地味で眼鏡な倉多くんは、許嫁の私に甘すぎる。

あなたのことが知りたくて


〇ひな乃回想

ひな乃M(私には、幼い頃の記憶が無い)
    (おばあちゃんと暮らし始めた時にはもう
     両親との思い出が、きれいさっぱり
     抜け落ちていた)

祖母 『両親と車に乗っていて、事故に遭って……
    生き残ったのはひな乃たった一人だけ』
   『そのショックで、
    忘れてしまったのかもしれないねえ……』

 祖母は、幼い頃のひな乃を優しく慰めた。
 
ひな乃M(おばあちゃんからはそう聞いている)
 
ひな乃M(おばあちゃんは優しいし、
     今まで特に気にしてもいなかったけれど――)

(回想終わり)


〇デートシーンに戻る

 映画館。音が鳴り響く館内。
 並んで座り、話題の邦画を見る二人。
 しかし、ひな乃は上の空だ。
  
ひな乃(許婚の話が本当なら、
    もしかしてお父さん達が決めたことなの?)
   (倉多くんと私、会ったことがあったのかな)
   (倉多くんはずっと、
    私のことを覚えてくれてたのかな……)

 もんもんと……
 考えても考えても過去の記憶は戻らないし、当然、映画の内容なんて頭に入るはずもない。
  
 考え込んでいるうちに映画も終わる。

倉多 「――さん、ひな乃さん?」
ひな乃「えっ……あ……」
倉多 「終わりましたよ、映画」
 
ひな乃(いつの間に……!)
  
倉多 「……考え事ですか?」

 席から立ち上がった倉多は、少し寂しそうに笑う。

ひな乃(私……! デートのフリだとしても、
    上の空なんて失礼すぎる!)
   「倉多くん……ごめん……!!」
倉多 「いえ。
    この映画、お好みでは無かったでしょうか」
ひな乃「違うの、私、」
倉多 「いいんです。今度はひな乃さんの好きな映画を
    見に来ましょう」
ひな乃「……また、一緒に来てくれるの?」
倉多 「もちろんです。
    ひな乃さんが望むなら、何度でも」

 優しく微笑む倉多。
 彼の優しさに目が潤むひな乃。
 
ひな乃(なんでこんなに優しいの……)
 
 

 映画館を出たところで、スマホをチェックする倉多。着信があったようで、折り返しの電話をかける為ひな乃のもとを離れる。
 
倉多 「少しだけ待っていてくださいね」
ひな乃「うん。ごゆっくり」
倉多 「なるべく早く戻ります」

 ひな乃は映画館の前で、倉多を待つ。

ひな乃(……誰からの電話なんだろ)
   (そういえば私、倉多くんの連絡先も知らない)

 無意識に、倉多への興味が募るひな乃。

ひな乃(知らないことが多すぎる――)

 切なくなる胸を、ぎゅっと抑える。

 
倉多 「お待たせしました」
ひな乃「あ、おかえり。電話早かったね」
倉多 「またひな乃さんが絡まれてはいけないので、
    急ぎました」
ひな乃「そんな、無理しなくても良かったのに」
倉多 「だめですよ、ちゃんと気をつけないと。ほら、
    あの辺の男もひな乃さんのことを見てます」
 
 過保護な倉多に怯みつつ、ひな乃はつい、倉多の手にあるスマホをチラ見してしまう。
 
 その様子を見た倉多は気を遣ってか、わざわざスマホの画面をひな乃へ見せた。
 画面には『お手伝いさん』の着信履歴が残っている。
 
倉多 「お手伝いさんから、連絡があったんです。
    今日は体調を崩したようで、来れないと」
ひな乃「お手伝いさん……!?!?」
倉多 「はい」
ひな乃「倉多くんち、お手伝いさんが来るの!?」
倉多 「両親に無理を言って、単身で帰国したので……
    身の回りのことはお手伝いさんにお願いして
    いるんですよね。といっても、週に一回の
    契約ですけど」
ひな乃「ひええ……」
 
ひな乃(知れば知るほど、住む世界が違う……!)

