涙を越えて
第三十四話 招待状
事故にあって三ヶ月後、私はやっと足のリハビリに踏み切った。
それはもう想像を越える辛さで、一日に一度は泣き言が口をついて出る程だった。でも絶対に諦めなかった。諦めたくなかった。
私の、そして『the natural world』の未来の為に。
「頑張ってるか、吹雪。」
ちょうど休憩していた時、嵐が差し入れを持って来た。
椅子に座りながら頷くと、隣に来て持っていたビニール袋から次々と品物を出していく。牛乳やらヨーグルトやらが椅子の上に溢れた。
「乳製品ってカルシウムがいっぱい入ってるって聞くだろ?骨を強くするのにいいかと思って。」
そう言って笑顔を見せるけど、ちょっとこれは……
『買い過ぎだから!』
脇にスタンバイしておいた画用紙にそう書いて見せる。すると嵐は頭をかきながら「えぇ~……?」と情けない声を上げた。
『牛乳とかヨーグルトって賞味期限短いんだよ?そんなに買って……飲みきれないよ。』
「ぐっ……!じ、じゃあ俺も一緒に飲むよ。」
たくさんある牛乳の内から一つを取って開け始める嵐。呆気に取られてる間に一本飲んでしまった。
「あぁ~~!うんめぇ~」
左手を腰に当てたまま牛乳のパックを持った右手を高々と掲げて声を張る姿に、何事かとその場にいた全員が一斉にこっちを向く。私は恥ずかしくなって慌てて嵐を座らせた。
『恥ずかしいから止めてよ!それに迷惑でしょ!』
「わ、悪い……でもこの牛乳本当に旨いぜ。飲んでみろよ。」
勧められて飲んでみる。パッケージには『骨を強くするカルシウムがたっぷり!』と書かれていて、確かに病院で出る牛乳より美味しく感じた。気のせいかも知れないけど。
『リハビリの続きするから帰ってもいいよ。』
「何言ってんだよ。手伝う為に来たんだから。えっと、どうすればいいんだ?」
牛乳を飲み終えてリハビリを再開しようと手摺りを使って立ちながら帰るように促すが、嵐は手伝うと言う。私としてはあんまり見せたくない姿だったから一瞬戸惑った。でも全然帰る気がない嵐に負けて手伝って貰う事にする。
『じゃあ手を繋いであっちに連れていってくれる?』
画用紙を見せながら指を差す。そこは足のリハビリ用の、手摺りが二本平行に並んでいる場所。嵐は軽く頷くと私の手をそっと握った。
「歩くぞ。」
こくんと首を縦に動かすとゆっくりと歩いていく。
最初の五歩くらいまでは順調にいったけど、段々痛みが出てきた。思わず顔を歪めたら嵐が足を止めた。
「大丈夫か?」
心配そうな顔で言ってくる。誤魔化そうと思ったけど思いっ切り顔に出てしまったみたいで、嵐が眉間に皺を寄せた。
「すみません!車イス持ってきてくれませんか?」
遠巻きに様子を見ていた作業療法士の人に嵐が声をかけた。すかさず車イスが私の元にきて、気づいたら座らされていた。
『ごめん……』
「何で謝るんだ?」
『もうちょっとできると思ったんだけど、もたなかった……』
「十分だって。五歩も進めたんだぜ?凄いよ!」
『でもさっきは手摺りで十歩はいったんだよ?それなのに嵐にいいとこ見せられなかった……』
「今のは片手だけだったからさ。ちょっと休んだらまた挑戦しよう。今度は手摺りで。」
満面の笑みの嵐に励まされ、私も笑顔を見せた。
その後のリハビリは嵐のお陰か、十二歩という記録を更新して、人目も憚らず二人で大声で歓喜した。
更に数ヶ月が過ぎた時、嵐が息せききって病室に入ってきた。
「吹雪!」
『ちょっとうるさい!何?そんなに慌てて……』
嵐は深呼吸をすると、ポケットから何かを取り出した。見るとチケットみたいな紙だった。
「これを吹雪に渡しに来たんだ。はい。」
「な、に……これ?」
それを受け取りながら掠れた声を出した。実は一ヶ月前くらいから少しずつ声が出るようになっていたのだ。といってもまだ未熟で長くは喋れないのだが……
「それは招待状だ。」
「しょう…たい、じょう…?何の?」
「『the natural world』の凱旋ライブの招待状。吹雪限定の特等席。」
「え……?」
思いがけない言葉にビックリして勢い良く嵐の方を見た。
今何て?え?私の耳がおかしくなったの?だってバンドは……
「俺達再結成したんだ。」
「!!」
余りの事に心臓が痛くなってきた。私は胸を押さえながら画用紙を取り出した。
『事務所見つかったの?』
「いや、結局どこもダメでさ。俺らで会社立ち上げたんだ。一応代表は俺になってるけど立場は皆同じで、もちろん吹雪も所属する事になるからそのつもりでな。」
『でも私まだ……』
「問答無用。それにまだ報告する事がある。……竜樹が戻ってきたんだ。」
「っ!!た…つき、が……?」
もう何度目かわからない驚きに涙が溢れる。竜樹が戻ってきた?
