涙を越えて
第六話 掲げた夢
初めて吹雪と話した日から一週間程経っていた。
あれから俺は練習がある日はほとんど強制的に吹雪とレッスン室で二人で過ごした。
最初は目も合わせられないしすぐどもってまともに話せなかったが、徐々に慣れてきて今ではそれなりに格好がついてきた。
どうやら吹雪の事を『女』として意識しないでいる間だけは普通にできるようだと気づいてからは、竜樹達に対するような接し方を心がけた。
すると不思議な事に何年も前からの仲間のように思える瞬間があって、その事に戸惑いながらもこの空間がいつしか楽しくなり始めていた。
そんな風に少しずつ変わっていく自分に気恥ずかしさを感じていた時、吹雪が唐突に聞いてきた。
「嵐達ってさ、バイトとかしてないの?」
「何だよ、急に……」
「いや、ちょっと気になって。だって皆、毎日のように練習してるんでしょ?学校とかバイト行ってるようにも見えないし、親とか煩くないの?」
「痛いとこつくな。」
吹雪の返事に俺は苦笑すると立ち上がった。
この一週間色んな話をしたが、小学校時代の恥ずかしいエピソードとか修学旅行先での失敗談とか、大喧嘩して絶交寸前までいった事とかそういう思い出話は話したけど、今の生活状況なんていうのは話した事なかった。
対する吹雪の方も南海ちゃんとの如何にも女子らしいエピソードばかりで、私生活は謎だった。高校二年生で同い年だという事しか知らない。
「そう言えば俺達、17で同い年っていう事しか知らないもんな。」
俺が笑いながら言うと、吹雪もそうそう!と前のめりになる。
「これから一緒にやる仲なんだから、プライベートな事も話しておいた方がいいよな。」
「え!?」
「あぁ、いや……『一緒にスタジオを使う仲なんだから』、っていう意味で……」
危ねぇ、危ねぇ……何口走ってんだ!ずっと平気で話してたのに今ので一気に汗が吹き出してきた。えーっと、軌道修正しないと……
「何よ、一瞬期待したのに残念だわ。」
「バ、バイトの話だよな。してるよ。このスタジオのライブハウスで。ちなみに俺ら、学校は通信制なんだ。だから勉強は夜帰ってから……」
「へぇ~!ここってライブハウスあるんだ?」
『ライブハウス』という単語に吹雪が食い気味に反応する。俺は戸惑いながらも頷いた。
「あぁ。地下にな。」
「行きたい!連れて行って!」
「は!?俺のバイトとか学校の話は?」
「そんなの今から現場に行くんだから歩きながらでいいでしょ。」
「えぇぇぇぇ~~~……?」
さっさとレッスン室から出て行く吹雪を情けない顔で見送る。そして深いため息をついて後を追いかけた。
「すご~い!私ライブハウスなんて初めて来た!わーー!感動!!」
吹雪がまるで子どものように飛び跳ねて初ライブハウスの感想を口にした。そんなに喜んでもらえて何だか嬉しくなる。
「こっち来て。」
「え?」
感動の余韻を絶つようで申し訳ないと思ったけど、連れて行きたい場所があった。俺は先頭を切って歩き出した。
「ここが俺の、俺達の職場。」
「う……わぁ~~!」
まだ本番の空気が漂うステージに立った吹雪は、それだけ言うとそのまま固まった。俺は少し後ろからその小さな背中を見つめる。
ここはライブハウスのステージ。つい数分前までどこかのバンドが演奏していたのか、まだ機材がそのままになっていて、照明も完全に消えてはいない。
こんな光景はここでバイトをしている俺でさえ滅多に見れないから、吹雪に負けじと感動しているところだ。
「……ありがとう。」
