【完結】醜い王妃シャルロッテと彼女の愛した国王陛下 ~アタイがあんたを守ると決めた 十四歳の王妃様の死に戻りループ人生~
醜い王妃シャルロッテと彼女の愛した国王陛下
「王妃、シャルロッテ・エアレーズング! 民を抑圧し、搾取し、国に飢えと貧困をもたらした罪で、国王と同じく斬首刑を言い渡す! 元王妃をここに!」
「殺せ! 殺せ!」
「王族はみな殺せ!」
革命軍に任命された新たな裁判官、元右大臣バルトロメウスにその名を呼ばれた十七歳の醜いアタイは、両脇から左右の腕を抱えられ、引きずられ、そして断頭台の前に立たされた。
「何か言い残すことは?」
言い残すこと?
決まってンだろ。
ひとつしかねえよ。
「くたばれ、〇〇〇〇野郎」
ぺっ。
あわれ、顔を近づけた元右大臣の眉間に、アタイの唾が張り付いた。
けっ、ざまあみやがれ。
「な、なんと無礼な、なんと野蛮な!」
「王国守るため戦ってきた兵士達を無惨にも殺しに殺してクーデター起こしたテメエらに言われたかねえんだよ」
「な、な、な……」
「何が三月革命だ、何が民主化だ。そうやってテメエのカネになる為なら戦争だってやる、ドブネズミ以下のゲス野郎だってンだよ、テメエら革命軍は」
「ええい、だまれ、だまれ醜い王妃め! もう二度と汚い口を叩けぬよう、この女の首を、早く落としてしまえ!」
ぐい。
アタイは断頭台に頭を押し付けられた。
あっはははははは!
醜い、アバタだらけのアタイは笑った。
たぶん、人生でいちばん、誇らしげに。
胸を張って。
笑ってやったよ。
「みんな、見てろよ、あんたらが正義だって信じてたものが、どンだけ残酷か! どンだけ馬鹿げてたか! 見てなよ、今からアタイが──」
どんっ。
ギロチンは落ちてアタイの首が宙を舞う。
あーあ。
くっそだせえ人生だったなあ。
父さん。
あんたが言ってたほど、王宮、別に悪くなかったよ。
みんな良い奴すぎてさ。
みんな最期までにこにこしてさ。
王妃様はなにも心配要りませんよとか言ってさ。
なんかつまんねえの。
母さん。
あんたが王族に一生懸命身体を売って嫁がせたアタイの王様、さっき死んじまったよ。
アタイのこと綺麗だって言ってくれた、世界でたった一人のあの人だよ。
いつもにこにこお人好しでさ。
右大臣なんかに騙される、あの馬鹿野郎だよ。
断頭台でも笑ってたよ。
父さん。
アタイ、死んじまったよ。
母さん。
アタイ、死んじまった──
……
「聞こえますか」
……
「聞こえますか」
あ?
誰だあんた。
てか、ここどこだ?
「聞こえますか」
わー!
あ、なんかあそこでアタイの首が掲げられてる。
けっ、ばかじゃねえの、あンなやつらのことみんな信じちゃってよ。
「聞こえますか、シャルロッテ・エアレーズング陛下」
「聞こえてンよ、うっせえなっ」
平手打ちしてやろうと手を振りあげて、気がつく。
あれ?
あれ……?
「アタイ……首……くっついてる?」
「そうですね」
「え、死んでないの? アタイ?」
「いいえ。陛下は二分と四十八秒前に、頚椎断裂で崩御なさいました」
「え、えええええ?」
「ご安心を。もう一度やり直す機会を提供させていただきたく、馳せ参じました」
アタイは、跪くその声の主を、改めて見直した。
「申し遅れました。私、ミソラと申します」
ミソラぁ?
ヘンな名前だなあ。
なんか、赤毛でくせっ毛のアタイとは違った、見慣れない真っ黒い髪の毛に……なんだ、赤いフチの……薄いガラス細工で出来た……なんつったかな、メガネ? それをつけてる。
「本来は別の役目を仰せつかっておりますが、この度担当の者が不在のため、代理を。お許しください。……どうかお見知り置きを」
「……で、やり直すって、ナニ?」
アタイは不信感満載で聞く。
「陛下とこの国が間違えないよう、もう一度やり直せます」
「けっ」
ばっかじゃねえの?
「もうとっくに間違えてるんだよ」
「エアレーズング王を斬首刑に処したからですか」
「……そのずっと前からだよ」
「はい、『そのずっと前』から、やり直すことが可能となっております」
そのミソラ……とかいう奴は、手にした紙をぱらぱらとめくっている。
「具体的には……三年九ヶ月と十八日、五時間十五分前からです」
「三年……九ヶ月だって……?」
「はい。陛下が王妃として十四歳で王宮にお輿入れをなさいました、その日からでございます」
「……ほんとに、ほんとにその日から、やり直せるの?」
「はい。間違いございません」
コイツが言ってることは、正直信用できない。
……けど、あの馬鹿が……
あのひとが、死なずにすむってンなら。
「……わかった、やってやンよ」
ありがとうございます。
そういうと、赤メガネのソイツは、ぺこりと頭をさげた。
これまた、馬鹿みたいににこにこした笑顔で。
なんか、拍子抜けだなあ。
そんなこと、考えてたら、眠くなってきた……
……
「──ッテ。シャルロッテ」
あん?