「俺達が解散した事は新聞で知ってたんだけど、忙しくて中々連絡できなかったらしくてさ。それが二ヶ月くらい前だったかな。連絡がきて。あいつもあの神田社長のやり方とか仕事の内容とかに不満持ってたから、事務所辞める事には全然抵抗がなかったって言ってた。という訳で、竜樹が戻ってきて本格的に再始動する事に相成ったんだ。」
開いた口が塞がらないとはこの事かと、密かに思った。私がいない間に色んな事がどんどん進んでいって、嬉しいと思う反面、一人だけ置いていかれたようでちょっと悔しい……
「竜樹がさ、今だから言うけどって白状したんだけど。社長からソロデビューを持ちかけられた時、断ったら解散だって言われたらしいんだ。」
「な、に…それ……」
「うん……頭にくるよな。それじゃまるで弱味を握って言う事聞かせたって事だろ?でも社長以上に腹が立つのは、何も知らずに竜樹を一瞬でも憎んだ俺達だ。」
「うん……」
「だけどあいつは、自分の腕で勝負したいっていう気持ちがあったのも事実だって言うんだ。まったくかっこつけだよな~」
苦笑してる嵐につられて私も苦笑いする。
「それ、来てくれるよな?」
しばらく見つめ合っていると急に真面目な顔に戻ってそう言う。私は手の中のチケットを見た。
【再結成、再始動した『the natural world』凱旋ライブ!】
そう銘打たれていて、その下には日時と場所が記されていた。
「この……ば、しょ……」
「あぁ。俺達の原点だ。『the natural world』第二章のスタートに相応しい場所だろ?」
そう、そこはあの地下にあるライブハウスだった。そっと目を閉じて一度見ただけのあの光景を思い浮かべる。
床は滑りそうな程ピカピカして照明はキラキラして、観客席は一番後ろまで良く見えて……
あそこで歌いたい!そう強く願って、嵐の心に秘めた本当の思いを聞いて涙を溢した場所。
「わ、たし……」
「特等席って書いてあるだろ?そこは俺の隣って意味だからな?」
「……え?」
「大丈夫。吹雪ならできる。前みたいに歌えるよ。俺、信じてるから。」
「あら、し……」
嵐がこれ程頼もしく思った事はなかったかも知れない。なんて失礼な事を思いながら、私は泣いていた。
笑いながら泣いていた。
それはもう想像を越える辛さで、一日に一度は泣き言が口をついて出る程だった。でも絶対に諦めなかった。諦めたくなかった。
私の、そして『the natural world』の未来の為に。
「頑張ってるか、吹雪。」
ちょうど休憩していた時、嵐が差し入れを持って来た。
椅子に座りながら頷くと、隣に来て持っていたビニール袋から次々と品物を出していく。牛乳やらヨーグルトやらが椅子の上に溢れた。
「乳製品ってカルシウムがいっぱい入ってるって聞くだろ?骨を強くするのにいいかと思って。」
そう言って笑顔を見せるけど、ちょっとこれは……
『買い過ぎだから!』
脇にスタンバイしておいた画用紙にそう書いて見せる。すると嵐は頭をかきながら「えぇ~……?」と情けない声を上げた。
『牛乳とかヨーグルトって賞味期限短いんだよ?そんなに買って……飲みきれないよ。』
「ぐっ……!じ、じゃあ俺も一緒に飲むよ。」
たくさんある牛乳の内から一つを取って開け始める嵐。呆気に取られてる間に一本飲んでしまった。
「あぁ~~!うんめぇ~」
左手を腰に当てたまま牛乳のパックを持った右手を高々と掲げて声を張る姿に、何事かとその場にいた全員が一斉にこっちを向く。私は恥ずかしくなって慌てて嵐を座らせた。
『恥ずかしいから止めてよ!それに迷惑でしょ!』
「わ、悪い……でもこの牛乳本当に旨いぜ。飲んでみろよ。」
勧められて飲んでみる。パッケージには『骨を強くするカルシウムがたっぷり!』と書かれていて、確かに病院で出る牛乳より美味しく感じた。気のせいかも知れないけど。
『リハビリの続きするから帰ってもいいよ。』
「何言ってんだよ。手伝う為に来たんだから。えっと、どうすればいいんだ?」
牛乳を飲み終えてリハビリを再開しようと手摺りを使って立ちながら帰るように促すが、嵐は手伝うと言う。私としてはあんまり見せたくない姿だったから一瞬戸惑った。でも全然帰る気がない嵐に負けて手伝って貰う事にする。
『じゃあ手を繋いであっちに連れていってくれる?』
画用紙を見せながら指を差す。そこは足のリハビリ用の、手摺りが二本平行に並んでいる場所。嵐は軽く頷くと私の手をそっと握った。
「歩くぞ。」
こくんと首を縦に動かすとゆっくりと歩いていく。
