妖怪ホテルと加齢臭(改訂版)久遠と天音
「あと、天音ちゃんが、黒い着物を着た時、本当に驚いた。
あの人は、セレモニーや大切なお客が来た時は、黒い着物をいつも着ていたから。
まるで母親が、そこに立っているかのように、一瞬・・・思えてしまったからね」

久遠の母親は、黒留めそでを着ていたのか。
既婚女性の正装だから。

「本当に、俺は何もしてあげられなかった。もっと、もっと・・ちゃんと」
久遠は顔を手で覆って、静かに嗚咽した。

後悔の念、深い傷跡・・・母親への思慕。
まだ、傷が癒えていないのだろう。

天音は少し躊躇したが、久遠の肩に手をまわした。
すると、久遠は、体を折り曲げるようにして、天音の膝に顔をつけるような姿勢になった。

天音はゆっくりと、その背中をさすってやった。

何を・・・言ってあげればいいのだろう。

大型わんこは、子犬のように、体を震わせて泣いている。
まだ、母親への想いが、整理できなくて・・

正面の建物の窓、カーテン越しに、多くの人の影が動いているのが見える。
食事の時間だ。

天音は、久遠の背中に顔をつけて、ささやいた。
「夕飯・・まだだよね。ご飯、一緒に食べよう」

久遠は、子どものように鼻をすすりあげて、上体を起こした。
「うん、うん」
うなずきながら、こぶしで目をこすっている。

「一緒に帰ろう。お家に・・」
天音は、ついに言ってしまった。

これこそが、現実の結婚宣言ではないか。

それを聞くと、久遠が安心したようにほうと息を吐いた。

「あとね、こどもができたら、絶対認知するから。
俺さ、ちゃんといいダディになるよ」

久遠が決意表明すると、天音は困り顔で笑って
「結婚するなら、認知はしなくても大丈夫なんだけど」

少し考えて、天音は言った。
「あなたのお母さんのお墓参り、一緒にいきましょうね」
その時は、地味目の小紋を着よう。

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