なんだよ、うっせえな。
「シャルロッテ。大丈夫かい」
──あ。
柔らかい金髪。
紫がかった、青く澄んだ瞳。
もう二度と会えなくなったはずの。
大好きな大好きな、アタイの愛しいエヴァの顔が、目の前にあった。
「だ、大丈夫……だよ……じゃなかった、です」
「良かった」
エーヴァルトは背中に回した腕で、アタイを起こした。
「コルセットがキツかったかな。だから女性のコルセットは禁じようと、大臣にも言っておいたのに」
「あの……」
「ん? どうしたんだい?」
「今日、何月何日だっけ……でしたかしら?」
「はは、そんなに緊張してる? 参ったな」
アタイの愛しいエヴァは、左目の下あたりをぽりぽりとかいた。
アタイがすごく好きな、彼のクセ。
「九月一日。君と僕にとってとても大事な日になるはずだ」
ああ、神様……じゃなかった、ミソラ様。
ほんとに……
ほんとに……
「エヴァ……ああ、アタイ……わたくしのエヴァ」
「おおっと、はは。わかってる。僕も愛してる」
ぎゅーっ。
「会いたかった。会いたかったです……」
ああ、あったけえ……あったけえなあ……
「どうしたんだい、今日は? いつもの威勢は?」
「……こうさせてくださいまし」
アタイ、好きだったんだ、あんたのことが。
世界で、あんたただひとりだけなんだよ。
こんなアバタだらけの酷い顔したアタイを、綺麗って言ってくれたのは。
……
挙式は、あっという間に終わった。
いや、実際長かったンだけどさ。
頭ン中の思い出と、全く同じ二回目の経験って、不思議とあっという間に感じるものなんだよな。
「愛してる、シャルロッテ」
「アタ……わたくしも、エーヴァルト……」
当時は真っ赤で何をしたか全然頭に入ってなかった言葉も、今のアタイにゃ、染みるもンだねえ。
「ん……」
誓いのキスが、甘くアタイの頭ン中を惚気させてくれる。
短い口付けだったけれど、アタイの時間が止まる。
さっき首を落とされた夫は。
誰よりも優しい愛を、唇越しに注ぎ込んでくれた。
わあっ。
拍手が大聖堂の女神が描かれた天井まで届く。
同じ歓声でも、こうも違うものなんだな。
ヒトを殺した時と。
ヒトを祝福した時は。
……
「おい、ブサイク女」
「ブサイク女ー」
「お前の母ちゃん、城で身体売ってんだって?」
ちげえよ、メイドやってんだよ。
「ぎゃはははは、メイドだって! 夜のお世話もお任せ下さい、国王陛下ーっ!」
「ぎゃはははは!」
「ぎゃはははは!」
だまれよ、母さんのこと、悪く言うなっ!
「君、どうしたんだい? こんなところで……」
「あ、いや……」
母さんのこと、迎えに来ただけだよ。
「綺麗な目だね……そうだ、今から舞踏会においで、ね?」
「ええっ?」
はあ?
何抜かしてンだこいつ?
頭沸いてンのか?
「陛下、探しましたぞ」
「やあ、バルトロメウスくん。メイド長を呼んでおくれ。この子に今晩の舞踏会のドレスをしたてさせてくれたまえ」
「は、はあっ?……こ、困ンだよっ、離せよっ」
「あ、きみ! 待って」
待って。
「まって、行かないで!」
「大丈夫、話し合いをしてくるだけさ」
「あんたが居なくなったら、わたくし、アタイ……」
「ふふ、いつも君はそうやって泣くね。私だけが、その優しさ美しさを知っている」
「なら──!」
なら、行かないでよ。
おいてかないでよ。
「判決、斬首刑! 元国王を断頭台へ!」
おいてかないで。
おいてかないで。
……
「おいてかないでぇぇええ!」
わあっ。
すごい絶叫で飛び起きた。
自分でもびっくりするくらい。
……おのれ、バルトロメウス。夢の中にも出てきやがって。
せっかくやり直したんだ。
もうギロチンは御免こうむり。
「……どうした? 大丈夫かい、私のシャルロッテ」
二人とも素っ裸ででかいベッドで寝ていた。
これから三年間、夫婦一緒に寝ることになる、アタイ達だけのベッド。
「泣いているのかい」
「……いいえ。なんでも……ありません」
いや、アタイだけなら、いい。
でもこの馬鹿だけは。
……このひとだけは。
絶対に守らないと。
「おいで、怖い夢でも見たんだろう」
「陛下……アタイの……わたくしのお話……聞いてくださいませんか」
……
「バルトロメウスが? ……はっはっは」
「なンだよ、嘘じゃねえって」
「いや、いや、それはないよ」
こ、こいつ……信じてくれやしねえ。
馬鹿野郎、こちとらギロチンで首もぎ取られてンだぞ。
「ほんとだって。アイツ、優しそうに見えるけど、裏ではどんなことしてるかわからねえんだよ」
「シャルロッテ」
「なンで信じてくれねえの? だからあいつがクーデターを……」
「シャルロッテ」
「なンだよ!」
「しー。私は、君のお話を聞くのは好きだよ。声も好きだ。その喋り方だって、好きだ。……でもね」
「……でも?」
「まだ何もしていないひとを、疑ったり、貶めるのは、どうかな?」
バッカやろー、そんな、そんな甘ぇこと言ってっからハメられるんだよ!
