地味で眼鏡な倉多くんは、許嫁の私に甘すぎる。

嫌じゃない


〇倉多のマンション(リビング、午後)

 二人きりの静かな部屋。
 テーブルの上には、アイスティーを飲み干したグラス。空っぽのグラスの中、溶けた氷が音を立てた。

 ソファへ横たわるひな乃に、倉多は深く口付ける。
 やっと会えた許婚の存在を確かめるように。
 
ひな乃「く、くら……」
   「倉多……くん……!」
 
 繰り返されるキスに耐えきれず、ひな乃は倉多の名を呼んだ。
 やっと離れた唇。けれど頭がぼーっとして、身動きが取れない。
 そんなひな乃を見つめる倉多の瞳は、どこか余裕がなくて。大きく骨ばった手が、ひな乃の頬を愛しげに撫でた。

倉多 「――嫌でしたか?」 
   「すみません……我慢、できませんでした」
   
 荒い息に、ドッドッ……と脈打つ鼓動。
 倉多だけでなく、それはひな乃も同じで。

ひな乃(自分が自分じゃ無いみたい)

 現実感が無く、戸惑うひな乃。
 
ひな乃(嫌じゃない)
   (全然、嫌じゃなかった)
   (だけど……)
 
ひな乃「――本当に、私なの?」

 ひな乃は、ずっと胸にあった不安を口にした。
 
倉多 「……どういう意味ですか?」
ひな乃「私、本当に倉多くんの許婚なの……?」

 倉多が身を離したことで、ひな乃もようやく身体を起こした。
 
ひな乃「私、何も知らないから」
   「倉多くんがどんな人なのか、
    いつ、どうして許婚になったのか」
   「なんで、私が倉田くんの――」

 言い終えるよりも先に、倉多はひな乃を抱きしめた。

倉多 「――ひな乃さんは、俺の許婚です」
ひな乃「で、でも、
    おばあちゃんは知らないって」
倉多 「ご存知なくて当然です。この婚約は、
    こちらの両親と寧音(しずね)さん達――
    ひな乃さんのご両親との間で
    決められたことだから」
ひな乃「両親……お父さんと、お母さんが……」


○引き継ぎ、倉多のマンション(リビング、午後)

 倉多は、奥のベッドルームから一冊のアルバムを持ってきた。
 そしてアルバムをソファに座るひな乃に手渡す。

ひな乃「これ……」
倉多 「俺の宝物です」
ひなの「見ていいの?」
倉多 「どうぞ。
    これでひな乃さんが信じてくれるなら」

 ひな乃は、アルバムの表紙を見つめた。
 白い布張りで、綺麗に保たれてあるアルバムだ。彼が『宝物』と言うとおり、大切に保管されてきたのだろう。

 その表紙を、ひな乃は恐る恐るめくった。
 するとそこには、幼い頃のひな乃がいた。
 どれも、見覚えのない写真だ。

ひな乃「これ……私?」

 写真では、浴衣姿の小さな男の子と女の子が、笑顔で手を繋いでいた。

倉多 「それは、夏祭りの写真ですね。
    その下は、祭りのあとスイカを食べた写真」

 倉多はページをめくりながら、写真をひとつひとつ説明していく。
 
 びしょ濡れになって川遊びしている写真、タオルケットをかけて昼寝をしている写真、大きなクリスマスツリーの前でパーティーをしている写真、クリームだらけになりながらケーキを頬張っている写真。
 
 どの写真も、小さなひな乃の隣には、黒髪の男の子が写っていた。

ひな乃「私の隣で写っているのは……」
倉多 「俺です。とても仲が良かったんですよ」

 倉多はアルバムを開いたまま、ひな乃に向き合う。

倉多 「俺達の親同士は学生時代からの親友でした。
    家族ぐるみの付き合いをしていたので、
    子供同士、俺達も仲が良くて」
   「それこそ、結婚を誓い合うほどに」
ひな乃「結婚を……?」

 倉多は懐かしげに目を細める。

倉多 「子供の口約束、かもしれません」
   「けれど、お互いの両親も認めてくれて、
    俺はずっとそのつもりで生きてきた」
   「今更、ひな乃さん以外は考えられない」
 
倉多 「俺は絶対、ひな乃さんを手放しません」

ひな乃(倉多くん……)

 彼の力強い眼差しに、言葉を無くすひな乃。
 倉多は再び、ひな乃の身体を抱きしめた。


○倉多のマンションからの帰り道(夕方)

 二人は並んで駅までの道を歩く。道には二人の影が伸びる。
 相変わらず、倉多はひな乃の手を握って離さない。

倉多 「本当に駅まででいいんですか。
    俺はひな乃さんの家まで送りたいのですが」
ひな乃「お、大袈裟だよ!
    大丈夫、電車で一本だし」
   (また手汗がすごいんですけど――!!) 