ひな乃「ど、どこに住んでるの?」
倉多 「ここから二駅離れたところですね」
ひな乃「一人で大変じゃない?」
倉多 「特には」

ひな乃(すご、自立してる……)
   (私なんて、おばあちゃんに甘えっきりなのに)

 ひな乃が感心していると、倉多がぽつりと呟いた。

 
倉多 「……来ます?」
ひな乃「え?」

 
 雑踏に紛れたその声は消えるように小さかったけれど、ひな乃は聞き逃さなかった。

倉多 「――なんて、すみません。悪い冗談を……」
ひな乃「行きたい!」

 食い気味に声を上げるひな乃。
 倉多は珍しく目を見開いて驚いている。

ひな乃(倉多くんのプライベート!)
   「行ってみたい! いいの!?」
倉多 「え――は、はい。でも」
ひな乃「嬉しい! 倉多くんの部屋楽しみ!」
倉多 「…………」

 無邪気に喜ぶひな乃を前に、何も言えなくなる倉多。
 二人は倉多の部屋へ向かって歩き出した。 



〇倉多のマンション

ひな乃「え……ここ?」

 倉多のマンション前に着いた二人。
 ひな乃は口を開けたまま、立派なマンションを見上げた。
 十階建てのマンションは高級感にあふれていて、ひな乃がおばあちゃんとほのぼの暮らしているアパートと比べ物にならない。

ひな乃「なんか、すごいとこに住んでるんだね……?」
倉多 「親の持ち物ですよ。
    俺がすごいわけではありません」

 倉多は謙遜しながら、すたすたとひな乃を案内する。
 大理石張りの床に、静かなエントランス。ひな乃は落ち着かなくてキョロキョロとあたりを見回す。
 マンションのものとは思えないほど広いエレベーターに乗り最上階まで行くと、あっという間に倉多の部屋へ到着した。

 ドアにタッチし、鍵を開ける倉多。
 ようやく、緊張してくるひな乃。

ひな乃(あれ……なんかいまさら、ドキドキしてきた)
   (部屋、二人きりだよね)

 ひな乃はチラリと倉多を見上げる。
 その顔は涼しげで、ひな乃とは違っていて。なにも気にしてないように見える。

ひな乃(別に、倉多くんにやましい気持ちは無さそう)
ひな乃(これじゃ、私のほうが
    期待してるみたいじゃん……!)

倉多 「……どうぞ」
ひな乃「お、おじゃまします」

 倉多に玄関へ促され、ひな乃は恐る恐る足を踏み入れた。


 
〇マンション、倉多の部屋

ひな乃(わ……)
   (倉多くんの香りがする)

 小綺麗で、おしゃれな1LDK。
 爽やかなようで甘い、倉多の香りがした。

 入って真正面は、一面窓。晴れているため、青空が目の前に広がっている。
 広いリビングだが、置かれているのはソファとローテーブルがひとつずつ、それだけ。壁にはテレビが掛かり、その脇にルームランプが置かれていた。

ひな乃「素敵な部屋だね……!」
倉多 「ありがとうございます、
    家具が少ないだけなんですけど……
    適当にソファへ座って下さいね」
ひな乃「う、うん」

 そう言うと、倉多はキッチンへと消えた。
 ひな乃へ飲み物を用意してくれている。
 
ひな乃(倉多くん、ゲームとかしないのかな。
    雑誌とか服とか……リビングには何も無いけど)
   (あ、でもカウンターにエプロンがかかってる……
    やっぱり料理はするんだ。えらい……)

 そわそわと待っていると、倉多がアイスティーを持って戻ってきた。

倉多 「すみません、面白いものが何も無くて」
ひな乃「ううん。
    こちらこそ突然おじゃましてごめんなさい」
倉多 「まさかひな乃さんが来てくれるとは思わなかった
    ので……何も用意していなくて」

 彼は申し訳なさそうに笑うと、ひな乃の隣に腰をおろした。

ひな乃(えっ……)

 三人がけのソファ。狭くは無い。
 けれど、座ってみると意外にも距離が近い。
 二人きりだからだろうか、やけに意識してしまう。

ひな乃(ソファはひとつだし、この場合、
    倉多くんもソファに座るのが妥当……けど)
   (近い……!)

