涙を越えて

第十二話 喜びの歌

「…………」
 誰も声を発しない。まるで皆の時間が止まったかのようだった。呼吸の音さえ聞こえない。
「……ごめん……」
 不意に氷月が謝る。それをきっかけにして皆が一斉に息を吐いた。
「何で謝るんだよ?別に謝る事なんて……」
「いや……僕のアレンジが悪かったんだ、きっと。だから落ちたんだ。本当にごめん……!」
 氷月が立ち上がって深々と頭を下げる。それを見て慌てて肩を掴んで頭を上げさせた。
「やめろよ!そんな事言ったら一番の原因は俺だろ?結構音外しちまったし……だから俺のせいなんだって。お前が謝る必要なんて……」
「嵐はよくやったよ。頑張った。実を言うと今回のアレンジ、ちょっと自信がなかったんだ。イマイチしっくりこなかったというか……でも本番に間に合うように急いだからこんな事に……」
「氷月……」
 氷月ががっくりと項垂れている。初めて見る姿に何も言えずにいると今度は雷が……
「俺、緊張してリズム狂っちゃった所があったんだよね。誤魔化そうとしたけどやっぱりバレちゃってたんだ……責任は俺にあると思う。だからごめん……」
「お前まで……」
「悪い……俺も上がっちまってミスした。俺にも責任がある……」
「竜樹……」
「僕もリズム間違えた箇所が何ヵ所かあった……ごめんなさい……」
「……風音…」
「わ、私も間違えちゃったの。手が震えて…ごめんなさい……」
「南海ちゃん……」
 次々に謝られてどうしたらいいのかわからない。茫然と立ち尽くしてると、ガタンっと音がして怒声が響き渡った。

「バカじゃないの!」
「ふ、吹雪……?」
 見ると吹雪がさっきまで俺達が凝視していた、オーディションの結果が印刷されている紙を手にしていた。
「たった一回オーディション受けて落ちただけでそんなんでどうするの?いい?この結果は今の私達の実力なの。落ちたからって誰のせいとか関係ない。これが現実。それ以上でも以下でもない。」
「吹雪……」
 吹雪の剣幕に誰も反論できないでいると、少し落ち着いた様子で息をついて続けた。
「それにもっと自分達の演奏に自信と自負を持ってよ。胸を張ってよ。自分達で否定なんてしたら誰も評価してくれないよ?それじゃあ可哀想じゃん。私達がするべき事はまず、お互いを労う事だよ。『良くやった!今回は残念な結果になったけど、また次のチャンスがきっとくる。それまで今回の反省点と改善すべき点を見つけて今後に役立てよう。』このくらい言えないの、嵐?リーダーでしょ!」
 ドンっと背中を思いっ切りどつかれて前のめりになった。
「いってぇ~~!!」
「『いってぇ~~!!』じゃないわよ、もう!氷月が弱ってるこんな時に本良発揮しなきゃ。」
「弱ってるって……まぁそうだけど……」
 氷月が苦笑混じりに言うと、凍っていた他のメンバーも我に返った様子で各々苦笑いを浮かべた。最初に竜樹が口を開く。

「吹雪、サンキュー。渇入れてくれて助かったよ。」
「ありがと。さすが吹雪ちゃん!迫力あったね~」
「雷、それはどういう意味?」
 睨まれて雷が縮こまる。それを見て風音が笑った。
「雷はいつも一言余計なんだから。でも吹雪ちゃんのお陰で大切な事に気づけた。本当にありがとう。」
「私からもありがとう、吹雪。やっぱり吹雪はしっかりしてるね。」
「そんなに誉められると照れるじゃないの、もう!」
 そう言ってまた俺の背中を叩く。声にならない声を出して蹲った。何で俺だけこんな目に……?
「吹雪、ありがとう。僕、もっと勉強して今度こそ納得のいく曲を作ってみせるよ。」
「楽しみだわ、氷月。」
「ねぇねぇ、あのさ。」
「何?雷。」
「俺達のリーダー、吹雪ちゃんにしない?」
「はぁ!?」
「だって嵐よりも氷月よりも頼りになるんだもん。その方がいいよね?ねぇ、竜樹?」
「ん~まぁ、確かに嵐よりはいいかもな。」
「おいっ!」
「嬉しいけどやめとくわ。」
「何で~?」
「だってリーダーなんてめんどくさいでしょ。嵐で十分よ。」
「『で』って何だよ!」
 突っ込むとけらけらと明るく笑う。その笑顔を見ている内に何かどうでも良くなってつられて笑った。
 すると皆も笑いだして、しばらくスタジオには俺らの笑い声が響いた。



 それから一週間程が過ぎたある日、思いもかけない事が起こった。
 いつものように吹雪とボーカル用の部屋でレッスンをしていると、ドタドタと廊下を走る音が聞こえた。『何だ?』と吹雪と顔を見合わせていると、勢いよく扉が開いて竜樹が入ってきた。
「嵐!吹雪!」
「うるせぇな!何だよ!練習中だろうが!」
「練習なんてしてる場合じゃねぇよ!『earth』っていうレコード会社知ってるだろ?」
「もちろん知ってるよ。それがどうした?」
『earth』は先日のオーディションを主催していたレコード会社の子会社で、有名なバンドやアーティストが所属しているところだ。
「そこの事務所の何とかっていう人が今来てんだよ。その人、この前のオーディションの録音聞いて来たんだって。話があるから全員集めてくれって。これって……」
「もしかして……?」
「まさか……」
 三人で顔を見合わせる。そして次の瞬間には廊下を走っていた。