 不服げな倉多は、仕方なく「わかりました」と返事をする。一方で、ひな乃は平常心を保てない。

倉多 「その変わり、連絡先を教えてくれませんか」
ひな乃「え……! う、うん!」
倉多 「なにかあったら連絡を――いえ、
    何もなくても、家に着いたら連絡を下さい。
    いいですか?」
ひな乃「わ、分かった……!」
倉多 「絶対、ですよ?」

ひな乃(倉多くんの連絡先、
    手に入れてしまった……!)
  
 念を押す倉多を前に、ひな乃は何度もコクコクと頷いた。嬉しくてそれが顔に出てしまいそうなのを、俯くことで必死に隠す。
 
 そしてゆっくり歩いたにも関わらず、あっという間に駅へ到着してしまった。 
 別れ際、名残惜しい二人。
 駅に到着しても、倉多がなかなか手を離さない。

倉多 「やっぱり、家まで――」
ひな乃「大丈夫! 私も、顔、冷ましたいし」

 ずっと手を繋がれ続けたひな乃。頬はもうこれ以上ないほどに真っ赤で、湯気がたちそうなくらいだ。
 そんなひな乃を見て、倉多は顔を緩める。愛しいものを見るように。

倉多 「……かわいい」
ひな乃「やめて……!
    そんなこと言われたら冷めないじゃん!」
倉多 「俺は、ずっとそのままで良いと思いますよ」

 そう言いながら、倉多はひな乃の手の甲へキスをする。
 最後のダメ押しで、ひな乃はとうとう爆発して――二人のデートは幕を下ろしたのだった。
  

 
○翌日、向坂高校の教室(朝)

 眠そうな顔をして教室へ入るひな乃。
 窓際の席を確認する。倉多はまだ登校していないらしい。

ひな乃(昨日は眠れなかったな)
   (倉多くん、強すぎる……)
   (なんであんなに甘いの……!!)

 昨夜は、デートのことを反芻してしまってなかなか寝付けなかった。 
 おまけに倉多から連絡が来るたびに頭はふわふわとして、ぼーっとしていたら夜が明けてしまって――結局、寝れずじまいだ。

 寝不足な頭に、教室の喧騒がひびく。
 そしてなんとなく、いつもより視線を浴びている気がする。遠巻きから集まる視線にやっと気がつくひな乃。

ひな乃(何……?)
    
 ふしぎにおもっていると、コソコソとひな乃を揶揄う声が耳に届く。

男子 「ひな乃ちゃん、男と歩いてたって……」
男子 「俺見た見た! イケメンだった!」
女子 「やっぱ、ああいう女って男も顔で選ぶんだ」
女子 「地味男とも付き合ってるって聞いたけど」
男子 「うそ、意外と遊んでる感じ?」
女子 「尻軽じゃん」
男子 「俺にもワンチャンあったり?」
 
ひな乃(は、はあーーーー!?)

 ありもしない話に、愕然とするひな乃。
 眠かった頭もすっかり醒める。

ひな乃(イケメンも地味男も、
    どっちも倉多くんなんですけど!?)
   (せっかく彼氏のフリしてもらったのに
    なんで彼氏だと思ってもらえないの?)
 
ひな乃(こんな手汗すごい女が
    遊んでるわけないでしょ――!)

ひな乃「ちょ――」
陽太彼女「ばっかみたい!」

 言い返そうとしたひな乃を遮って、陽太彼女が声を上げた。
 意外な人物に、静まり返る教室。陽太彼女は鞄を自席に置くと、改めて教室内を一瞥した。

陽太彼女「こんなに可愛いんだから
     彼氏の一人や二人いて当然でしょ」
    「三門さんになに期待してるの?
     ちゃんと彼氏いるのに、
     あんた達が相手にされるわけないじゃん」

ひな乃(斎藤陽太の彼女さん……)

 彼女がバッサリと一刀両断してくれたおかげで、教室の騒ぎはあっという間に静まった。

倉多 「……どうしたんですか」

 一歩遅れて、教室に入ってきた倉多(メガネ姿)。
 妙な雰囲気に、怪訝な表情を浮かべている。

ひな乃「えっと……別に、なんでもないの」 
倉多 「しかし――」
担任 「何してんだ、席に着けー」

 タイミングも悪く、担任が教室へ入ってくる。
 ひな乃が陽太彼女に後ろ髪引かれるも、彼女はもう席に着いてしまっていた。
 結局、陽太彼女にお礼を言うことも出来ないまま、朝の時間は終わってしまった。
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