ムーンライトベリーの香りが忘れられなくて

第4話 やさしさの輪郭

「白崎愛香さん、中待合室へどうぞ」

 看護師さんがそっと車椅子に乗る愛香に声をかける。鼻ちょうちんがパンッと割れた小高先生が目を
「おっと、すいません。私がそれ押しますから」
「あ、そうですか。んじゃ、お願いします」
 
 看護師さんは愛香の車椅子を押そうとして、小高先生が割り込んでいた。あくびをしている。

「先生、眠いなら、そこで待っててもいいですよ」
「いや、起きた。今起きたから。良いから前向きなさい。先生命令です」
「そういう時ばかり先生っていうんだ」
「こういう時しか言えないだろ」
「白崎愛香さん、お待たせしました。第1診察室へどうぞ」

 小高先生は、後ろから車椅子を押そうとしたが、ブレーキを解除し忘れて、動かない。

「いきなり、重いな。お前」
「私じゃないです! ブレーキです」
「あ。そうか。悪い悪い」

 看護師さんはそのやり取りを見て、クスッと笑っている。愛香は恥ずかしくなって下を向いた。

「えっと、白崎愛香さんですね。どうされましたか?」
「この階段から落ちて転んた時から右膝が痛みます」
「こっちですね。んじゃ診てみましょう。横になってもらえますか?」

 整形外科の医師の石川先生は、じっと右膝を見ていた。座ったままの状態ではわからないということで、診察室のベッドに横になった。車椅子の横では静かに小高先生が待っていた。

「足上げてくださいね」

 横に寝かせた石川先生は、ストレッチするように愛香の足を上げて、痛みを確かめた。

「ここは痛みますか?」
「あ、はい。それは痛いです」

「なるほど。いいですよ。椅子に腰かけてください」

 石川先生は電子カルテにメモをし始めた。

「見た感じでは大丈夫そうですが、念のため、レントゲン写真撮りましょうね。
 お呼びしますので、中待合室でお待ちください」

「はい、わかりました」
 
 愛香は、車椅子のまま、中待合室へ移動する。小高先生は少しほっとしていた。

「骨に異常がないかはレントゲンで判断だな。でも、今の時点で大丈夫なら大丈夫だろう」
「まだ言い切れませんよね」
「そりゃ、そうだ。俺医者じゃないし」

 そう言いながら、小高先生は、車椅子に乗る愛香を呼ばれたレントゲン室へ移動させた。

「付き添いの方は、こちらでお待ちくださいね」

 看護師さんは、愛香の車椅子を押すという役割を小高先生から取っていく。

「え?!」
「へ? どうかしましたか」
「……いえ、何でもありません」
 
 最後までやりたかったのか本音がポロッと出た。どこまで一緒に行こうとしていたのか。

「先生は、そこで待っててください」
「はい、わかってます」

 ちょっとご機嫌斜めに待合室のソファに座って、スマホをいじり始めた。暇になるのが嫌だったのかもしれない。

「白崎さん、右膝のレントゲン撮りますね」
「はい、お願いします」
 
 レントゲンの準備を始める看護師さんがにこっとこちらを見て話す。

「担任の先生かな?」
「はい、そうですけど」
「優しい先生ですね」
「そうですかね」
「うん。優しいよぉ。今時、そこまでする先生いないかもしれないわよね」
「そ、そうですかね」

 少し頬を赤らめて、レントゲン撮影に集中する。看護師さんは終始にこにこしていた。愛香と先生とのやり取りがほほえましいようだ。

 レントゲンが終わり、もう一度診察室に入った。
 石川先生が写真をじっと見つめて、膝の様子を確かめた。指で気になる箇所をさす。

「たぶん、痛むのはここかな。骨折はしてないようだけど、腫れてるね。2・3日もすればよくなるから安心して。湿布出しておきますね。あと気になるところはありますか?」
 石川先生は、適格に説明してくれた。そのままにしていたら、ずっと痛いと思い続けていたかもしれないが、安心してと言われると本当にそんな気がして、だんだんと足が軽くなる気がした。
「あとは大丈夫です」
「そうですか。そしたら、診察は以上です。お大事にしてくださいね」
「「ありがとうございました」」
 小高先生とともに同時にお礼を言って、診察室を出た。

「何ともなくてよかったな。骨折だったら、松葉杖だろ。そうじゃないし、良かった良かった」
 
 小高先生は安堵していた。愛香は、ふと唇をかんでいた。

「病は気からっていうのがあるからな。大丈夫って思っておけばいいんだって。な?」
「先生、私って大げさですか?」
「別に、普通じゃないの? 痛いのを痛いって言って何が問題あるんだ?」
「あ、そっか……」
「誰かに言われたのか?」
「……」

 人と考え方が違うと察すると口を紡ぐ。小高先生の言葉に愛香はなんだかほっこりしていた。
小高先生は愛香の顔を見て、何かを感じとった。
「……大げさって言うのは、相手を思いやりがないよな。むしろ、言った人の願望だと思うわけよ。その人が大丈夫だろっていう。本人しか痛みとか苦しみはわからないのによく言えるよなって俺は感じるけど。その大げさていう言葉があったら、病院なんてつぶれるよ。大げさがなければ、病院なんてやっていけなんだから」
「……深い話ですね。小高先生らしくない」
「どういう意味だよ?! 教師なめるなよぉ? ……言いたくなる気持ちもわからないでもないけどな。でも病院ってさ、真剣に体を見つめなさいって言い聞かせてくれるところだと思うんだよ。母親の代わり、父親の代わりに大丈夫って言える医者さんかとか、どうも親子だと喧嘩ばかりで優しくできないときあるじゃんよ。第3者だと優しくできるってあるからな、そういうもんだって」

 小高先生は後頭部に両手をつけて、体を伸ばした。愛香はこれまでの母の姿を振り返った。幼少期の頃の母は心配症でちょっとしたことですぐ病院に連れてってくれたことを思い出す。なんでもなくてよかったねが病院の先生から聞きたいのかもしれない。その言葉で安心したいのだ。そう改めて感じる。

「なぁ、俺、今良い事を言っただろ?」
「……」

 愛香は、小高先生を無視をした。なんだか悔しくて、そう通りと素直に言えなかった。珍しく良い事を言ってる小高先生がありえないと感じていたからだ。と考えつつも、小高先生の姿を惚れ直していた。

 眼鏡越しに見える外の景色は真っ暗になっていた。曇り空で月も星も隠れている。





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