ムーンライトベリーの香りが忘れられなくて
第7話 今日だけ千晃先生の妹
グラスに注がれたオレンジジュースが氷で冷たかった。
お店の中では、バラードの歌が流れている。お客さんが気持ちよさそうにカラオケで歌っている。歌い終わると、カウンターで立つ煌びやかに化粧をするママと呼ばれる店長が拍手をして盛り上げる。時々、テンションがあがると、マラカスやタンバリンをたたき始める。見たことのない景色だった。
カウンターで千晃先生の隣に少しくたびれたくるくると回る固定黒いクッションの椅子に座った。
初めてスナック『あじさい』という店に入った。ずっとこの街に暮らして、生まれて初めて入った領域だ。
まさか高校生になって入るとは思わなかった。18歳で千晃先生の妹という偽って使って入店した。どうしてそこまでしてここに入らなければいけないか不思議で仕方なかった。彼女でもない愛香を相手するには、女性であるママの方がいいってことなんだなと後からなって気づいた。
「えっと、愛香ちゃんだっけ? 大変ね、寂しがり屋の千晃ちゃんの妹まで巻き込まれて……いつになったらあの人に彼女ができるのかしらねぇ」
ママは、ジョッキに注がれたビールをガブガブ飲みながら、話す。千晃先生のさらに隣にすわるもの静かなおじさんのお相手をしながら、愛香の話をしていた。なんて、器用な人だなと感心した。トークを次から次へまわすなんてと忙しい。しかも肝臓も強く、お酒を飲めなくてはお付き合いもできない。おもてなしのお料理も手作りだというから何でもできるんだなとジロジロお店の中を見渡す。
「愛香ちゃん、最近こっち来たんでしょう。千晃ちゃんから聞いたわ。引っ越してきたばかりって」
(ずいぶん出来上がったストーリーだな。仕方ない、話を合わせるしかないだろう)
愛香は、冷や汗をかきながら話を合わせていく。
「そ、そうですね。お兄ちゃんが、ここ紹介してくれるっていうので、楽しみに来ちゃいましたよ」
「あら、そう。千晃ちゃんったら、私のこと悪く言ってないわよねぇ」
その頃の千晃先生と言えば、常連のおじさんとお酒を飲みながら、ノリノリでカラオケを楽しんでいた。愛香のことを忘れかけて、楽しんでいる。
「愛香ちゃん、あの子ねぇ、彼女に振られてだいぶ経つのよ。ここに通うのも赴任してきてから3年。ちょうど別れてからこっちに来たそうよ。妹に癒されて、早く次の彼女見つけてほしいものだわ」
しみじみとビールから梅酒に切り替えて、たこわさびをつまみにおしぼりをお客さんに配り歩くママは、寂しそうな千晃先生を心配していた。
「あ、そうそう。愛香ちゃんにいいものあげる。今日、化粧品売りのお姉さんにもらったんだけどさ。勧誘しつこくて試供品だけって置いてったの。ぜひ、使って。私、もう譲れないシャンプーあるからさ、若い人にあげるぅ」
紫とピンクのグラデーションがパッケージに描かれていた。シャンプーとトリートメントの試供品だった。『しっとりさらさらムーンライトベリーの香り』と書かれている。3回分くらいは使えるようだ。
「あ、ありがとうございます」
「いらなかったら、千晃ちゃんにあげてね。あの子は流行りものには目がないだってさ」
「え、むしろ、とって置いた方がいいですかね」
「……好きにしたらいいわ。ほら、あなたもカラオケいかが?」
ママは、除菌シートで拭いたマイクを愛香に渡した。
「い、いえ、私は聞いてる方が好きなので」
「ママ! 無理にすすめないでょぉーー」
酔っぱらった千晃先生はフラフラになりながら呂律がまわってない。その場にバタンと倒れた。
「いわんこっちゃない。飲みすぎよ! ……いつも調整しながら飲むのに珍しいわね」
ママは、うつ伏せになった千晃先生の肩をとんとんたたく。
「ごめんね、愛香ちゃん。連れて帰れるかしら? 今体起こすから」
(え?! 私が千晃先生を連れて帰る?)
「もう、千晃ちゃん。ほら、愛香ちゃんの肩につかまって!」
誘導されるがまま、愛香は生唾をのんだ。こんなに密着して大丈夫か不安になる。
「せ、……お兄ちゃん!! 行くよ」
危なく、先生と呼びそうになり、切り替えた。もう、流れに沿うように愛香は千晃先生を自宅までゆっくりと肩に腕を乗せてフォローする。右膝の痛みが少しあったが、今は痛みさえも忘れてしまえと千晃先生を自宅に送るというミッションコンプリートをしなければと考え、集中して歩いた。
電灯の近くを通りすぎると、寝言のように話す。
「朝美? 俺、頑張ってるんだからぁ、なぁ。戻ってこいよ」
訳の分からないことを言う。千晃先生だ。愛香は、きっと元彼女のこと言ってるんだろうと、急に切なくなってきた。
何も言わずに玄関の鍵を開けて、そっと千晃先生をソファの上に乗せて、立ち去ろうとすると、ぐっと、右腕を勢いよく引っ張られた。不意打ちだった。
ソファに引きずり込まれ、千晃先生の胸の上に顔が乗った。これは一体どういうことなんだろう。
右膝が猛烈に痛む。怒りを訴えようと顔を上げると、千晃先生の唇が愛香の唇に吸い付いて、もう離れることができない。
誰と勘違いしてるのだろうか。必死で抵抗して、逃げようとする。
ドンッと、千晃先生の体を押した。体が床の上に落ちた。ㇵッと我に返る頃には、愛香は前が見えないくらいの涙を流していた。耐えきれず、何も言わずに外に飛び出した。玄関のドアが勢いよくしまった。バタンという音が大きかった。
冷蔵庫の氷の自動で出来上がる音が地味に響いた。
「白崎?」
千晃先生は、眼鏡の位置を調整して、後頭部をぼりぼりとかいた。鍵を拾って、靴を半分履いて駆け出した。
お店の中では、バラードの歌が流れている。お客さんが気持ちよさそうにカラオケで歌っている。歌い終わると、カウンターで立つ煌びやかに化粧をするママと呼ばれる店長が拍手をして盛り上げる。時々、テンションがあがると、マラカスやタンバリンをたたき始める。見たことのない景色だった。
カウンターで千晃先生の隣に少しくたびれたくるくると回る固定黒いクッションの椅子に座った。
初めてスナック『あじさい』という店に入った。ずっとこの街に暮らして、生まれて初めて入った領域だ。
まさか高校生になって入るとは思わなかった。18歳で千晃先生の妹という偽って使って入店した。どうしてそこまでしてここに入らなければいけないか不思議で仕方なかった。彼女でもない愛香を相手するには、女性であるママの方がいいってことなんだなと後からなって気づいた。
「えっと、愛香ちゃんだっけ? 大変ね、寂しがり屋の千晃ちゃんの妹まで巻き込まれて……いつになったらあの人に彼女ができるのかしらねぇ」
ママは、ジョッキに注がれたビールをガブガブ飲みながら、話す。千晃先生のさらに隣にすわるもの静かなおじさんのお相手をしながら、愛香の話をしていた。なんて、器用な人だなと感心した。トークを次から次へまわすなんてと忙しい。しかも肝臓も強く、お酒を飲めなくてはお付き合いもできない。おもてなしのお料理も手作りだというから何でもできるんだなとジロジロお店の中を見渡す。
「愛香ちゃん、最近こっち来たんでしょう。千晃ちゃんから聞いたわ。引っ越してきたばかりって」
(ずいぶん出来上がったストーリーだな。仕方ない、話を合わせるしかないだろう)
愛香は、冷や汗をかきながら話を合わせていく。
「そ、そうですね。お兄ちゃんが、ここ紹介してくれるっていうので、楽しみに来ちゃいましたよ」
「あら、そう。千晃ちゃんったら、私のこと悪く言ってないわよねぇ」
その頃の千晃先生と言えば、常連のおじさんとお酒を飲みながら、ノリノリでカラオケを楽しんでいた。愛香のことを忘れかけて、楽しんでいる。
「愛香ちゃん、あの子ねぇ、彼女に振られてだいぶ経つのよ。ここに通うのも赴任してきてから3年。ちょうど別れてからこっちに来たそうよ。妹に癒されて、早く次の彼女見つけてほしいものだわ」
しみじみとビールから梅酒に切り替えて、たこわさびをつまみにおしぼりをお客さんに配り歩くママは、寂しそうな千晃先生を心配していた。
「あ、そうそう。愛香ちゃんにいいものあげる。今日、化粧品売りのお姉さんにもらったんだけどさ。勧誘しつこくて試供品だけって置いてったの。ぜひ、使って。私、もう譲れないシャンプーあるからさ、若い人にあげるぅ」
紫とピンクのグラデーションがパッケージに描かれていた。シャンプーとトリートメントの試供品だった。『しっとりさらさらムーンライトベリーの香り』と書かれている。3回分くらいは使えるようだ。
「あ、ありがとうございます」
「いらなかったら、千晃ちゃんにあげてね。あの子は流行りものには目がないだってさ」
「え、むしろ、とって置いた方がいいですかね」
「……好きにしたらいいわ。ほら、あなたもカラオケいかが?」
ママは、除菌シートで拭いたマイクを愛香に渡した。
「い、いえ、私は聞いてる方が好きなので」
「ママ! 無理にすすめないでょぉーー」
酔っぱらった千晃先生はフラフラになりながら呂律がまわってない。その場にバタンと倒れた。
「いわんこっちゃない。飲みすぎよ! ……いつも調整しながら飲むのに珍しいわね」
ママは、うつ伏せになった千晃先生の肩をとんとんたたく。
「ごめんね、愛香ちゃん。連れて帰れるかしら? 今体起こすから」
(え?! 私が千晃先生を連れて帰る?)
「もう、千晃ちゃん。ほら、愛香ちゃんの肩につかまって!」
誘導されるがまま、愛香は生唾をのんだ。こんなに密着して大丈夫か不安になる。
「せ、……お兄ちゃん!! 行くよ」
危なく、先生と呼びそうになり、切り替えた。もう、流れに沿うように愛香は千晃先生を自宅までゆっくりと肩に腕を乗せてフォローする。右膝の痛みが少しあったが、今は痛みさえも忘れてしまえと千晃先生を自宅に送るというミッションコンプリートをしなければと考え、集中して歩いた。
電灯の近くを通りすぎると、寝言のように話す。
「朝美? 俺、頑張ってるんだからぁ、なぁ。戻ってこいよ」
訳の分からないことを言う。千晃先生だ。愛香は、きっと元彼女のこと言ってるんだろうと、急に切なくなってきた。
何も言わずに玄関の鍵を開けて、そっと千晃先生をソファの上に乗せて、立ち去ろうとすると、ぐっと、右腕を勢いよく引っ張られた。不意打ちだった。
ソファに引きずり込まれ、千晃先生の胸の上に顔が乗った。これは一体どういうことなんだろう。
右膝が猛烈に痛む。怒りを訴えようと顔を上げると、千晃先生の唇が愛香の唇に吸い付いて、もう離れることができない。
誰と勘違いしてるのだろうか。必死で抵抗して、逃げようとする。
ドンッと、千晃先生の体を押した。体が床の上に落ちた。ㇵッと我に返る頃には、愛香は前が見えないくらいの涙を流していた。耐えきれず、何も言わずに外に飛び出した。玄関のドアが勢いよくしまった。バタンという音が大きかった。
冷蔵庫の氷の自動で出来上がる音が地味に響いた。
「白崎?」
千晃先生は、眼鏡の位置を調整して、後頭部をぼりぼりとかいた。鍵を拾って、靴を半分履いて駆け出した。