如月日記物語

ここ最近のこと①

如月でございます。

ここ最近、異常気象やら過去最高気温という言葉が毎年のように聞いてます。
思えば昔は、そんなに暑くなかったなぁ。最高気温って言っても27度や28度くらいだったな~。

私は、昔からプールといった水遊びが大好きで子供のころは、実家近くにある川に入って溺れかけるという
大事件を起こしたことがあり、お父さんに抱きかかえられて助けられるということを毎年のように
思い出すことあります。
毎年、海や川での事故が多くて、胸が痛みます。
しっかりルールを守りつつ、大人の近くで遊ぶというのが安全かと思います。
悲しい事故がないことを願ってやみません。

夏になると、サイダーがやたら飲みたくなる季節でもありますが、私は、職場から帰るとき、いつも
クーリッシュを飲みながら帰るというお行儀の悪いことをしてます。
暑いからしょうがないという言い訳というか都合のよすぎる解釈をしてますが・・・・汗

前に少しドラッグストアに用事があって近くで降りて歩いて行こうとしたのですが、あまりにも慣れていない土地だったもので
迷っていたら、バスの運転手さんがバス停ではないにも関わらず、バスに乗せてくださったという
優しさに触れて涙が出ました。

終点まで乗せてくださったおかげで私は、熱中症にならずにすみました。
もしかしたらと思うと、本当に感謝しかありません。
だからこそ、私は、周りに感謝と優しさを持ち続けたいと思ってます。
バス会社に感謝のメールを送りましたが、それが本人に届くかわかりません。
でも感謝のメールを送らないよりはいいかなって思うし、お客様の感謝の声も大事だと思ってます。

6月、1年ぶりにマツダスタジアムでカープ観戦に行くことができました~!
はじめてのジェット風船に興奮したり、久しぶりのスクワット応援などで筋肉痛が現在も続いてます(笑)
森下選手を遠く遠くからしか見えませんでしたが、チョーーーカッコよかったです!
やっぱ尊い!と感じながら見てました。

また行ける日があったら行きたいと思います!(2024年6月15日付)

☆☆☆

「目指す夢は、まだ先ではあるが」

子供のころから、文章書いて物語書くのが大好きだった私は、よく「上手だね」と褒められていた。
それが嬉しくて、たまらなかった。
小学生のころ、平和記念公園にいくことがあって、クラスメイトみんなで千羽鶴を折って、平和の子の像のモデルになった
偵子さんに送ることになった。
その時は、詳しくまで覚えてないが、私は、平和の会の司会を務めることになり、どうしようかと悩んだが、担任の先生と
一緒に考えて、一生懸命練習した。

迎えた当日、誰もほとんど聞いてくれなくて、悲しかった。
帰りのバスの中、先生が叱ってくれた。そして、褒めててくれた。
心折れたけれど、先生が褒めてくれたことだけで本当に胸がいっぱいになった。

ここから小説家になりたいと夢抱くまでは、まだ少し先になります。

親に電話が来て、担任の先生から「今日のとわちゃん、すごい司会上手だったんですよ~。さすが、如月さんの娘さんですね。」と
すごいお褒めのお言葉いただいた。
わざわざ電話までいただいて、本当に感無量な一日だったことは、忘れないです。(2024年6月17日付)

☆☆☆

「憧れだったヒーローと会えた日」

小学校低学年くらいから特撮ヒーロー大好きだった私は、毎週日曜日の朝が本当に楽しみだった。
月曜日から金曜日は、学校へ行って、宿題をして、友達と遊ぶという日々を送りました。
土曜日の夜は、本当にわくわくして眠れなかったほど日曜日の朝が本当に楽しみでした。

待ちに待った日曜日は、仮面ライダーと戦隊ヒーローを妹と見て、感想を語り合うのが日課でした。
スーパーに行けば、母親に仮面ライダーのソフビや戦隊ヒーローのソフビをねだって買ってもらってました。
(消費税5%だった時代がとっても懐かしい・・・)

