如月日記物語
「両親が倒れた日」

小学校6年の夏、父は、鬱、母は、癌になってしまった。告げられた時、今後どうなるのか
不安になった。夏休みの登校日は、友達に会えるから楽しみにしてたけど、欠席をせざるを得なかった。
手術も成功するかしないかで不安になって、3時間が5時間くらいの感覚だった。

先生から「成功です。」と言われたとき、安心した。
母は、とてもしんどそうだった。父もしばらく入院になったので退院するまで兄妹で祖父母宅でお世話になった。
友達と遊べないのは、残念だったが、早起きして山に行って遊んだり、公園で遊んだり、おばあちゃんにショッピングセンターに連れてってもらったり、花火をしたりと楽しかった。父母のお見舞いに行ったりして、充実した夏休みを過ごすことができた。

学校行事でキャンプすることになったが、「保護者同伴」があり、私は、行けないなってあきらめかけたとき、担任の先生から
「如月さんも一緒に行きましょう。大丈夫です。ほかの保護者や私が保護者代わりになりますので、安心してください。」
と言われた。
同級生や同級生のお母さんたち、先生が一緒に行こうと言ってくれたのは、とっても嬉しかった。
友達とお泊りできる最後の行事がなくなるのかとあきらめかけた。

でも行けるのが相当嬉しかった。

キャンプも楽しかったし、お母さんもお父さんも元気になって、本当に良かったと思う。
お母さんが家の中で帽子をかぶってるとき、私もマネをして被ったりした。
お母さんが「旅行とか連れてってあげれなくてごめんね」と言ったことは、絶対忘れない。
私は、お母さんは何も悪くないとずっと思ってるよ。

「フラワー」

我が家に保護ネコがいる。名前は「こむぎ」
茶トラだから、小麦色だから、こむぎ。メスだった場合は、「こはく」という名前になってた。

骨と皮だけでガリガリだったが、今は、ぽっちゃりフォルムがとってもキュートな猫に成長。
とっても頭がよく、聞き分けの良い大人しい性格のオス。
ある日、猫番組見ていて、名前がとってもカッコいい猫がいて、兄が突然

「じゃあ、こむちゃんは、フラワーだね」

フラワー?

なんだろうと思い、母が「それって、日清の小麦粉・フラワー?」と聞いたら「そうだよ」と答えた。
母も私も爆笑した。
当のこむぎ本人は、へけ?としていた。

かわいくて、かわいくてしかたなかった。

「如月氏、コロナ感染する。」

朝から調子が悪かった。頭痛・咳・喉が痛い。熱を測った。38度もあった。
会社に連絡を入れて、病院へ行った。
検査の結果、まさかのコロナ感染だった。
薬をもらい、母に連絡。午後から食料・飲料をもってきてくれることになり、感謝をした。

夢の中で何度も故人の身内に会ったりした。
じいちゃんと話したの何十年ぶりだろうと思ったけど、会話の内容忘れた。

ごはんを少しだけ食べて、薬を飲んで、寝るが、咳がずっと止まらない、熱は、下がらないで
ずっとしんどかった。

5日間の療養をもらっても治る気配もなく、病院へ再び通院。

「如月さん、今度は、気管支炎になってますよ。」
「はい・・・?」

先生から違う薬を処方してもらい、ごはんを食べて寝たら、すぐさま楽になった。

今年は、厄年では、ないのかと疑う自分なのであった。




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