不意に聞こえた声。それは少し震えていた。よく見ると背中も小刻みに揺れている。泣いているのかと思ったが、振り向いた顔は満面の笑みだった。
「ありがとう、嵐。ここに連れてきてくれて。」
「お前が言ったんだろ?来たいって。」
つい素直じゃない事を言ってしまう。それでも吹雪は笑っていた。
「そうじゃなくて。ここに立たせてくれてありがとうって言ってんの!」
「……おう。」
また恥ずかしさが込み上げてくる。でもそれは女苦手病の症状とは違っていた。くすぐったくて嬉しい気持ちになった。
「俺達の仕事はこういう機材の片付けとか掃除とかなんだ。これが中々重労働でさ。壊しちゃいけないし、バンドによってそれぞれ配置も違うし。」
「そうなんだ~」
「でも!ここで頑張んないと夢は叶えられないから、皆必死でやってる。」
真剣な俺の声に吹雪がこちらを向いた。
「俺はここだけで何とかやっていけてるけど、竜樹と雷はもう一つバイト掛け持ちしてる。ほら、ギターもドラムも何かと金かかるみたいでさ。氷月は親がここのオーナーだから金持ちだし、風音は少し体が弱いからバイトは親に止められてる。俺は気楽なボーカルだからそんな心配はしなくていいけど。」
「南海も同じ。キーボードも意外と出費がかさむみたい。」
苦笑しながら言うと、吹雪も苦笑いで返す。ほとんど初めてと言ってもいい共通点に若干浮かれた俺は、更に聞いてみた。
「風音と氷月は実家暮らしで生活費は気にしなくていいんだけど、忙しい時期には臨時で手伝いに来てくれるんだ。俺はちょっと事情があって一人暮らしで、竜樹は兄ちゃんと住んでる。あ、雷は母ちゃんがシングルマザーってやつで、ああ見えて苦労してんだ。吹雪と南海ちゃんはバイトは?」
「私も南海も一応学校には行ってるよ。二人共実家暮らしだけど南海はさっき言ったようにお金がかかるから喫茶店でバイトしてる。可愛い制服着て一生懸命頑張ってる姿がホント可愛くて……」
南海ちゃんが『可愛い制服』とやらを着ているところをうっかり想像してしまった。途端に立ちくらみが襲う。
「あっ!今想像したでしょ!」
「うぇっ!?そ、想像なんてとんでも…ない……」
あ、ヤバい……ぶり返しそうだ……
「と、とにかくだな!」
とりあえず大きい声で誤魔化してみる。ビックリした顔の吹雪に構わず捲し立てた。
「今はまだバイトで雑用係としてここに立ってるけど、いつかここを本当の自分達の職場だって……いや、本当の居場所だって胸を張って言いたい。この空間の全てを俺達の音楽で満たして、来てくれた人達に勇気と希望を与えて、最高のステージを魅せたい。それが俺達の夢。」
自分で言ってて驚く程次々と言葉が出てきた。こんな事、竜樹達にさえ言った事はない。
本当はこういう風に思っていたのかと思わず自分自身に問いかけてしまった。でも嘘じゃない事だけは確かだ。
「……っておい、吹雪!?」
てっきりからかってくると思って身構えていたのに全然こないから隣を窺うと、吹雪は何故か泣いていた。
その雪のような白い頬にいくつも透明な雫を溢して、まるで溶けてしまうのではないかと心配になる程、泣いていた。
「ど、どうしたんだよ!俺何かした?うわっ…どうしよう……」
まさか目の前で泣かれるとは思わなかったから、挙動不審になってしまう。ズボンのポケットに手をつっこんでみても、この俺がハンカチなど持ち合わせているはずもなく、右手は空しく空気だけを掴んだ。
こういう時どうすればいいのかなんて竜樹や雷じゃねぇんだからわかる訳ねぇだろ……!あーー!こんな事ならもう少し早く女苦手病を克服しとくんだった!