「……陛下はアタイのこと、信じてくれねえんだな」
「そんなことはない。……わかった。バルトロメウスの傍に密偵をひとりつかせよう。大丈夫、プロ中のプロだ、本人にも気づかれないさ」
「……ありあとね……」
「さ、おいで、私の愛しい君。その愛らしい顔をよく見せておくれ」
拗ねて口をとんがらせたあたしの口を、やさしく、やさしく塞いだ。
……
「バルトロメウス、これは一体どういうことだ」
アタイの陛下が怒ってる。
アタイが見たことの無い、顔で。
「陛下、これは……その……」
「私にひと言もことわらず、西の砦になぜこれだけの兵をあつめた?」
「へ、陛下のお耳にわざわざ入れるようなことではありません。これはただの練度向上のための訓練でございまして」
バルトロメウスはもう既に落ち着きを取り戻しつつある。
このまま優しいこいつを懐柔しようってンだろうけど、そうはいかねえよ?
「そうかい、じゃこれはなんだってンだよ!」
アタイが大臣を集めたテーブルに叩きつけたのは、一枚の紙。兵団長に宛てた、王都包囲網と王宮への攻撃指令書。
ご丁寧に、このオッサンの名前と印が押してある。
「テメエがこの国にクーデターを仕掛けようってしてた、決定的な証拠だろうがっ!」
「くっ」
バルトロメウスの額にみるみる脂汗が浮かぶ。
「この醜い醜いアバズレが! きさまがいなければ俺がこの国のリーダーになれたのにっ!」
そう叫びながら、剣を抜いてアタイに斬りかかってきた。
でも。
きんっ。
四メートル後ろに、バルトロメウスの剣は吹き飛んで、床に刺さった。
「私に対するクーデターなら、百歩譲って目をつぶろう。しかし、私の美しい妻を貶める発言、断じて許さん」
目、つぶるんかい。
けど、こいつの目は本気だった。
「バルトロメウス、国王エーヴァルト・エアレーズングの名において、その任を解いた上、然るべき法の裁きを与える」
「う……ううう……」
剣を鋭く突きつけるアタイの世界でいちばん好きな夫。
どさり、と力無く膝から崩れ落ちる哀れな小物。
こうして、アタイはループ人生にケリをつけたってわけ。
めでたし、めでたし。
「さ、この事はもう済んだ。行こうか」
「え?」
「はは。君は本当にマイペースだね。今日は君の十五歳の誕生日じゃないか」
あ、そうだった。
アタイ、やり直してから一日が過ぎるのがあっという間で、誕生日とか気にしたことも無かったんだった。
「行こう、私のシャルロッテ」
さっきまで、命の危険があったとは思えない、優しい笑顔。
ああ、こいつ、やっぱ好きだわ、アタイ。
「……ん」
手を握り返してくれるその温かさは、本物だった。
……
「王妃さま、ばんざい」
「王妃さま、ばんざい」
屋根のない馬車に乗ったアタイたちを、王都のみんながお祝いしてる。
王国もクーデターの危機から脱したし、アタイ、満足だよ。
「なあ」
「なんだい、シャルロッテ」
「これからも、ずっとアタイのそばに居てくれるかい」
「はは。何言ってる。当たり前じゃないか」
手を振りながら、アタイのエヴァは笑う。
「ずっと。ずっと一緒さ。このパレードも、毎年開こう。国のみんなに祝ってもらおう」
「……ん……」
アバタだらけでブサイクなアタイを、みんなが褒めたたえて、お祝いしてくれている。
隣には、世界でいちばん好きなひと。
「王妃さま、ばんざい」
「王妃さま、ばんざい」
ああ、しあわせ。
ああ、しあわせ。
ああ、なんて──
だーん。
……
「お疲れ様でございました」
「なにが」
「陛下はこの国をクーデターから救い、亡きエーヴァルト王の意思を継ぎ、これから女王としてこの国を統治なさいます」
「女王」
「ええ。陛下の存在が、この国のみならず周辺国にも多大に良い影響を。戦も無くなり、数多の命を救うのです」
「だれが」
「陛下であらせられます。シャルロッテ・エアレーズング女王陛下。これで、私の代役としての務めもおわり」
パレードは大混乱。
逃げ惑うひと。
恐怖を顔に浮かべたひと。
あいつが犯人だと叫ぶひと。
ピストルを持った、男。
あいつは知っている。
バルトロメウスの側近だった。
全てが切り取られた絵画のように静止して、止まっている。
アタイのエーヴァルト国王陛下は。
額から血と脳漿を吹いて、膝立ちに崩れ落ちている最中。
アタイの手を握ったまま。
「……せ」
「はい?」
──やり直せっつってンだよ!
