恋愛対象外に絆される日
そうやって数年レトワールで働いていたある日。

「長峰!」

畑中さんが血相を変えて飛んできたので何事かと身構えた。

「陽茉莉ちゃんが……!」

「落ち着いてください。どうしたんですか?」

畑中さんの目には涙がたまっている。身構えている体がさらに強張った。

その後店長から正式にレトワール従業員に通達があった。矢田さんが交通事故にあって意識不明の重体だということが。ショックなんてものじゃなかった。心配でたまらなくて、それはレトワールの従業員全員が同じ気持ちだったけれど、畑中さんが一番心配していたんだと思う。接客をするとき以外はずっと涙目になっていたから。

「大丈夫ですか?」

そっと声をかけた。

「ごめん、大丈夫よ」

凛とした笑顔。けれどそれは苦しそうにも見えた。
畑中さんは強い。強いけれど脆い。そう感じたけれど、俺にはどうすることもできない。ただ仕事に勤しむだけだ。

数日後、矢田さんの意識が戻った。だけど彼女には記憶がなくなっていた。俺のことも畑中さんのことも、レトワールのことも、なにもかもすべて。ショックだった。これから彼女はどうなるんだろう、不安しかない。でも――。

「……ひとまずはよかったわよ。陽茉莉ちゃん、常連のお客様にも可愛がられていたし、無事だと言うことをお伝えするわ」

畑中さんがまた瞳に涙をためながら微笑んだ。
矢田さんのために俺たちができることは少ない。だけど畑中さんと二人、矢田さんがいつレトワールに戻ってきてもいいように力になることを誓った。

「ん」

畑中さんがこぶしを突き出す。俺もこぶしを突き出した。コツンとぶつかることで俺達の想いを共有した。そうやって、誰かと想いを交わすことは初めてで、触れたこぶしが特別なものに思えた。
< 39 / 106 >

この作品をシェア

pagetop