一番星にキス。

 私の周囲が動いたのはそれから数日した頃のことだった。

「野宮いちごさんっていらっしゃいます?」

めがねを掛けた、お下げの女子生徒が付箋だらけのノートを持って立っている。私は呼ばれて立ち上がった。

「私だけど、どうしたんですか?」

 彼女はファンキーに「ちょっとちょっと」と手招きをした。私はいぶかしみながら、彼女のあとをついていく。小柄な女子生徒は非常階段のところまでくると、私をくるりと振り返った。


「私、落合(おちあい)るみっていいます。落合と呼んでください。下の名前が好きじゃないので」
「は、はあ。野宮いちごです。私のことはなんとでも……」


 つられて自己紹介してしまった。落合さんは眼鏡をなんどもかけ直すと、じっと私の顔をみつめた。

「野宮さんに折り入ってお聞きしたいことがありまして」
「……なんですか」

 なんとなく察していた。落合さんの持っているノートには「六等星BLOOM」と書かれている。おそらく尊関係のことだ。

「小鳥遊……いや、田中尊さんとお付き合いをされていたということで」

「はい。……もう別れましたけど」

 自分でうそぶいて、軽く落ち込む。本当に別れたかのような気分になるからだ。

「田中さんとはいつからのご関係で」



 それ、言わなきゃならないんですか? という言葉をぐっと飲み込む。

「……幼なじみです。幼稚園の頃から」

「なるほど」

落合さんはノートを開いてペンを持った。「幼稚園の頃から」

「あの、それを聞いて何をしたいんですか?」


 私はすこしいらいらしながら聞いた。彼女はまたずれた眼鏡をかけ直した。

「私、ロクブルの情報を集めていまして。新メンバーの元カノの情報なら、かなり価値があるかと」
 
眼鏡をきらりと光らせて、落合さんが言う。私は少しいやな気持ちになる。

「あの、落合さん。話せることと、話せないこととありますけど、いいですか。尊の個人情報だってあるし……」

 落合さんは目を丸くした。

「噂で聞く限り、てっきり喧嘩別れしたのかと思っていました。そうじゃないんですね」
 噂?
 その言葉になんだか引っかかったけれど――今はそんなことを気にしている場合ではない。



「まさか。夢を応援するために別れたんだよ」

 ずき、と痛む胸を無視して、私は怒りのままに言い放った。敬語も、とれてしまった。

「どんな噂が回ってるのか知らないけど、好き勝手言わないで。私のことはどうでもいいけど、尊の邪魔だけはしないで」

 落合さんはぽかんと口をあけて私を見つめた後、おずおずとノートを閉じて、そして。

「いいですね、推せます」

 こんどは私がぽかんとする番だった。

「推せ……?」

「いちごさん、推せます。その強い意志。元カレを応援しようという志。その意地!」

「いやあの、ええっと」

「箱推し!」


 落合さんは謎にのけぞった。私は困惑した。

「なんですか……?」

「小鳥遊尊と野宮いちご。幼なじみで元カレ・元カノ。しかし固い絆で結ばれている!いいです! 素敵ですよ」

「いや、何……?」」


 ぶんぶんと頭を振った落合さんが眼鏡を吹き飛ばした。からんと転がった眼鏡を私が拾う。

「ありがとうございますいちごさん。あらぶりすぎました」

 ……大丈夫かな。

「大丈夫です」

 声に出てたみたいだ。

「いえ、私はですね、学校からロクブルのアイドルが輩出されたことを誇りに思っているし、とてもうれしいんです。推していますから。私は小鳥遊尊が入所した時点で、彼を推すことを決めていました」

「はあ」

 私はとりあえずうなずいた。聞くだけ聞いて、しゃべらせておいた方がいいかもしれない。

「なので、情報収集をば。小鳥遊尊を最も効率的に応援するために」

「……つまり、落合さんは尊のファンなの?」

「そうです」

 眼鏡の奥の瞳が笑んだ。


「さっきからずっとそうお伝えしているじゃありませんか」
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