このクソメガネがぁぁ!
びしっ。
アタイの平手打ちが、ミソラの頬を打った。
かしゃん。
赤メガネが飛んだ。
エヴァの、血みたいに。
……
「え、パレードは中止にする?」
突然のアタイの申し出に、エヴァは目を丸くする。
そりゃそうだよな。
ごめんな。
でもアタイ、あんたに死んで欲しくないんだよ。
「あ、ああ。ちょっと、そんな気分じゃなくなっちまってよ」
「シャルロッテ、この準備にどれ程の民の税が……」
「だよな、わかってンだ、アタイも。でもお願いだよ、頼むから……」
アタイは手を取って目を合わせる。
「……お願い……」
「……わかった。きっと、なにか理由があるんだろう。君を信じるよ」
そう言うと、にっこりと笑った。
……
その晩、貴族を招いたパーティの席で。
アタイのエーヴァルト国王陛下は、血を吹いて倒れた。
「アンタみたいなブサイクに盗られるくらいなら、盗られるくらいなら!」
招かれていた大公の娘が取り押さえられながら泣きわめいている。
アタイに一目惚れしたあいつがフった、婚約者だった。
頬に付いた血が、口元に流れ込んできた。
ぶどう酒より、あたたかだった。
……
晩餐会は中止にした。
アタイの誕生日も、民には伏せるように言った。
アタイのエーヴァルト国王陛下は、にっこり笑っていいよ、と言った。
バルトロメウスは失脚させた。
大公の娘には、新しい男を見繕った。
誕生日は、二人だけで、王妃の部屋で祝うことにした。
アタイは、細心の注意を払った。
なんとか誕生日を乗り越えた。
ほっとした。
肩の力が抜けた。
それから、二年の間、何も無かった。
隣の国と戦争を始めた以外は。
アタイは気付かなかった。
エヴァを守ることばかりに気を遣っていたから。
アタイのエーヴァルト国王陛下から笑顔が、いつの間にか消えていたことを。
……
いつの間にか、エーヴァルト国王陛下は、隣国の宗教を否定し、戦争をしかけ、人々を王国の収容所に送った。
いつの間にか、エーヴァルト国王陛下は、世界の全部を敵に回していた。
いつの間にか、エーヴァルト国王陛下は、国の旗を変えていた。
逆さ鉤十字が中央に描かれた、あの忌まわしい旗に。
……
そして、戦争はあっという間に負けた。
王宮は包囲され、降伏も時間の問題だ。
アタイの愛するエーヴァルト国王陛下は、王宮下の防空壕にアタイを呼んだ。
そしてソファで一緒に、隣に座った。
アタイは、ここに来てもまだ、気づいていなかった。
もう、エーヴァルト国王陛下なんて。
アタイのエーヴァルト国王陛下なんて。
この世のどこにも居なくなってしまっていたことに。
……
「ええ。陛下の存在が、この国のみならず周辺国にも多大に良い影響を。戦も無くなり、数多の命を救うのです」
……
「君、どうしたんだい? こんなところで……」
「あ、いや……母さんのこと、迎えに来ただけだよ」
「綺麗な目だね……そうだ、今から舞踏会においで、ね?」
「いいえ。陛下。それには及びません」
「はは。気にしなくて──」
「さよなら」
あっ、待って。
アタイが、愛しのエーヴァルトの声を聞いたのは、それが最後だった。
……
王国は栄えた。
エーヴァルト国王陛下と大公の娘だった王妃様は、おしどり夫婦として国内外に知れ渡った。
優しい王妃様の献身により、エーヴァルト王は優しい王だと皆が胸を張る。
アタイも、鼻が高い。
そのアタイはさっき、死んだ。
離婚された母さんが過労で死んで、その二十日後だった。
ここ数日。
ろくに物を食べていなかった。
物乞いをしに大通りを歩いていたところ、国王陛下の馬車に轢かれたのだ。
「どうした?」
アタイのエヴァが馬車から顔を出す。
「いいえ、何かにぶつかったようですが……なんでもなかったようです」
馬を引く男はそう言うと、馬車の端で倒れたアタイに気づきもせずに、馬車を走らせた。
アタイは満足だった。
最後にエヴァの顔が見れたから。
アタイは満足だった。
とても幸せそうに見えたから。
とても。
……
アタイ、十四歳。
六ヶ月と八日のことだった。
【完】
「殺せ! 殺せ!」
「王族はみな殺せ!」
革命軍に任命された新たな裁判官、元右大臣バルトロメウスにその名を呼ばれた十七歳の醜いアタイは、両脇から左右の腕を抱えられ、引きずられ、そして断頭台の前に立たされた。
「何か言い残すことは?」
言い残すこと?
