恋愛対象外に絆される日
「とりあえず鍵は返してね」

「結子」

「なに?」

ずっと掴まれたままの手首がふいに引っ張られる。前のめりになった私はそのまま貴文にきつく抱きしめられた。

「ちょ、離して」

「やっぱり結子がいい。結子じゃなきゃ、ダメなんだ」

貴文の言葉すべてが滑稽なものに思えた。

腹立つ腹立つ腹立つ!
抱きしめられたって1ミリもときめかない。嬉しくない。むしろ嫌悪感。

「どうせ彼女にフラレたんでしょ。それで私のとこに戻ってくるなんて馬鹿げてるわ。私のこと馬鹿にしすぎよ」

押してもびくともしない、むしろきつく抱きしめられるだけの状況で脱出するにはこれしかない。私は思いっきり足を振り上げた。曲げた膝が貴文の急所にクリティカルヒット。

「うっ」

声にならない悲鳴を上げた貴文の腕が緩んだ隙に思い切り押しのけてやったら、貴文はいとも簡単に床に転がった。急所を押さえながらうずくまっている。ざまあみろだ。

私は玄関を開ける。

「今すぐ鍵を返して出てって。さもなくば痴漢だって叫ぶわよ」

「待てって。話し合おう」

「ああそうそう、ここのゴミ持って帰ってくれる? あなたの私物だから」

足でゴミ袋を蹴ったら、中でガチャンと嫌な音がした。たぶん食器が割れたんだと思う。まあ、いいよね。どうせゴミだし。

「結子」

「うざい。キモい。名前を呼ぶな」

「やり直したい」

「彼女とやり直せば? 若くて可愛いじゃない」

「彼女には他に好きな人がいるんだ。だから相談に乗っていただけなんだよ」

「あーもう、しつこい。どうだっていいわよ。私はもう貴文のことを好きじゃない。それに好きな人ができたの。誤解されたら困るから、邪魔しないでくれる?」

いつまで続ければいいの、この言い合い。警察でも呼ぼうかしら。ああでも痴話喧嘩として相手にしてもらえないかも。ていうかいい加減しんどい。頭痛いし横になりたい。

「ねえ、いい加減に――」

ため息混じりに口をついたところで、ぐっと扉が引かれた。扉に背を預けていた私は後ろによろける。

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