涙を越えて

第三十六話 楽園からのハーモニー

 嵐side

「『the natural world』の凱旋ライブのスタートだ!皆、今日は思う存分楽しんでいってくれ!」
 俺がそう言うと、会場全体が揺れる。それに応えるように片手を上げた。
「ワン・ツー・スリー・フォー!」
 雷のカウントで曲が始まる。それを聴いた吹雪がハッと俺の方を見た。俺は力強く頷く。
 その曲は『この空を飛びたい』。
 このライブハウスが入ってるビルのオーナーである、氷月の父親が作った曲。亡くなった愛する人を思って書いた歌詞が悲しいと吹雪は言った。でも今じゃここのスタジオを使う者達の登竜門的な曲で、俺達にとって大事な曲だ。今日のライブで一番最初に歌う曲として、ずっと温めてきたのだ。

 もう一度私だけに笑いかけて
 それは叶わない夢
 まさかこんなに早く別れがくるなんて

 歌い出しは順調だ。緊張もしているけど、今はやっとこの場所で歌えるという事の喜びの方が大きい。
 俺は歌いながら隣を見た。そして驚きで目を見張る。
 吹雪が一人で椅子から立ち上がり、少し離れて置いてあったマイクに向かって歩いていた。ファンの皆の歓声が驚きのざわめきに変わる。
(吹雪……!)
 歌ってる最中だから声には出さなかったけど、きっと信じられないものを見たような顔をしているだろう。他のメンバーも驚いた表情で吹雪を凝視している。途中で演奏がストップしなかった事が奇跡だと思った。
 吹雪が歌いたがってる。ヨロヨロとした頼りない足取りだったが、『どうしても歌いたい!』という彼女の強い思いがこの場にいる全員に伝わっているようだった。誰も演奏を止めないし、俺も歌うのをやめなかった。
 吹雪を信じていたから。

 あなたの、私だけに向ける愛が欲しかった
 ただそれだけで
 嘘ばかりの私を
 誰が許すと言うのだろうか

 そこでマイクに到達した吹雪が少しよろけながらマイクスタンドにしがみついた。俺は慌ててマイクをスタンドから外して手に持って歌いながら吹雪の元に駆け寄る。
 顔を上げた吹雪はにこっと笑うと口元にマイクを寄せて思いっ切り息を吸い込んだ。
「っ……!!」

 この背中に羽があったなら
 あなたの側に行けるのに
 この空を飛びたい この空を飛びたい
 たとえどんなに離れていても
 あなたの元に飛んでゆきたい

 一番のサビのメロディーが吹雪の口から流れ出た。一瞬遅れて観客席からのどよめきが起きて、その後に割れんばかりの拍手がこの空間をいっぱいにした。
 と、突然演奏が止んだ。振り向くと雷が落としたステッキを拾う事もなく茫然とした顔で固まっている。リズムの要を失ってベースもギターもキーボードもまるで音を失くしたようにしんと静まり返っていた。
 そしてもちろんボーカルの俺も、吹雪を支えたまま硬直した。
「ちょっとちょっと!何してんのよ、皆!」
 吹雪の鋭い声にハッと我に返る。マイクを通してなくても良く通る、以前のままの元気で明るい声。俺だけでなくメンバー全員の目に涙が浮かんだように見えた。
「吹雪……お前!」
「うん。歌えた。歌えたよ、嵐!」
 満面の笑顔でそう言う吹雪を思わず抱きしめた。
「ちょっ……!」
「おー、熱いね~!見せつけんなよな。お二人さん。」
 竜樹が自分の所のマイクに向かって囃し立てると、どっと笑いが起こった。
「は、離してよ!」
「おわっ!」
 顔を真っ赤にした吹雪に突き飛ばされて危うくステージから落ちそうになった。それを見た雷が大爆笑して、地声にも関わらず良く響いた。

「歌えたじゃん、吹雪!やっぱり吹雪はしぶといね。」
「良かった!信じて待ってて良かった!」
「吹雪、よく頑張ったな。これでもう心配はないだろ?」
「南海、風音君、竜樹……」
「あはは~ビックリしてついステッキ落としちゃったよ~でも本当に良かった!」
「さ!これで吹雪は完全復活だね。気を取り直して二番からいきますか!」
「雷、氷月……」
 後ろを振り向いて一人一人の顔を順番に見ながら吹雪は一筋の涙を流した。
「みんなー!今の見ただろ?高森吹雪はたった今復活しました~!!」
 俺が叫ぶと『吹雪!吹雪!』と息の合った吹雪コールが鳴る。ふと隣を見るともう泣いていなかった。歌う時に見せるキリッとした瞳。両手をお腹に当てて足を肩幅に開く、吹雪独特の姿勢。そしてその場にある空気を全部吸い尽くすかのように大きく息を吸って……

 私の背中に羽があったなら
 あなたの側に行けるのに
 あなたが欲しい あなたが欲しい
 たとえもう愛されていなくても
 あなたを愛したい

 この空を飛びたい この空を飛びたい
 たとえ振り向いてくれなくても
 あなたの元に飛んでいきたい

 最初の何フレーズかは雷達が追いつかなくてアカペラになってしまった。でもその事で吹雪の綺麗な声が隅々まで響き渡って、誰もがその歌声に魅了された。
 つい最近まで声が出なかったとは思えないくらい、とても綺麗で美しかった。
 今この瞬間を俺だけのファインダーに収めたい。なんて柄にもない事を思ってしまう。
 楽しそうに歌う吹雪を見つめながら、一緒にメロディーを重ねた……



 楽園からのハーモニー

 この場所こそ 僕達だけの楽園
 失くしたと思ったものを 本当は失ってなかった事が
 とても嬉しいから
 今日は一緒に 踊ろう

 もっともっと 笑って
 もっともっと 明るく
 もっともっと 元気に
 もっともっと ……

 交わる事は難しくても 同じメロディーに乗って
 いつまでも一緒に
 歌って そして踊ろう

 涙を越えた その先に
 幸せはあるから
 だから怖がらずに 一歩を踏み出せ
 大丈夫 きっとできるよ

 もっともっと 笑って
 もっともっと 泣いて
 もっともっと 笑って
 あなたと僕 二人のハーモニーで……



「嵐!」
「ん?」
「大好きだよ!」
「……俺も負けないくらい、好きだよ!」
 メンバーにもファンの皆にも聞こえないようにマイクを外してそう叫び合う。
 そして顔を見合わせて笑った。

 歌う事の楽しさと人を愛する事の切なさと喜びを教えてくれた人。
 女苦手病を克服してくれた恩人と夢への第一歩をもたらしてくれた幸福の女神。
 そんないくつもの肩書きを持つ高森吹雪という存在が生きがいであり、辻元嵐の存在理由だ。

 これは『五人で一つ』だった俺達が『七人で一つ』になって夢を叶えるまでの道のりであり、深くなった絆を忘れないように記した記録である。
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