最初の五歩くらいまでは順調にいったけど、段々痛みが出てきた。思わず顔を歪めたら嵐が足を止めた。
「大丈夫か?」
心配そうな顔で言ってくる。誤魔化そうと思ったけど思いっ切り顔に出てしまったみたいで、嵐が眉間に皺を寄せた。
「すみません!車イス持ってきてくれませんか?」
遠巻きに様子を見ていた作業療法士の人に嵐が声をかけた。すかさず車イスが私の元にきて、気づいたら座らされていた。
『ごめん……』
「何で謝るんだ?」
『もうちょっとできると思ったんだけど、もたなかった……』
「十分だって。五歩も進めたんだぜ?凄いよ!」
『でもさっきは手摺りで十歩はいったんだよ?それなのに嵐にいいとこ見せられなかった……』
「今のは片手だけだったからさ。ちょっと休んだらまた挑戦しよう。今度は手摺りで。」
満面の笑みの嵐に励まされ、私も笑顔を見せた。
その後のリハビリは嵐のお陰か、十二歩という記録を更新して、人目も憚らず二人で大声で歓喜した。
更に数ヶ月が過ぎた時、嵐が息せききって病室に入ってきた。
「吹雪!」
『ちょっとうるさい!何?そんなに慌てて……』
嵐は深呼吸をすると、ポケットから何かを取り出した。見るとチケットみたいな紙だった。
「これを吹雪に渡しに来たんだ。はい。」
「な、に……これ?」
それを受け取りながら掠れた声を出した。実は一ヶ月前くらいから少しずつ声が出るようになっていたのだ。といってもまだ未熟で長くは喋れないのだが……
「それは招待状だ。」
「しょう…たい、じょう…?何の?」
「『the natural world』の凱旋ライブの招待状。吹雪限定の特等席。」
「え……?」
思いがけない言葉にビックリして勢い良く嵐の方を見た。
今何て?え?私の耳がおかしくなったの?だってバンドは……
「俺達再結成したんだ。」
「!!」
余りの事に心臓が痛くなってきた。私は胸を押さえながら画用紙を取り出した。
『事務所見つかったの?』
「いや、結局どこもダメでさ。俺らで会社立ち上げたんだ。一応代表は俺になってるけど立場は皆同じで、もちろん吹雪も所属する事になるからそのつもりでな。」
『でも私まだ……』
「問答無用。それにまだ報告する事がある。……竜樹が戻ってきたんだ。」
「っ!!た…つき、が……?」
もう何度目かわからない驚きに涙が溢れる。竜樹が戻ってきた?
「俺達が解散した事は新聞で知ってたんだけど、忙しくて中々連絡できなかったらしくてさ。それが二ヶ月くらい前だったかな。連絡がきて。あいつもあの神田社長のやり方とか仕事の内容とかに不満持ってたから、事務所辞める事には全然抵抗がなかったって言ってた。という訳で、竜樹が戻ってきて本格的に再始動する事に相成ったんだ。」
開いた口が塞がらないとはこの事かと、密かに思った。私がいない間に色んな事がどんどん進んでいって、嬉しいと思う反面、一人だけ置いていかれたようでちょっと悔しい……
「竜樹がさ、今だから言うけどって白状したんだけど。社長からソロデビューを持ちかけられた時、断ったら解散だって言われたらしいんだ。」
「な、に…それ……」
「うん……頭にくるよな。それじゃまるで弱味を握って言う事聞かせたって事だろ?でも社長以上に腹が立つのは、何も知らずに竜樹を一瞬でも憎んだ俺達だ。」
「うん……」
「だけどあいつは、自分の腕で勝負したいっていう気持ちがあったのも事実だって言うんだ。まったくかっこつけだよな~」
苦笑してる嵐につられて私も苦笑いする。
「それ、来てくれるよな?」
しばらく見つめ合っていると急に真面目な顔に戻ってそう言う。私は手の中のチケットを見た。
【再結成、再始動した『the natural world』凱旋ライブ!】
そう銘打たれていて、その下には日時と場所が記されていた。
「この……ば、しょ……」
「あぁ。俺達の原点だ。『the natural world』第二章のスタートに相応しい場所だろ?」
そう、そこはあの地下にあるライブハウスだった。そっと目を閉じて一度見ただけのあの光景を思い浮かべる。
床は滑りそうな程ピカピカして照明はキラキラして、観客席は一番後ろまで良く見えて……
あそこで歌いたい!そう強く願って、嵐の心に秘めた本当の思いを聞いて涙を溢した場所。
「わ、たし……」
「特等席って書いてあるだろ?そこは俺の隣って意味だからな?」
「……え?」
「大丈夫。吹雪ならできる。前みたいに歌えるよ。俺、信じてるから。」
「あら、し……」
嵐がこれ程頼もしく思った事はなかったかも知れない。なんて失礼な事を思いながら、私は泣いていた。
笑いながら泣いていた。