ムーンライトベリーの香りが忘れられなくて

第13話 小高 千晃先生 ーsideー

コーヒーの香りが漂う職員室で千晃先生は、デスクの上でボールペンをクルクルと回す。夏休み前にある三者面談の日程希望調査の用紙を眺めていた。クラス全員をパラパラとめくると、日時をしっかり書いたものもいれば、空欄で不参加になっている生徒もいる。選択肢のないその文字にがっかりする。

「……白崎も無理か」

 最後の一枚は、白崎愛香のものだった。日時に丸することもなければ、時間希望もない。明らかに愛香の筆跡だとすぐわかった。日時空欄で学年と組、出席番号と名前、進路希望を書いて、提出している。パチンと紙をはじいた。

(休みがとりにくい職種とは言え、子供の進路に一切興味がない母親か。悲しいな……)

大人と子供の境目の高校生は親との関わることを嫌がる生徒も少なくない。交流と言えば、手作りのお弁当がどんなもの入ってるかみたいなものだ。親子で興味を一切持たない生徒もいる。昔と比べて、だんだんと親子の間に溝が深い関係が多いことに教師として悲しくなってくる。家庭の事情を深く知ってしまうことで余計に同情だけじゃない守ってあげたいという別な思いも出てきてしまう。千晃先生は、そんなことは思っていけないとブンブンと首を振って忘れようにした。
 だが、昨日行ったスナックあじさいのママにまた試供品のシャンプーを渡されて、妹ちゃんにどうぞと言われた。妹じゃないと本人がいない時に暴露したが、そんなこと会った時から知ってたわとママに見抜かれていた。言えない事情も汲み取ってくれるママで安堵した。また、あの時のシャンプーの香りが忘れられない。善意として、泊まることを許したが、次に会った時は歯止めが利かなくなるかもしれないと理性を抑え込む努力をした。

「千晃先生、これ入りませんか?」
「え、すいません。今はちょっと」
「んじゃお土産ね」

 隣の席に座る音楽担当の二宮由香里(にのみやゆかり)先生が千晃先生のデスクにクランチチョコスティックのお菓子を2本を置いた。甘いお菓子は苦手だった。

「白崎さん、大丈夫ですか?」
「え?」
「私、昨年担任したんです。お母さん、看護師さんでしょう。白崎さんが具合悪くしてもけがしても絶対迎えに来ない鉄の女みたいな噂が立つくらい。保健の先生と話してました。いくら何でもひどいですよね」
「……はぁ、そうだったんですか」
「それは虐待に近いって私が教頭に話したら、大丈夫ですからって一点張り。命の危険に関わったら救急車呼んでくださいって。迎えは一切来ませんよって言われたらしいです。看護師ってそこまでしないと働けないんですかね」
「……白崎の母親は、責任のある肩書を持っているみたいで、抜けられないことが多いみたいですね。患者を助ける分、犠牲者は伴うってことですか」
「真面目すぎるんでしょうね。仕事に集中しちゃって……。でも、白崎さんは強いって思います。そんなことされたら、普通逃げたくなると思うんですよ。何のために家にいるかって。シングルマザーだから応援したい気持ちが強いんでしょうね」
「……そうですね。なんだか悲しくなりますね」
「まぁ、千晃先生が落ち込むことはないですけど。褒めてあげてくださいね、白崎さん。頑張っているんですから」
「はい……」
  千晃先生は、モヤモヤした気持ちを背負ったまま、喫煙室に向かう。電子タバコにしても気持ちが落ち着かず、少し高くても紙タバコを買うことにした。気持ちが落ち着くんだから安いもんだと言い聞かせる。タバコに火をつけて、吸って、ため息をつくように空中に吐いた。高校の休み時間は平和だなとしみじみ思う。渡り廊下を通りかかる白崎愛香と菅原水紀と菊地陽葵が見えた。仲睦まじいそうな姿を見て、不覚にもむせてしまう。職員室ではグラマーな二宮由香里先生がいるというのに恋愛対象として見れない。愛香には何か惹かれるものがあった。

「うわ、今、小高先生、こっち見てたよ」
「嘘、のぞき見? きもーい」
「……」

 そんなわけないと愛香は笑顔で近づいた。制服のスカートが風で揺らぐ。

「先生、頬こけてますよ。食べてるんですか?」
 
 ふと、顔が痩せてるのが目についた。愛香のことで考えすぎて食事もまともにとっていない。

「別に、食べてるし。白崎の方こそ、足に気をつけろよ」

 また咳き込んでいた。慌てて、持っていたタバコをしまった。

千晃先生は、渡り廊下の方に移動する。別な女子生徒たちに囲まれていた。愛香たちはその様子を見て、不機嫌になる。

「なによ、あの態度」
「愛香が心配してるのに興味なさそう」
「いいんだよ。別に。私の片思いんなんだから」

 そういって、教室に戻ろうとする。ざわざわしていたはずだったが、愛香の言葉は聞き逃さなかった。横目で確認して頬が赤くなる。まるで学生に戻った気分だった。
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