 ひな乃の胸は、否応にも早鐘を打つ。
 そんなひな乃を知ってか知らずか、倉多はひな乃の顔を覗き込んだ。

倉多 「……少し、暑いですか?」
ひな乃「っ、え」
倉多 「顔が赤い」

 妙に色っぽく見える倉多の顔に、固まるひな乃。
 さらに顔は赤くなる。

ひな乃「い、いや、暑いわけではなく」
倉多 「結構歩きましたからね。疲れましたか?」
ひな乃「その……そういうわけでもなくて」

 心配してくれる倉多に対し、煩悩の塊のような自分が恥ずかしくて、倉多を見ることが出来ない。
 ひな乃はごまかすようにアイスティーに手を伸ばし、コクリと一口飲んだ。

ひな乃(冷たくておいし……)

 静かな部屋。倉多の香り。
 すぐ側にある倉多の息づかい。

 その全部がドキドキする。

ひな乃「――っごめん!
    私、男の子の部屋に来るの初めてで。
    急に意識しちゃって」
倉多 「え……」
ひな乃「倉多くんにそんなつもりは無いって
    分かってるんだけど、私、なんかおかしくて」

 アイスティーが美味しい。
 明らかに挙動不審だ。
 ごくごく、たくさん飲んでしまう。止まらない。

倉多 「ひな乃さん……?」

 心配した倉多が、怪訝そうにこちらを見ている。
 でも、ひな乃には倉多を見る勇気が無い。

 ごくごく。
 何度にも分けて、アイスティーを飲み続ける。 
 ついにグラスが空になってしまった。
 
 場が持たない。

ひな乃(私、どうしたら――)

ひな乃「あ……」

 空になったグラスを、倉多がそっと受け取った。 
 かわりに、彼の指が、ひな乃の指へスルリと絡められる。

 驚いて、倉多を見上げた。
 先ほどよりも、近い気がする。
 彼の眼差しには、どこかギラギラとした熱を感じる。

倉多 「そんなつもり無い――わけないじゃないですか」
ひな乃「え」
倉多 「俺はずっと、
    ひな乃さんのことばかり考えているのに」

 倉多の長い指が、ひな乃の手を弄ぶ。
 ぞくぞくする。こんな感覚、知らない。

倉多 「昨日は眠れなかった」
   「ひな乃さんとデート出来るなんて、夢のようで」
   「舞い上がって、店を調べたりして」
   「少しでも、ひな乃さんに喜んで欲しくて――」

 
ひな乃(熱い……)
   (また手汗かいてる)
 
ひな乃(これは私の? それとも倉多くんの――?)
 
ひな乃「……倉多くん」
   「私、倉多くんのこと、もっと知りたい」

 倉多の顔がゆっくりと近づく。
 鼻先が触れる。
 
倉多 「――知ってください、余す所無く」

 それを合図に、軽く唇が重なった。
 アイスティーの香りがする。

 柔らかな唇が、そっと離れる。
 ひな乃は薄く瞼を開けると、すぐ近くにある倉多を見つめた。眼差しが熱い。

倉多 「ひな乃さん、可愛い……」
ひな乃「倉多く……」


 倉多はひな乃の言葉を待たず、先ほどよりも深くキスをする。

 ソファへ身体が沈む。息ができない。
 求められるようなキスに満たされながら、ひな乃は倉多の唇を受け入れた。
 
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