ムーンライトベリーの香りが忘れられなくて

第44話 暁斗の想いが溢れ出てしまう

 残暑が厳しい秋の季節。扇風機が時々、とまることがある。窓を全開にして、どうにか風が入る。カーテンの淵につけておいた風鈴が鳴った。ここは、小高千晃が経営する学習塾。主に中学・高校・大学受験対策として国語・数学(算数)・英語の3教科を教えていた。今日は、高校受験勉強用に中学生を対象とした数学の授業をホワイトボードを使って教えていた。

「今から、過去問題に挑戦してみよう。今から数学の問題文を書くからノートに書いて、問題に答えた人から前に持ってきてください」
 
 5人の男女の生徒に向かって、黙々とホワイトボードに書いていく。高校の時の選考は世界史だったが、塾となると世界史だけでは生徒は誰も来ない。試験対策が一番手っ取り早い。その生徒の中に顔なじみの生徒がいた。愛香に片想いしていた小野寺暁斗だ。

【問1、分速300mの速さの自転車で17分走ったとき、何km進むか求めなさい。】

 千晃はホワイトボード用のペンで丁寧に問題文を書いた。生徒たちは黙って板書してすぐに解答すると、列をなして、先生に見せに行く。

「お、小野寺。早いな。相変わらず……」
「負けたくないんで、いろんな意味で」
「どういう意味だよ。的確に答えてるから正解だな。お前、ここに通う意味あるのかよ。全然、問題解けてるなら、通わなくても……てか、高校生なのになんで中学受験の勉強までしてるんだよ」
「意味ありますから!!」

 千晃に顔を近づけて、言う。目的はもちろん、愛香の情報を千晃から聞き取ることだ。あれから、暁斗も全然会えていなかった。手がかりもない。連絡先を交換するのも忘れていた。

「あ、そう。まぁ、好きにしてくれ。はい、次の人」
「はーい」
 他校の生徒が次々と並ぶ。暁斗は中学受験と大学受験すべての授業に顔を出していた。月謝は同じ金額払っていても構わないと暗黙の了解だ。愛香に対する思いで何故かわからないが、まるで千晃に恋してるみたいにほぼほぼ毎日顔を出している。なんでここにいるんだっけとわからなくなるくらいだ。

「いつになったら、愛香の話聞けるかな」

 ぼそっと独り言をつぶやく暁斗。何度も通いつめているが、結局のところ、愛香には会えていない。もちろん、千晃も全然会っていない。会う用事もなくなってしまったのだ。かと、言って素直に聞けるわけもなく。

「よし、みんな全問正解だな。念のため、解説を入れるとこんな感じだ」
ホワイトボードに書いていく。

【速さ=道のり÷時間・道のり=速さ×時間・時間=道のり÷速さの公式にあてはめて、300×17=5100(m) 求めた値の単位はmなのでkmに直すと……答え 5.1km 】

「間違わないように公式はノートに書いておくんだぞ。今日の授業はここまでと……お疲れさまでした」

 壇上に手をついてお辞儀をする。おのおのに帰り支度をして、帰っていく。しびれをきらした暁斗が遂に千晃に問いかける。

「先生」
「お、おう。皆勤賞の暁斗くん。頼んでもない教科も受けてくれてありがとう。何の用事だ?」
「……俺が無駄にこの塾に通う意味わかりますか?」
「いーや、知らん。俺に貢献してくれてんじゃないの? 元担任として?」
「違います!! この際、はっきり言いますけど、先生に聞きたくて来てるんです」
「は? 何しに?」
「白崎のことです」
「……はぁ、お前も暇だねぇ」
 千晃は、教室内の戸締りを始めた。暁斗はその後ろを着いていく。さらりと窓閉めの手伝いもしていた。

「2人はもう、付き合ってないんですか?」
「金魚のフンは嫌われるぞ?」
「金魚じゃないです」
「違う、金魚のフンだよ。まったく、懲りないね、お前も。お前こそ、付き合ってたんじゃないのかよ?」
「まだ、付き合ってないです。付き合おうって言おうと思っていたら、先生の家からいなくなったっていうじゃないですか。どういうことですか」
「そんなの、知ったこっちゃない。俺が聞きたいわ」
「ちゃんと、手綱を握っておかないとダメでしょう。先生!!」
「愛香は馬じゃないだろ。あほ」
「……俺には合わなかったのかなって後悔してて」
「たまたまだろ。あそこ行って見えばいいだろ。海沿いのスーパーに。なんだっけ。スーパーマーケットさいとうだっけ」
「さとうじゃなかったですか? え、白崎まだ働いてるんですか?」
「ああ、いるよ。俺は行かないけどね」
「なんで行かないんですか!!」
「行かなねぇよ。おじさんにはもう興味ないだろ」
「……銀色の髪してどこがおじさんですか。イケオジ目指してますよね」
「……べ、別に。若いやつにバカにされたくないだけだ」
「……行きますよ。先生」
「誰が行くか」
「子供だなぁ。いいから、ほら、車のエンジンつけて。アクセル踏んで!!」
 暁斗は、千晃の背中を押して、無理やり車に乗せようとする。塾の施錠はしっかりと閉めていた。

「お前は教習所の教官か? あのなぁ、車で送られてきたからってアッシーに使おうとするのやめてくれないかな」
「あ、バレました? まぁ、そういう時もあるってことで」
「ねぇよ! まったく、仕方ねぇな。送るだけだからな。あとはママに迎え来てもらえ」
「えーーー、自宅まで送迎してくださいよ。俺ら、同志なんだから」
「なんの?!」
「ラ・イ・バ・ル」
「違うっつぅーの」
「はいはい。嘘つかないでくださいね。そこ右ですよぉ」

 知らず知らずのうちにナビする暁斗だった。まるでコントしてる気分で楽しくなってくる。千晃は窓を開けて、電子タバコをふかす。大きなため息をついた。もう、愛香には会わないようにと決めていたのにまさか会わないといけないとはと感じていた。暁斗は鼻歌を歌って、助手席に乗っていた。

 潮風が車の中にまで入ってくる。外はカラッと晴れていた。

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