妖怪ホテルと加齢臭(改訂版)久遠と天音
ワゴンには鍋セット、鶏は地鶏、ごはんは農家から玄米で買って、精米したてのもの。
野菜は、近所の農家のおばちゃんがくれた。どれも新鮮でおいしいはずだ。
それと吟醸酒。ここの酒蔵の逸品。

「タカハラ様、失礼いたします」
天音は声をかけたが、返事がない。

そっとふすまを開けると、部屋には誰もいない。
そばの風呂場で水音がする。シャワーを浴びているのだろう。

天音は素早く机を拭き、カセットコンロに点火した。

ふと横を見るとリュックの脇、パスポートが、畳の上に無造作に置いてある。
一応・・身元確認・・今晩、泊まるのだし・・・天音はパスポートを広げた。

クオン・タカハラ・リッジモンド
バースデイは・・天音より5個下だった。

パスポートは使い込まれ、多くの出入国スタンプが、乱雑に所せましと押されている。
海外を何回も、相当の距離を移動してきたのがわかった。

数分後
風呂場の戸が、ガラッと開いた。

久遠が、びしょぬれの頭にタオルをかぶり、ゆかたはだらしなく着崩れている。

胸が目いっぱいはだけて、そもそも長身の彼には、浴衣のサイズが合っていなかったのだ。

一瞬、筋肉質の胸に目が止まったが、すぐに視線をずらして鍋のふたをあけた。
もわもわの湯気と、だし醤油の匂いが室内に広がる。
久遠が大きく深呼吸した。

「へぇーーー鍋かぁ、うまそうだな。
ずーーーっと、機内食とカレーの匂いで、来たからな」

久遠は、どっかりとあぐらで座ると、
「しょうゆとか、味噌の匂いも日本の匂いだよね」
そう言って、箸を取った。

「いただきます」
礼儀正しい・・・きちんと躾けと教育を受けてきた人なのだろう。

天音はそう思いながら、鍋から野菜や肉を取り分けて、久遠の前に置いた。

「俺さ、母親が日本人なの。
だから、肉じゃがとかさ、お好み焼き、おにぎりとか、小さい頃、いっぱい作ってくれたよ」
遠い昔を懐かしむように、目を細めた。

天音は、手早くコンロの火力を調節すると
「それでは、失礼いたします。お食事が終わりましたら、おさげいたしますので」

天音が、立ち上がろうとすると、久遠がすがるような目で天音を見上げた。

「一緒に食べようよ。一人じゃ、寂しいよ」
はぁ・・・寂しいって・・天音は、目が点になった。

「それに君の・・名前聞いてない」
ああ、そうだ。私の名前を、言っていなかったっけ。

「あの、三角(みすみ)・・天音(あまね)と言います」
天音は一瞬、額にしわを寄せた。

小学校の頃、よく「さんかく」、「てんおん」と言われたからだ。
気まずくなる前に、先に言っておいた方が良いのだろう。

「三角は、トライアングルの漢字で三角、天の音と書いて、あまねと言います」

天音は事務的に言うと、鍋に肉や野菜を追加で入れた。
久遠は、考え深げに、日本酒を一口飲んで

「天の音かぁ。どんな音が、するのだろうね。ダルシマーの音っぽいね」
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