妖怪ホテルと加齢臭(改訂版)久遠と天音
「なんで、言ってくれなかったのかな?
もっと、頼って欲しかった。がまん強い人だったから。
あの人は異邦人(エトランジェ)で、苦労をしていたはずなのに」

久遠の目から、涙がポトンと膝に落ちた。
それから涙が、あふれるように落ちていく。

「お母さんは・・・きっと、あなたに、心配をかけたくなかったのでしょう?」
天音はそう言って、そっとバックからティッシュを取り出し、久遠に渡した。

愛する息子に、弱っていく母親の姿を見せたくなかったのかもしれない。
美しい姿のままで、記憶に残したいと思ったのか。

久遠はティッシュを受け取り、目をぬぐうと、

「親父は、1年後に再婚して、母親の物をすべて処分したらしい。
俺と同じで、寂しがりの人だから、しかたがないと思うけど。
でも、俺の帰る場所が、なくなってしまったんだ。
俺も異邦人(エトランジェ)になってしまったようだ」

久遠は、ポケットから小さなハンディタイプの和英辞書、それもかなり使い込んだものを取り出した。
「これが、唯一の母親の形見なんだ。」

久遠がパラパラとページをめくると、一枚の赤いもみじの押し葉がはさまっていた。

「きっと、とてもきれいだったから、残したのだろうね」
久遠はその押し葉を手に取ると、くるくると回した。

久遠の母親も紅(くれない)に染まったもみじの木を見上げ、その美しさに見とれたのだろうか。

「日本の事を、もっと話して欲しかった。」

天音は、その押し葉を見続けた。
「それで、天音ちゃんの紅葉のホテルを見た時、ここが俺の帰る場所だって確信した」

久遠は壊さないように、そっともみじをページに挟んで辞書を閉じた。

< 35 / 37 >

この作品をシェア

pagetop