陰キャな凄腕プログラマーくんの視線が気になって仕事になりません!
  出張から戻ってきた海堂は、私のデスクの向かい側に座り、目の前の大きい画面を反射した眼鏡越しにパソコンを凝視しながら、リズミカルにキーボードを打っていた。

 パソコンの画面を2つ隔てて向かい合うように座っているため、ふとした瞬間、画面の上から覗く、黒曜石のような摩訶不思議な引力を持つ彼の瞳と視線がぶつかることはややあったが、その度にお互い目線を素早く逸らし、何事もなかったかのように仕事に勤しむのが通常だった。

 だが、あの出来事以来、なぜか目が合う回数が多くなり、私が自意識過剰にでもなっていない限り、明らかに私を必要以上に見ている気がする。何かを言うでもなく、心弱い乙女のハートを掻き乱すような冷たく、鋭い眼差しで私を射抜く。

 その視線を背中に感じる度、視界の端に彼が映り込む度、私は絶対に視線を合わせまいと躍起になってしまう。なぜだかわからないけど、そうでもしないと動揺してしまいそうだから。

「はあ」

 彼のことを気にするあまり、テスト作業を指示する文章が全く頭に入ってこない。何度も何度も同じところを読み返している自分に呆れ、前髪を掻き上げるようにして画面と睨めっこする。

「広瀬は頑張り屋だな。もう皆、昼休憩に入ってるぞ」

 真上から降ってくる声とともに、鼻腔を掠めるマリンブルーの香りで、佐京部長が近くまで来ていることに気づく。

「あっ……」

 周りを見回すと、オフィスに残っていたのは海堂と佐京部長、そして珍しく加藤麗華もなぜだかまだデスクにいた。

「本当ですね。気付きませんでした……」

「この後、一緒にお昼でもどう?うちのビルの1階に新しいサンドウィッチの店ができたと聞いたが、少しお洒落すぎて俺一人ではなかなか入りづらいんだよな」

 彼は少し困ったように笑った。

 隣のデスクの加藤さんは、スマホをいじりながら静かに座っていたが、そのピンとした耳と、先ほどから全く変わっていないスマホの画面が、彼女の意識は完全に私たちの会話に向いていることを表していた。

 こういうのは正直、少し困る。ただでさえ人気者の部長が私と二人でランチをしたと話が出回れば、私のこのオフィスでの立ち位置も微妙なものになることは間違いない。

「すみません、私、実は今日お弁当を持ってきてしまったんです。せっかくお誘い頂いたのに、本当に申し訳ございません」

 ぺこりと頭を下げて申し訳なさが伝わることを祈る。
  
「そう謝るな、こっちまで何か悪いことをしたような気分になるだろ。……まあ、あそこは夜遅くまで空いているし、広瀬さえよければ、今日、仕事帰りにでもどう?」

 私は僅かに目を見張る。部長にしては、お誘いが少し強引に感じる。

 佐京部長のことは決して嫌ではないし、彼から向けられる好意は純粋に嬉しく思う。だが、彼の瞳を覗き込めば、なぜだか私は猜疑を抱かずにはいられない。その理由は、きっとあの時に聞いた噂のせいだ。

『ねえ、佐京部長ってうちの会社の他の部門の女性と不倫したことが離婚の原因らしいよ』

 彼の離婚が周知の事実になったと同時に、周りの女子がよく話題にしていたことだった。元々結婚していた頃でも、肉食な女性がお構いなしにアタックしていたのは何度も目撃していたことだし。

「あ、今日の仕事が終わってからですか……」

 私は今日の予定を確認する素振りを見せた。もちろん、予定などは一切入れてない。どの口実を使ってこのお誘いを断るか、私は逡巡していた。

「広瀬さん、今夜は残業確定ですよ。来週リリースする新機能のチェックがまだまだできていませんので……部長には申し訳ないですがね」

 ヘッドホンをしていたはずの海堂がいきなり口を挟み、私は事態の展開に驚くが、内心少しほっとしていた。

「すみません、部長」

「……それなら、仕方ないな。また今度な」

 去り際の部長の表情が一瞬曇った気がしたのは、気のせいだろうか。
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