花火のように咲く、君の笑顔が見たいから
「お、母さん、どうして…?」

母は無表情のまま、何かを呟きながら近づいてくる。彼女の目は焦点が合っていない。その異常な様子に、彗は理解できない言葉が背筋を冷たく撫でるのを感じた。後退るしかなかった。

「だって…あの人が悪いのよ。──浮気なんてするから」

その言葉に、俺は体が硬直した。浮気?浮気って…お父さんが?何度も頭の中でその言葉を反芻するが、現実味を帯びたそれが鋭く心に突き刺さる。
そうか…あの日から父の帰りが遅くなった。それはもう俺だけじゃない、この家を捨てる合図だったんだ。父は他の女の人を選んで全てを放棄したんだ。

俺はふらつきながら、父親の方へ足を引きずるように近づく。
手が震えながらも父親の腕を掴んだ。しかし、皮膚に伝わる感触は冷たく、重い。
まるで石に触れたかのように反応がない。父の死の重みが現実となり、喉から悲鳴が出そうになるが声すら出ない。

「逃げないと…ここから…早く……」

そう思っているはずなのに、足はやっぱり上手く動かない。目の前にいるのはもう自分の知っている母ではない。そう理解しているのに、どこかでまだ諦めきれず、これは何かの悪い夢かドッキリなんじゃないかと思いたくなる。

もしこれが本当なら、俺はこのまま殺されてしまうのだろうか。
それでも…良いのかもしれない。
もう全部、全部嫌なんだ。美しい景色を見ても、この家は汚いままで、人が変わることもない。俺の居場所なんてどこにもない。

「それなら───もう……」

母が俺にゆっくりと近づいてくる。もう、終わる。そう感じて目を閉じた、その瞬間。

突然、音がした。
母が崩れるようにその場に倒れ込む。何が起こったのかは理解できず頭が真っ白になった。倒れた母の背には、鋭いはさみが突き刺さっていた。

「ご…め…んなぁ……」

その言葉を発したのは、父だった。
もう冷たくなっていたはずの父が最後の力を振り絞って俺を助けたんだ。俺の手は震え、胸が締め付けられる。なんで…なんで助けたんだよ。

「ぅ、うっ…ぐっ」

先程よりも強い猛烈な吐き気を催しながら、俺はその場に(うずくま)った。会話をすることすらできない倒れた二人が、その場にいるだけだった。
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