「あー…あのさ……」
「嵐、知ってる?」
唐突に涙声で問いかけられて、意味なく突き出した両手が宙で止まる。
「へ?何を……?」
「涙は悲しい時にだけ流れるものじゃないんだよ。」
そう言ってまだ涙の跡が残る顔で微笑む。その瞬間、時が止まった気がした。
「私も頑張んなきゃなって元気もらった。」
「吹雪……」
「だから次は歌のレッスンをするわよ!」
「は……?」
今までの雰囲気は何だったのかと思う程の破壊力で放たれた次の言葉に、違う意味で時が止まった……
あれから俺は練習がある日はほとんど強制的に吹雪とレッスン室で二人で過ごした。
最初は目も合わせられないしすぐどもってまともに話せなかったが、徐々に慣れてきて今ではそれなりに格好がついてきた。
どうやら吹雪の事を『女』として意識しないでいる間だけは普通にできるようだと気づいてからは、竜樹達に対するような接し方を心がけた。
すると不思議な事に何年も前からの仲間のように思える瞬間があって、その事に戸惑いながらもこの空間がいつしか楽しくなり始めていた。
そんな風に少しずつ変わっていく自分に気恥ずかしさを感じていた時、吹雪が唐突に聞いてきた。
「嵐達ってさ、バイトとかしてないの?」
「何だよ、急に……」
「いや、ちょっと気になって。だって皆、毎日のように練習してるんでしょ?学校とかバイト行ってるようにも見えないし、親とか煩くないの?」
「痛いとこつくな。」
吹雪の返事に俺は苦笑すると立ち上がった。
この一週間色んな話をしたが、小学校時代の恥ずかしいエピソードとか修学旅行先での失敗談とか、大喧嘩して絶交寸前までいった事とかそういう思い出話は話したけど、今の生活状況なんていうのは話した事なかった。
対する吹雪の方も南海ちゃんとの如何にも女子らしいエピソードばかりで、私生活は謎だった。高校二年生で同い年だという事しか知らない。
「そう言えば俺達、17で同い年っていう事しか知らないもんな。」
俺が笑いながら言うと、吹雪もそうそう!と前のめりになる。
「これから一緒にやる仲なんだから、プライベートな事も話しておいた方がいいよな。」
「え!?」
「あぁ、いや……『一緒にスタジオを使う仲なんだから』、っていう意味で……」
危ねぇ、危ねぇ……何口走ってんだ!ずっと平気で話してたのに今ので一気に汗が吹き出してきた。えーっと、軌道修正しないと……
「何よ、一瞬期待したのに残念だわ。」
「バ、バイトの話だよな。してるよ。このスタジオのライブハウスで。ちなみに俺ら、学校は通信制なんだ。だから勉強は夜帰ってから……」
「へぇ~!ここってライブハウスあるんだ?」
『ライブハウス』という単語に吹雪が食い気味に反応する。俺は戸惑いながらも頷いた。
「あぁ。地下にな。」
「行きたい!連れて行って!」
「は!?俺のバイトとか学校の話は?」
「そんなの今から現場に行くんだから歩きながらでいいでしょ。」
「えぇぇぇぇ~~~……?」
さっさとレッスン室から出て行く吹雪を情けない顔で見送る。そして深いため息をついて後を追いかけた。
「すご~い!私ライブハウスなんて初めて来た!わーー!感動!!」
吹雪がまるで子どものように飛び跳ねて初ライブハウスの感想を口にした。そんなに喜んでもらえて何だか嬉しくなる。
「こっち来て。」
「え?」
感動の余韻を絶つようで申し訳ないと思ったけど、連れて行きたい場所があった。俺は先頭を切って歩き出した。
「ここが俺の、俺達の職場。」
「う……わぁ~~!」
まだ本番の空気が漂うステージに立った吹雪は、それだけ言うとそのまま固まった。俺は少し後ろからその小さな背中を見つめる。
ここはライブハウスのステージ。つい数分前までどこかのバンドが演奏していたのか、まだ機材がそのままになっていて、照明も完全に消えてはいない。
こんな光景はここでバイトをしている俺でさえ滅多に見れないから、吹雪に負けじと感動しているところだ。
「……ありがとう。」
不意に聞こえた声。それは少し震えていた。よく見ると背中も小刻みに揺れている。泣いているのかと思ったが、振り向いた顔は満面の笑みだった。