「すみません。お待たせして。」
 スタジオに着くと氷月がその何とかさんにお茶を出していた。
「すみません!…はぁ、はぁ……ちょっと練習中だったもので……」
 ダッシュで走ってきたから息が荒い。深呼吸しながらその人の側に行って自己紹介した。
「辻本嵐です。一応その…リーダーやってます。」
「『earth』のマネージャーの佐竹恵です。これ名刺。」
「あ、ご丁寧にありがとうございます。」
 俺はその名刺を受け取りながらソファーに座っている佐竹さんの隣のソファーに座った。俺以外のメンバーは既に揃っていて、遠巻きに俺と佐竹さんを見つめている。
「それでお話というのは……?」
「あなた達が受けた先日のオーディションの録音を聞かせてもらったわ。まだ粗削りだけど若さと勢いがあった。」
「はぁ……ありがとうございます。」
「それで今日はあなた達をスカウトしに来たの。」
「そう、スカウトですか。それは結構な事で……ってえ"ぇ"ぇ"ぇ"!?」
 俺はソファーを蹴飛ばす勢いで立ち上がって叫んだ。それに雷のでかい声が被さって、竜樹達もざわざわし出した。

「あの……スカウトってそれはプロとしてデビューさせる為、という事なんですか?」
 氷月が口をパクパクさせるだけの俺に代わって言うと、佐竹さんは大きく頷いた。
「実はあのオーディションにうちの社長も審査員として参加していたんだけどね。親会社の判断は落選だったけど社長はあなた達に希望を見出だしたみたいで、是非うちからデビューさせたいと言ってるの。」
「デビュー……」
 吹雪が小さく言ってそのまま固まってしまった。それを見た竜樹がそっと肩を叩いているのが目に入る。途端、何故だか胸が痛んだ。
「まぁデビューできるかはあなた達の頑張り次第だけど、うちの会社としては受け入れる準備は整えてる。後は……」
「僕達の返事次第って事ですね。」
 風音が言うと全員の視線が俺に集まった。
 何だよ……俺に委ねるって事か?こういう時ばっかりリーダー扱いすんじゃねぇよ!
 ちらっと吹雪を見ると吹雪も俺を見ていた。その目が何を訴えているのか、何を求めているのか。しばらく見つめ合った後、一度軽く目を瞑って言った。

「……俺達はデビューを夢見て今までやってきたんです。だから…お願いします!」
 頭を下げる。視界の端でメンバー全員が俺に倣って頭を下げたのを捉えていた。
「良かった。これでうちとしてもプロジェクトとして始動する事ができるわ。後日正式に契約手続き等を当社で行うから、その時はリーダーの貴方ともう一人……そうね、貴方が来てくれる?」
 佐竹さんが氷月を名指しした。一瞬驚いた顔をした氷月だったが無言で首を縦に動かした。
「日付が決まったら連絡するわ。じゃあ……」
 急いででもいるのか早口でそう捲し立てると、そそくさとスタジオを出て行った。
 バタン……と扉の閉まる音が静寂の中に響く。沈黙が辺りを支配した。

「…………」
 その間数十分、いや数秒だっただろうか。誰かの衣ずれの音を合図に、吹雪と南海ちゃんの歓喜の悲鳴が上がった。
「やったーーー!」
「すごーい!!」
 それにつられて、金縛りにあったようだった俺達も次々と歓声を上げた。
「マジか!?」
「信じられない。僕達がデビュー……?」
「わかった!絶対夢だ、これ。ほっぺたつねったら目が覚めるパターンだ。……いってーーー!」
 竜樹、風音、雷がいつもよりテンション上がった様子で叫んでいる。氷月は何も言わなかったけど静かに喜びを噛みしめているようだった。
 そして吹雪と南海ちゃんは抱き合って子どものようにわんわん泣いていた。
 そんな中俺は……何故だか笑いながら泣いていた。嬉しいはずなのに確かに泣いていた。



『喜びの(song)

 この広い大地に 居場所はあるのか
 僕達の歌は届いていたのか
 ずっと考えていた
 この音の行方を この声の意味を

 何もない場所に花を咲かすには まず何をどうすればいい?
 土を耕す事か?種を手に入れる事か?
 その答えは――――

 海を目指した僕達は
 ピラミッドみたいな波を乗り越えて
 希望の光を見たんだ
 それは力強くて 儚くて
 頬に一滴滑り落ちた

 人は嬉しい時でも涙が出る
 そんな生き物だ

 人は悲しい時こそ笑ってみせる
 そんな性なのか

 だけど僕らは高らかに歌う
 この喜びの歌を
 全ての人の希望の歌になれるように

 人は悲しい時こそ笑ってみせる
 嬉しい時でも涙が出る
 そんな生き物だ

 さぁ 喜びの歌を
 この世界の果てで
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