決まってンだろ。
ひとつしかねえよ。
「くたばれ、〇〇〇〇野郎」
ぺっ。
あわれ、顔を近づけた元右大臣の眉間に、アタイの唾が張り付いた。
けっ、ざまあみやがれ。
「な、なんと無礼な、なんと野蛮な!」
「王国守るため戦ってきた兵士達を無惨にも殺しに殺してクーデター起こしたテメエらに言われたかねえんだよ」
「な、な、な……」
「何が三月革命だ、何が民主化だ。そうやってテメエのカネになる為なら戦争だってやる、ドブネズミ以下のゲス野郎だってンだよ、テメエら革命軍は」
「ええい、だまれ、だまれ醜い王妃め! もう二度と汚い口を叩けぬよう、この女の首を、早く落としてしまえ!」
ぐい。
アタイは断頭台に頭を押し付けられた。
あっはははははは!
醜い、アバタだらけのアタイは笑った。
たぶん、人生でいちばん、誇らしげに。
胸を張って。
笑ってやったよ。
「みんな、見てろよ、あんたらが正義だって信じてたものが、どンだけ残酷か! どンだけ馬鹿げてたか! 見てなよ、今からアタイが──」
どんっ。
ギロチンは落ちてアタイの首が宙を舞う。
あーあ。
くっそだせえ人生だったなあ。
父さん。
あんたが言ってたほど、王宮、別に悪くなかったよ。
みんな良い奴すぎてさ。
みんな最期までにこにこしてさ。
王妃様はなにも心配要りませんよとか言ってさ。
なんかつまんねえの。
母さん。
あんたが王族に一生懸命身体を売って嫁がせたアタイの王様、さっき死んじまったよ。
アタイのこと綺麗だって言ってくれた、世界でたった一人のあの人だよ。
いつもにこにこお人好しでさ。
右大臣なんかに騙される、あの馬鹿野郎だよ。
断頭台でも笑ってたよ。
父さん。
アタイ、死んじまったよ。
母さん。
アタイ、死んじまった──
……
「聞こえますか」
……
「聞こえますか」
あ?
誰だあんた。
てか、ここどこだ?
「聞こえますか」
わー!
あ、なんかあそこでアタイの首が掲げられてる。
けっ、ばかじゃねえの、あンなやつらのことみんな信じちゃってよ。
「聞こえますか、シャルロッテ・エアレーズング陛下」
「聞こえてンよ、うっせえなっ」
平手打ちしてやろうと手を振りあげて、気がつく。
あれ?
あれ……?
「アタイ……首……くっついてる?」
「そうですね」
「え、死んでないの? アタイ?」
「いいえ。陛下は二分と四十八秒前に、頚椎断裂で崩御なさいました」
「え、えええええ?」
「ご安心を。もう一度やり直す機会を提供させていただきたく、馳せ参じました」
アタイは、跪くその声の主を、改めて見直した。
「申し遅れました。私、ミソラと申します」
ミソラぁ?
ヘンな名前だなあ。
なんか、赤毛でくせっ毛のアタイとは違った、見慣れない真っ黒い髪の毛に……なんだ、赤いフチの……薄いガラス細工で出来た……なんつったかな、メガネ? それをつけてる。
「本来は別の役目を仰せつかっておりますが、この度担当の者が不在のため、代理を。お許しください。……どうかお見知り置きを」
「……で、やり直すって、ナニ?」
アタイは不信感満載で聞く。
「陛下とこの国が間違えないよう、もう一度やり直せます」
「けっ」
ばっかじゃねえの?
「もうとっくに間違えてるんだよ」
「エアレーズング王を斬首刑に処したからですか」
「……そのずっと前からだよ」
「はい、『そのずっと前』から、やり直すことが可能となっております」
そのミソラ……とかいう奴は、手にした紙をぱらぱらとめくっている。
「具体的には……三年九ヶ月と十八日、五時間十五分前からです」
「三年……九ヶ月だって……?」
「はい。陛下が王妃として十四歳で王宮にお輿入れをなさいました、その日からでございます」
「……ほんとに、ほんとにその日から、やり直せるの?」
「はい。間違いございません」
コイツが言ってることは、正直信用できない。
……けど、あの馬鹿が……
あのひとが、死なずにすむってンなら。
「……わかった、やってやンよ」
ありがとうございます。
そういうと、赤メガネのソイツは、ぺこりと頭をさげた。
これまた、馬鹿みたいににこにこした笑顔で。
なんか、拍子抜けだなあ。
そんなこと、考えてたら、眠くなってきた……
……
「──ッテ。シャルロッテ」
あん?
