猫の初恋
「すずーっっ」

ペチペチと頬を叩かれたけれど、私はとうとう堪えきれずに目を閉じてしまっていた。

「……」

「……」

光のあたらない暗い水底に落ちるように、もう誰の声も聞こえない。

もうどうでもいい。

目をあけたくないの、起き上がりたくない。

記憶が剥がれ落ち、自分が何者かもわからなくなっていく。

ただ、水の中でたゆたっているだけ。
 
私は何ものでもない。

そのうちに水に溶け合い泡と消えていく気がした。

そこはもう、なんにも辛いことのない世界に思えた。

とても静かで気持ちがいい。

「……」

「……」

だけど、そんな静寂を破るように声が聞こえた……ような気がした。

誰?

「……」

もう、放っておいてよ。

「……」

今なんて言ったの?君はダレ?

「ね……」

聞こえない、だけどこの匂いは覚えてる。

大好きな匂いだ。名前は?ううんやっぱり思い出せないよ。

どうしょう、思い出したいのに思い出せない。

とっても大事なことを忘れている気がするの。

「ね……み」

「ねこみや」

呼びかける声に答えようとして、必死に水の中でもがいた。

知りたい、知りたい
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