妖怪ホテルと加齢臭(改訂版)久遠と天音
この旅館を買いたいという客がいる。
地元の不動産屋のおっちゃんから、連絡があったのは3日前のことだ。

その客が下見に来るという約束の時間から、すでに20分立っている。

うっそうと茂っている雑木林の坂道から、不動産屋の軽自動車が見えた。
おっちゃんが、汗を手ぬぐいで拭き拭き、車から降りて来た。

「ごめんねぇ、なんか、むこうさん、都合がつかないって連絡が来て。
また、日程調整するからね」

ああ、まったく・・・天音の緊張感が、一気にほどけた。

この日を迎えるために、どれほど一人で、この旅館を掃除しまくったか。
少しでも見栄え良くするために、査定額を上げるために・・・

「ああ・・そうですか・・しかたがないですよね・・・」

天音はすこし口をとがらせたが、すぐに笑顔をつくった。
このおっちゃんのせいではないのだ。

「本当に悪いね、天音ちゃん、明日にも、東京に戻るんだよね」
天音は作り笑いをした。

「まだ、ここにいます。土蔵や物置の整理もあるし・・立ち退きまでには、何とかしなくてはならないから」

立ち退き・・・
天音はこの事でも、頭が痛かった。
趣味人であった祖父の残した美術品、骨董品の多さ。

鑑定団ではないが、その中に金目のものが果たしてあるのか・・・一括で粗大ゴミで捨てるのか。

「じゃぁ、また、連絡するから」
不動産屋のおっちゃんは、せかせかと車に乗り込んで、帰っていった。

坂を下り、豆粒ほどになった車を見送って、天音は空をあおいだ。

さて・・どうするか。
この旅館の立ち退き、処分のために、一週間の有休を取っている。

天音は堅苦しい紺のスーツを脱いで、ハンガーにかけながら考えていた。
Tシャツにジーパン、フード付きのパーカーを着てから、厨房の大型冷蔵庫をあさった。

夕飯になるもの・・米と野菜はある。
肉や魚は、近くの農協に行かなくてはならない。

天音は米を炊飯器に仕込んで、今晩は鍋にしようと考えていた。
それと、日本酒。

ここから30分ほどの所にある、地元で有名な酒蔵がある。
ふふふふふ・・・
思わず口元が、ゆるんでしまう。

日本酒はいい。辛口ですっきりしている。
この庭とお別れの時は、もみじの木に日本酒をささげよう。

天音は財布をバックに入れて、自転車を引っ張り出した。
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