なんだよ、うっせえな。
「シャルロッテ。大丈夫かい」
──あ。
柔らかい金髪。
紫がかった、青く澄んだ瞳。
もう二度と会えなくなったはずの。
大好きな大好きな、アタイの愛しいエヴァの顔が、目の前にあった。
「だ、大丈夫……だよ……じゃなかった、です」
「良かった」
エーヴァルトは背中に回した腕で、アタイを起こした。
「コルセットがキツかったかな。だから女性のコルセットは禁じようと、大臣にも言っておいたのに」
「あの……」
「ん? どうしたんだい?」
「今日、何月何日だっけ……でしたかしら?」
「はは、そんなに緊張してる? 参ったな」
アタイの愛しいエヴァは、左目の下あたりをぽりぽりとかいた。
アタイがすごく好きな、彼のクセ。
「九月一日。君と僕にとってとても大事な日になるはずだ」
ああ、神様……じゃなかった、ミソラ様。
ほんとに……
ほんとに……
「エヴァ……ああ、アタイ……わたくしのエヴァ」
「おおっと、はは。わかってる。僕も愛してる」
ぎゅーっ。
「会いたかった。会いたかったです……」
ああ、あったけえ……あったけえなあ……
「どうしたんだい、今日は? いつもの威勢は?」
「……こうさせてくださいまし」
アタイ、好きだったんだ、あんたのことが。
世界で、あんたただひとりだけなんだよ。
こんなアバタだらけの酷い顔したアタイを、綺麗って言ってくれたのは。
……
挙式は、あっという間に終わった。
いや、実際長かったンだけどさ。
頭ン中の思い出と、全く同じ二回目の経験って、不思議とあっという間に感じるものなんだよな。
「愛してる、シャルロッテ」
「アタ……わたくしも、エーヴァルト……」
当時は真っ赤で何をしたか全然頭に入ってなかった言葉も、今のアタイにゃ、染みるもンだねえ。
「ん……」
誓いのキスが、甘くアタイの頭ン中を惚気させてくれる。
短い口付けだったけれど、アタイの時間が止まる。
さっき首を落とされた夫は。
誰よりも優しい愛を、唇越しに注ぎ込んでくれた。
わあっ。
拍手が大聖堂の女神が描かれた天井まで届く。
同じ歓声でも、こうも違うものなんだな。
ヒトを殺した時と。
ヒトを祝福した時は。
……
「おい、ブサイク女」
「ブサイク女ー」
「お前の母ちゃん、城で身体売ってんだって?」
ちげえよ、メイドやってんだよ。
「ぎゃはははは、メイドだって! 夜のお世話もお任せ下さい、国王陛下ーっ!」
「ぎゃはははは!」
「ぎゃはははは!」
だまれよ、母さんのこと、悪く言うなっ!
「君、どうしたんだい? こんなところで……」
「あ、いや……」
母さんのこと、迎えに来ただけだよ。
「綺麗な目だね……そうだ、今から舞踏会においで、ね?」
「ええっ?」
はあ?
何抜かしてンだこいつ?
頭沸いてンのか?
「陛下、探しましたぞ」
「やあ、バルトロメウスくん。メイド長を呼んでおくれ。この子に今晩の舞踏会のドレスをしたてさせてくれたまえ」
「は、はあっ?……こ、困ンだよっ、離せよっ」
「あ、きみ! 待って」
待って。
「まって、行かないで!」
「大丈夫、話し合いをしてくるだけさ」
「あんたが居なくなったら、わたくし、アタイ……」
「ふふ、いつも君はそうやって泣くね。私だけが、その優しさ美しさを知っている」
「なら──!」
なら、行かないでよ。
おいてかないでよ。
「判決、斬首刑! 元国王を断頭台へ!」
おいてかないで。
おいてかないで。
……
「おいてかないでぇぇええ!」
わあっ。
すごい絶叫で飛び起きた。
自分でもびっくりするくらい。
……おのれ、バルトロメウス。夢の中にも出てきやがって。
せっかくやり直したんだ。
もうギロチンは御免こうむり。
「……どうした? 大丈夫かい、私のシャルロッテ」
二人とも素っ裸ででかいベッドで寝ていた。
これから三年間、夫婦一緒に寝ることになる、アタイ達だけのベッド。
「泣いているのかい」
「……いいえ。なんでも……ありません」
いや、アタイだけなら、いい。
でもこの馬鹿だけは。
……このひとだけは。
絶対に守らないと。
「おいで、怖い夢でも見たんだろう」
「陛下……アタイの……わたくしのお話……聞いてくださいませんか」
……
「バルトロメウスが? ……はっはっは」
「なンだよ、嘘じゃねえって」
「いや、いや、それはないよ」
こ、こいつ……信じてくれやしねえ。
馬鹿野郎、こちとらギロチンで首もぎ取られてンだぞ。
「ほんとだって。アイツ、優しそうに見えるけど、裏ではどんなことしてるかわからねえんだよ」
「シャルロッテ」
「なンで信じてくれねえの? だからあいつがクーデターを……」
「シャルロッテ」
「なンだよ!」
「しー。私は、君のお話を聞くのは好きだよ。声も好きだ。その喋り方だって、好きだ。……でもね」
「……でも?」
「まだ何もしていないひとを、疑ったり、貶めるのは、どうかな?」
バッカやろー、そんな、そんな甘ぇこと言ってっからハメられるんだよ!