「ありがとう、嵐。ここに連れてきてくれて。」
「お前が言ったんだろ?来たいって。」
つい素直じゃない事を言ってしまう。それでも吹雪は笑っていた。
「そうじゃなくて。ここに立たせてくれてありがとうって言ってんの!」
「……おう。」
また恥ずかしさが込み上げてくる。でもそれは女苦手病の症状とは違っていた。くすぐったくて嬉しい気持ちになった。
「俺達の仕事はこういう機材の片付けとか掃除とかなんだ。これが中々重労働でさ。壊しちゃいけないし、バンドによってそれぞれ配置も違うし。」
「そうなんだ~」
「でも!ここで頑張んないと夢は叶えられないから、皆必死でやってる。」
真剣な俺の声に吹雪がこちらを向いた。
「俺はここだけで何とかやっていけてるけど、竜樹と雷はもう一つバイト掛け持ちしてる。ほら、ギターもドラムも何かと金かかるみたいでさ。氷月は親がここのオーナーだから金持ちだし、風音は少し体が弱いからバイトは親に止められてる。俺は気楽なボーカルだからそんな心配はしなくていいけど。」
「南海も同じ。キーボードも意外と出費がかさむみたい。」
苦笑しながら言うと、吹雪も苦笑いで返す。ほとんど初めてと言ってもいい共通点に若干浮かれた俺は、更に聞いてみた。
「風音と氷月は実家暮らしで生活費は気にしなくていいんだけど、忙しい時期には臨時で手伝いに来てくれるんだ。俺はちょっと事情があって一人暮らしで、竜樹は兄ちゃんと住んでる。あ、雷は母ちゃんがシングルマザーってやつで、ああ見えて苦労してんだ。吹雪と南海ちゃんはバイトは?」
「私も南海も一応学校には行ってるよ。二人共実家暮らしだけど南海はさっき言ったようにお金がかかるから喫茶店でバイトしてる。可愛い制服着て一生懸命頑張ってる姿がホント可愛くて……」
南海ちゃんが『可愛い制服』とやらを着ているところをうっかり想像してしまった。途端に立ちくらみが襲う。
「あっ!今想像したでしょ!」
「うぇっ!?そ、想像なんてとんでも…ない……」
あ、ヤバい……ぶり返しそうだ……
「と、とにかくだな!」
とりあえず大きい声で誤魔化してみる。ビックリした顔の吹雪に構わず捲し立てた。
「今はまだバイトで雑用係としてここに立ってるけど、いつかここを本当の自分達の職場だって……いや、本当の居場所だって胸を張って言いたい。この空間の全てを俺達の音楽で満たして、来てくれた人達に勇気と希望を与えて、最高のステージを魅せたい。それが俺達の夢。」
自分で言ってて驚く程次々と言葉が出てきた。こんな事、竜樹達にさえ言った事はない。
本当はこういう風に思っていたのかと思わず自分自身に問いかけてしまった。でも嘘じゃない事だけは確かだ。
「……っておい、吹雪!?」
てっきりからかってくると思って身構えていたのに全然こないから隣を窺うと、吹雪は何故か泣いていた。
その雪のような白い頬にいくつも透明な雫を溢して、まるで溶けてしまうのではないかと心配になる程、泣いていた。
「ど、どうしたんだよ!俺何かした?うわっ…どうしよう……」
まさか目の前で泣かれるとは思わなかったから、挙動不審になってしまう。ズボンのポケットに手をつっこんでみても、この俺がハンカチなど持ち合わせているはずもなく、右手は空しく空気だけを掴んだ。
こういう時どうすればいいのかなんて竜樹や雷じゃねぇんだからわかる訳ねぇだろ……!あーー!こんな事ならもう少し早く女苦手病を克服しとくんだった!
「あー…あのさ……」
「嵐、知ってる?」
唐突に涙声で問いかけられて、意味なく突き出した両手が宙で止まる。
「へ?何を……?」
「涙は悲しい時にだけ流れるものじゃないんだよ。」
そう言ってまだ涙の跡が残る顔で微笑む。その瞬間、時が止まった気がした。
「私も頑張んなきゃなって元気もらった。」
「吹雪……」
「だから次は歌のレッスンをするわよ!」
「は……?」
今までの雰囲気は何だったのかと思う程の破壊力で放たれた次の言葉に、違う意味で時が止まった……