もちろん少女アニメも大好きでしたが、何より戦隊ヒーローがカッコよくて、私は、どちらかというと
特撮女子でした。ヒーローショーにも連れて行ってもらってたほどでしたから。
ショッピングモールにいくと今は、パン屋さんになってしまってる場所にヒーローショーをよくやってた場所でした。
ライダーが赤から青へと変化する演出に「本当に変身したんだ!」とキラキラしておりました。

そして、社会人になった今、小学校高学年に毎週欠かさず見てた戦隊ヒーローに出てた俳優さんが職場先でドリンク販売に来てくれることになり、仕事終わりに行きました。

「あの・・・当時、戦隊見てました」*著作権の関係で番組名などは伏せます*

「ありがとう!」

憧れの戦隊ヒーローの俳優さんに直接、見てました。大好きでした。という気持ちを伝えられたあの日は、まるで
大好きな人に告白するような気持でした。
本当に心臓が口から出るんじゃないかと思うくらいでした!

お忙しいのにサインしてもらって、ツーショットも撮らせていただき、本当に本当に感謝してます。
ありがとうございます!
死んでも一生忘れることのない思い出になりました。
サインも写真も家宝にしてます。(2024年6月16日付の思い出)

☆☆☆

「我が家の大王」

如月家には、破壊大王の兄がいます。
彼は、昔から買ってもらったおもちゃを初日で壊すほどです。
私のお気に入りだったロボットアニメのおもちゃも何度壊されて、泣かされたか。
被害は、数えきれないほどある。

包丁持たせれば怪我する、台風が来れば遊びに行く

彼には、常に危険はつきものであった。

骨折、針を縫うほどのケガは、当たり前だった。それでも泣かないのは、尊敬はする。

そんな私が兄によって被害あった怪我は、一生忘れることない出来事がある。

私が三輪車で遊んでるとき、兄が来て、一緒に遊んでくれるんだと思った矢先、そんな期待は、シャボン玉のように
一瞬で消えることになり、なんと私の背中を押して、坂道を下って、坂道下にあった車庫に顔面をぶつけてしまい、前歯二本を失う怪我を負った。
口は、血まみれで私も何が起こったのか一瞬わからず、兄が来て、私を見て大泣き。

すぐ母親を呼びに行ってくれた。
思うことを言うと「お前が背中を押したせいだろう!」と言いたかった。

「とわがケガをした!」と大泣きして呼び行った兄が来て、母親は、大慌ててで歯科医に連れてってくれた。

歯医者さんもびっくり仰天な出来事だっただろうなぁと思う。

幸い、乳歯だったからよかった(よかったと言えるのかわかりませんが)

これは、死んでも永遠に忘れることのない怪我である。
当人は、もうすっかり忘れてるが、私は、今も忘れてない。

やった側は忘れてもやられた側は忘れないってよく聞くけど、まさに本当なのかもしれない。(2024年6月28日付)

☆☆☆

「障害者になった日」

私は、小学校4年生あたりから勉強についていけなくなりました。
運動もたいして得意でもない。
算数がどうしても苦手で、難しくて、誰に教わってもわからなさ過ぎて、泣いたことあります。
でも唯一、音楽と国語だけは好きでした。

国語だけは、得意科目だったのでそれは、救いでした。
字を綺麗に書くようになったのもこの時からでした。字を先生が見てあまりに汚かったら
全部書き直しさせるというのでそれが嫌で嫌できれいに書くようになりました。

5年生からもう確実に勉強についていけなくなり、学校に行くのも嫌になったのもここからです。
下級生からもバカにされるし、同級生からもイジメられるし、もう嫌だと思って救ってくれたのは、担任の先生でした。
本当に先生は、見ててくれたんだなとか言う勇気もなかった私を救ってくれ、本当に感謝しかありません。

下級生から「クソババア」呼ばわりされたこと、今でも根に持ってます。
大人になった今もちょっとだけですが、「不幸になれ」と思ったりします。(性格悪いな、私・・・)

中学生で発達障害あることが分かり、人間関係築くのも難しいですが、こうやって小説書くのも得意と気づいたのも
全部恵まれた環境にあるのだと思います。(2024年6月28日付)
< 1 / 4 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop