君がプールで泳げたら
 夜十時。別に不審者が出るような都会の高校でもない。忍び込むも何も、校門横の通用口を開ければよいだけのこと。まあ、不法侵入扱いにはなるかもしれないけどね。
 校庭の真ん中、ちほ先輩はいた。
 ショーパンにタンクトップ姿できょろきょろとあたりを見渡している。「シュウ君」
「ちほ先輩」
「会田先輩。だから名前で呼ばんでっていうとるんに」
「二人だけならいいですよね?」
「癖になってみんなの前でも呼びだすから、ダメ」そういう先輩は嬉しそうだ。「でも、これってあたしたち不法侵入だよね?」
「自分の学校なんだからいいんじゃないです? 忘れ物取りに来たとかいえば」
「そんなずさんないい訳初めて聞いた」

僕はちほ先輩から離れ夜の校庭を全力疾走する。「えっ? ちょっ、とっ、待っ、てっ、よっ!」途中でちほ先輩に肩を掴まれる。
 ——は? 先輩、足速くないですか? しかし僕はさらにストライドを拡げ、先輩を振り切って夜の校庭を——プールへひた走る。靴は途中で後ろへ飛んでった。すでに心臓が爆音を上げ、僕の人生のフィニッシュを飾ろうとしているがそうはさせない。絶え絶えとなった息を整えつつ、夜景の浮かぶプールへの階段をのぼりながら服を脱いでいく。
「——!」先輩、大丈夫ですよ、穿いてます。

 海パンのみとなった僕は両足をそろえ、水面へ見事な弧を描——かなかった。飛び込んだのはいいが、足を支点に振り子のように、つまりお腹から着水した。——痛い。息できない。水を飲みすぎて声も声にならない。
「あがあああ」
 なんだろう、後ろから強く僕の両脇を抱えられている。「バカ! 立って! 立てるから!」
「——ほんとだ。なんだ、立て」いい終わらないうちに左頬に強烈な平手打ちを食らう。
「バカ! なんなんもう! ほんとなんなん! アレ信じてこんなことしたの? 金槌なのに危ないと思わないの!」
「だったら! だったらなんで好きとも嫌いともいわないんですか! そうやっていつも僕を人として評価してくれない! もう、疲れました——もう何でもいいですよ」
 
「おーい、そこ、誰かおるんかー?」——警、察?
 もういい。もう終わったんだから。僕は思い切り大きな口を開けて息を吸い込んで、叫び――

あたたかいな
だけど、なのに、つめたいな——

「それ、シンプルに口封じですよね」僕は自分の唇に残る感触が信じられなかったけど、小声となってうつむく。
「ち、違うわよ。あたしの、その、答えっていうか」
「泳げましたねおめでとう的な?」
「それも違う。だいたい、泳げてないじゃない。思いっきり溺れてたじゃない——」と、先輩は目をそらす。「いいよっていう——ことよ」
 僕は水面下でガッツポーズをした。僕が千手観音だとしたらすごい量のガッツポーズだろうな、そんなことを思わせるマッシブなガッツポーズ。

自転車のスタンドが立たされる音がする。さっきの警邏中の警察か。「先輩、思ったよりマズい」
「早く服持って。向こうの柵から飛び降りるよ。ほら、早く」衣服をまとめる。手すりから樹伝いに飛び降りれば怪我もしなさそうだ。「先輩も早——」「こっち見ないで!」

 スペースシャトルが大気圏に突入するんじゃないかってスピードで僕は前を向く。「な、先輩、な、なんで脱、脱」「水から上がる時に脱げたのよ。でも、水中じゃないと張り付いて穿きにくくて」
 今、僕の心臓は最高潮に高鳴っている。今夜その務めが終わろうとも、だ。

「僕、先行ってますんで。先輩も下に着いたらゆっくり穿いてください」
「シュウ君、このことは」
「誰かにいって得しますか?」
「まあね」
 今夜のことは、ふたりの思い出。誰にも話さなかった、最高の思い出。この秘密が秘密でなくなる日が来るかどうかは分からない。でもその時は、もう少し僕たちも成長しているだろうか。
 楽しみだ。
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