「……陛下はアタイのこと、信じてくれねえんだな」
「そんなことはない。……わかった。バルトロメウスの傍に密偵をひとりつかせよう。大丈夫、プロ中のプロだ、本人にも気づかれないさ」
「……ありあとね……」
「さ、おいで、私の愛しい君。その愛らしい顔をよく見せておくれ」
拗ねて口をとんがらせたあたしの口を、やさしく、やさしく塞いだ。
……
「バルトロメウス、これは一体どういうことだ」
アタイの陛下が怒ってる。
アタイが見たことの無い、顔で。
「陛下、これは……その……」
「私にひと言もことわらず、西の砦になぜこれだけの兵をあつめた?」
「へ、陛下のお耳にわざわざ入れるようなことではありません。これはただの練度向上のための訓練でございまして」
バルトロメウスはもう既に落ち着きを取り戻しつつある。
このまま優しいこいつを懐柔しようってンだろうけど、そうはいかねえよ?
「そうかい、じゃこれはなんだってンだよ!」
アタイが大臣を集めたテーブルに叩きつけたのは、一枚の紙。兵団長に宛てた、王都包囲網と王宮への攻撃指令書。
ご丁寧に、このオッサンの名前と印が押してある。
「テメエがこの国にクーデターを仕掛けようってしてた、決定的な証拠だろうがっ!」
「くっ」
バルトロメウスの額にみるみる脂汗が浮かぶ。
「この醜い醜いアバズレが! きさまがいなければ俺がこの国のリーダーになれたのにっ!」
そう叫びながら、剣を抜いてアタイに斬りかかってきた。
でも。
きんっ。
四メートル後ろに、バルトロメウスの剣は吹き飛んで、床に刺さった。
「私に対するクーデターなら、百歩譲って目をつぶろう。しかし、私の美しい妻を貶める発言、断じて許さん」
目、つぶるんかい。
けど、こいつの目は本気だった。
「バルトロメウス、国王エーヴァルト・エアレーズングの名において、その任を解いた上、然るべき法の裁きを与える」
「う……ううう……」
剣を鋭く突きつけるアタイの世界でいちばん好きな夫。
どさり、と力無く膝から崩れ落ちる哀れな小物。
こうして、アタイはループ人生にケリをつけたってわけ。
めでたし、めでたし。
「さ、この事はもう済んだ。行こうか」
「え?」
「はは。君は本当にマイペースだね。今日は君の十五歳の誕生日じゃないか」
あ、そうだった。
アタイ、やり直してから一日が過ぎるのがあっという間で、誕生日とか気にしたことも無かったんだった。
「行こう、私のシャルロッテ」
さっきまで、命の危険があったとは思えない、優しい笑顔。
ああ、こいつ、やっぱ好きだわ、アタイ。
「……ん」
手を握り返してくれるその温かさは、本物だった。
……
「王妃さま、ばんざい」
「王妃さま、ばんざい」
屋根のない馬車に乗ったアタイたちを、王都のみんながお祝いしてる。
王国もクーデターの危機から脱したし、アタイ、満足だよ。
「なあ」
「なんだい、シャルロッテ」
「これからも、ずっとアタイのそばに居てくれるかい」
「はは。何言ってる。当たり前じゃないか」
手を振りながら、アタイのエヴァは笑う。
「ずっと。ずっと一緒さ。このパレードも、毎年開こう。国のみんなに祝ってもらおう」
「……ん……」
アバタだらけでブサイクなアタイを、みんなが褒めたたえて、お祝いしてくれている。
隣には、世界でいちばん好きなひと。
「王妃さま、ばんざい」
「王妃さま、ばんざい」
ああ、しあわせ。
ああ、しあわせ。
ああ、なんて──
だーん。
……
「お疲れ様でございました」
「なにが」
「陛下はこの国をクーデターから救い、亡きエーヴァルト王の意思を継ぎ、これから女王としてこの国を統治なさいます」
「女王」
「ええ。陛下の存在が、この国のみならず周辺国にも多大に良い影響を。戦も無くなり、数多の命を救うのです」
「だれが」
「陛下であらせられます。シャルロッテ・エアレーズング女王陛下。これで、私の代役としての務めもおわり」
パレードは大混乱。
逃げ惑うひと。
恐怖を顔に浮かべたひと。
あいつが犯人だと叫ぶひと。
ピストルを持った、男。
あいつは知っている。
バルトロメウスの側近だった。
全てが切り取られた絵画のように静止して、止まっている。
アタイのエーヴァルト国王陛下は。
額から血と脳漿を吹いて、膝立ちに崩れ落ちている最中。
アタイの手を握ったまま。
「……せ」
「はい?」
──やり直せっつってンだよ!
