猫の初恋
辛そうにしゃくり上げながら彼は言葉を紡ぐ。

もしかして、泣いてるの?

どうして?

ダメだよ、泣かないで。

うん、わかった。

だからもう泣きやんで、一条くん。

名前を呼ぶから。言う通りにするから。

私ね、一条くんの笑った顔が好き。

「いちじょうちはや」

つぶやいた途端に体が軽くなって水の中をフワフワ泳げる浮力を手に入れた。

頭上を見上げれば一筋の光が見えたから、そこへ向かってゆっくりと上がっていった。

するりと何かから抜け出した感覚。

私は、懐かしい人の腕の中に飛び込んですぅっと意識を手放していた。

「どうしてまだ目を覚まさないんだろう?」

「大丈夫、しばらくしたら気がつくはずよ」

「一条、俺と代われ。すずとくっつくな」

頭の上で声がして目が覚めたら、そこはさっき一条くん達がいた廃屋のある大きな庭。

「よかった猫宮、やっと目を覚ました」

一条くんの安堵した声。

「やったぞ、おまえ一条、でかした」

お兄の歓喜の声。

「すず、落ち着いてゆっくり息を吸いなさい」

人の姿の母は私の手を握ってくれている。

3人が心配そうに私を覗きこんでいた。
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