ムーンライトベリーの香りが忘れられなくて

第20話 雨と寂寥

ぽたぽたと屋根から落ちる雨粒が蛇口の下に置いているバケツに波紋を作った。
かたつむりが壁を伝ってのぼろうとしている。
何を目的地としているのか。紫陽花の花が雨の中で咲き誇っている。

愛香の高校の校庭では、たくさんの水たまりができていた。風も強く、傘をさすのも意味があるのかというくらいの強さだった。
愛香は、窓際の机に国語の授業中、シャープペンをくるくるまわして、頬杖をついた。

漢文の授業は漢字表記のみならず、読み方と口語訳文と2段階で読み取らないといけない。なんで、2回も3回もノートに書かないといけないと思いながら、真面目に書き終えていた。学校はどんなに家族と喧嘩していても、いつも通りの時間が流れている。家出をするくらいに母と過ごすのがいやのに、周りはそれを聞いただけで引いてしまう。たかだか、親子関係の問題で、世間体や集団の行動は関係ない。色眼鏡で見られる。個人単位で見る人は少ない。気持ちを汲み取ってくれる人は決まっている。

愛香は、国語の授業をぼんやりと過ごして、早く次の授業にならないかと願った。家出騒動があってから千晃先生と会っていない。連絡を取るなと母から言われて、連絡し合うこともできない。だめと言われると追いかけたくなる。会いたくなる。話したい。顔を見たい。それ以上のことがしたいという気持ちが高まっていく。両腕をぎゅっと抱きしめて、目をつぶる。もう、あの時と同じ時間は作ることはできないだろうか。心の中で涙が出て来る。実際に泣きたいが、誰かに何かを聞かれたら、話さないといけない。面倒事はさけたかった。

 国語の授業があっさりと終わり、休み時間になった。外はまだ雨が降り続けている。
机の上に世界史の教科書とノートを置いた。小野寺暁斗が廊下側の席からわざわざ移動して、愛香の前に立った。

「?」

 目の下にクマを作って、何だか元気がなさそうな愛香の顔をのぞき込む。

「寝てないの?」
「全然、大丈夫」
「……嘘つくの下手だよね。まぁ、いいや。体育祭実行委員の仕事は終わったんだけど」
「え? うん。終わったよね。ほかに何かある?」
「うーん、いや、特にないんだけどさ」
「何もないの?」

 愛香は、暁斗の言葉にくすっと笑いがとまらなくなる。

「何もないことはないよ。次は小高の授業だなっと思って……」
「あ、まぁ、そうだよね。小野寺くん、何かあったの?」
「ちょっと、悔しいって……まぁそんなとこ」
「???」
 
 小野寺暁斗は愛香が千晃先生と交際しているんじゃないかという噂が校内で広がっているのを知っていた。本人は噂になっていることを知らない。愛香に片想いしているのを小出しにアピールしている。何も効果がないことはわかっていながらも存在感は見せられたと満足気に席にもどっていく。

 愛香は、笑みをこぼして、筆箱から必要なシャープペンを取り出した。これから始まる授業が楽しみになってきた。
 チャイムが鳴ると同時に千晃先生が出席簿と教科書、プリントを持って教室に入る。ホームルームの時にも見ているのに何だかうれしくなった。すると、教壇に持参物をトンッと置いて、千晃先生は手ぶらのまま、ずんずんクラスメイトの席に向かって歩き始めた。向かった先は、愛香の前だった。

「?」

 今日は不思議なことが起きる日だなと思いながら首をかしげる。これから授業だというのに、千晃先生は、愛香の腕をつかんで、授業のことをそっちのけで教室を出て行った。冷やかしの声が響いている。
愛香と仲良い相沢薫子と菊地陽葵はお互いの顔を見つめ合って、にやにやとしていた。かなり2人が進展していることにワクワクしていた。

「なぁ、世界史の授業ってどうなるん? 学級委員?」
「ここはもう自習にしよう! テストも近いし、ひたすら復習ってことで! はい、はじめ!!」

 学級委員長の草刈凌牙(くさかりりょうが)がクラス全体を取りまとめた。先生が事情があっていないってことをとっさに判断して仕切っていた。薫子と陽葵は、ほっと胸をなでおろした。空気を読むクラスメイトで良かったと愛香の親友としても安堵していた。


 千晃先生は、本能のままに動いているんだろう。
 愛香をどこに連れていくのか長く続く廊下を無我夢中でずんずん前に進んで行く先生に愛香は黙って着いていくことしかできなかった。
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