このクソメガネがぁぁ!
びしっ。
アタイの平手打ちが、ミソラの頬を打った。
かしゃん。
赤メガネが飛んだ。
エヴァの、血みたいに。
……
「え、パレードは中止にする?」
突然のアタイの申し出に、エヴァは目を丸くする。
そりゃそうだよな。
ごめんな。
でもアタイ、あんたに死んで欲しくないんだよ。
「あ、ああ。ちょっと、そんな気分じゃなくなっちまってよ」
「シャルロッテ、この準備にどれ程の民の税が……」
「だよな、わかってンだ、アタイも。でもお願いだよ、頼むから……」
アタイは手を取って目を合わせる。
「……お願い……」
「……わかった。きっと、なにか理由があるんだろう。君を信じるよ」
そう言うと、にっこりと笑った。
……
その晩、貴族を招いたパーティの席で。
アタイのエーヴァルト国王陛下は、血を吹いて倒れた。
「アンタみたいなブサイクに盗られるくらいなら、盗られるくらいなら!」
招かれていた大公の娘が取り押さえられながら泣きわめいている。
アタイに一目惚れしたあいつがフった、婚約者だった。
頬に付いた血が、口元に流れ込んできた。
ぶどう酒より、あたたかだった。
……
晩餐会は中止にした。
アタイの誕生日も、民には伏せるように言った。
アタイのエーヴァルト国王陛下は、にっこり笑っていいよ、と言った。
バルトロメウスは失脚させた。
大公の娘には、新しい男を見繕った。
誕生日は、二人だけで、王妃の部屋で祝うことにした。
アタイは、細心の注意を払った。
なんとか誕生日を乗り越えた。
ほっとした。
肩の力が抜けた。
それから、二年の間、何も無かった。
隣の国と戦争を始めた以外は。
アタイは気付かなかった。
エヴァを守ることばかりに気を遣っていたから。
アタイのエーヴァルト国王陛下から笑顔が、いつの間にか消えていたことを。
……
いつの間にか、エーヴァルト国王陛下は、隣国の宗教を否定し、戦争をしかけ、人々を王国の収容所に送った。
いつの間にか、エーヴァルト国王陛下は、世界の全部を敵に回していた。
いつの間にか、エーヴァルト国王陛下は、国の旗を変えていた。
逆さ鉤十字が中央に描かれた、あの忌まわしい旗に。
……
そして、戦争はあっという間に負けた。
王宮は包囲され、降伏も時間の問題だ。
アタイの愛するエーヴァルト国王陛下は、王宮下の防空壕にアタイを呼んだ。
そしてソファで一緒に、隣に座った。
アタイは、ここに来てもまだ、気づいていなかった。
もう、エーヴァルト国王陛下なんて。
アタイのエーヴァルト国王陛下なんて。
この世のどこにも居なくなってしまっていたことに。
……
「ええ。陛下の存在が、この国のみならず周辺国にも多大に良い影響を。戦も無くなり、数多の命を救うのです」
……
「君、どうしたんだい? こんなところで……」
「あ、いや……母さんのこと、迎えに来ただけだよ」
「綺麗な目だね……そうだ、今から舞踏会においで、ね?」
「いいえ。陛下。それには及びません」
「はは。気にしなくて──」
「さよなら」
あっ、待って。
アタイが、愛しのエーヴァルトの声を聞いたのは、それが最後だった。
……
王国は栄えた。
エーヴァルト国王陛下と大公の娘だった王妃様は、おしどり夫婦として国内外に知れ渡った。
優しい王妃様の献身により、エーヴァルト王は優しい王だと皆が胸を張る。
アタイも、鼻が高い。
そのアタイはさっき、死んだ。
離婚された母さんが過労で死んで、その二十日後だった。
ここ数日。
ろくに物を食べていなかった。
物乞いをしに大通りを歩いていたところ、国王陛下の馬車に轢かれたのだ。
「どうした?」
アタイのエヴァが馬車から顔を出す。
「いいえ、何かにぶつかったようですが……なんでもなかったようです」
馬を引く男はそう言うと、馬車の端で倒れたアタイに気づきもせずに、馬車を走らせた。
アタイは満足だった。
最後にエヴァの顔が見れたから。
アタイは満足だった。
とても幸せそうに見えたから。
とても。
……
アタイ、十四歳。
六ヶ月と八日のことだった。
【完】