私は思っている。

「今日の会議はこれで以上だ」

 気付けば朝の会議の終わりを告げられ、私はバインダーと資料をまとめて足早に自分のデスクへと向かう。

「佐京部長、この後少しお時間よろしいでしょうか?」

 部屋の去り際に、背後で海堂の質問が聞こえ、私はそのまま急いでデスクに戻った。

 だが、いざデスクに戻ると、資料が数枚足りないことに気づく。会議室におき忘れた可能性を考えると、引き返して見るしかない。

 音を吸収する薄いカーペットの敷かれた床を歩きながら会議室の扉に近づくと、開いた扉から漏れる会話に、思わず動きを止めてしまう。

「部長、正直困っているですよ。うちの部門の女性社員は全員恋愛にうつつを抜かしていて、仕事ができていません。先日だって、あの数日間続いていた課金エラーも、彼女たちのテスト作業がおろそかになっていなければ、すぐに発覚できていたはずです」

 あの課金エラーの騒動で数日間売り上げが全くなく、不審に思った他の部門の人が調べてやっと発覚したのだった。課金まわりのチェックをしていたはずの社員が、確認した形だけとって、本当はチェックしていなかったことが露見した。

 だから、海堂の指摘は正しいのかもしれないが……『全員』と言われると、真面目に仕事している他のみんなを卑下することになる。彼の言う『全員』のうちにも、自分も含まれているのだろうか。

 バインダーを胸の前で持つ手に僅かに力が籠る。

「海堂の言うことは最もだ。その件についても、俺の方から厳しく言うつもりでいる……だが、うちの女性社員を一括りにして『仕事ができない』とレッテル貼りするのも良くない。ちゃんとしてくれている子がほとんどだ」
 
「さっきの会議も、加藤さんが無断で会議とは関係ない話を始めたせいで5分以上は無駄になりました。間違いなくその場にいた全員が無駄話をしていました。気が緩んでいるようですので、佐京部長、皆の気を引き締め直すようお願いします」

 私は、ただの恋に浮かれた愚かな女にしか見られていなかったんだ。会議中にふと目があった時の彼の表情は、ただの軽蔑めいたものでしかなかったんだ。

 胸のうちを、めらめらと形容しがたい感情が占め始める。

「……失礼します」

 扉に近づく、靴底が床に当たる音でようやく我に帰る。

「……っ!」

 慌てて近くの柱の影に身を潜め、涼しげな顔で前を通り過ぎる眼鏡男を睨みつけた。

 その凛とした後ろ姿を見つめていると、次第に心を占拠するモヤモヤが肥大化していく気がした。

『うちの部門の女性社員は全員恋愛にうつつを抜かしていて、仕事ができていません』

 再び彼の言葉が脳裏を走り、その言葉が、自分の心の中でくすぶっていた残り火を一瞬にして大きな炎へと変化させる。

 その言葉、絶対に撤回させてやる。絶対に見返してやる。

 そう自分の中で誓い立て、しっかりとして足踏みで仕事場へと向かった。
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