流星群の落下地点で〜集団転移で私だけ魔力なし判定だったから一般人として生活しようと思っているんですが、もしかして下剋上担当でしたか?〜
流星群の落下地点
(痛い)
踏み潰された肩と、殴られたお腹と、蹴り飛ばされた頭がすべて痛い。
ジクジクと熱く、呼吸がうまくできなくなっている。
降りてきた白い熾天使のような姿が掠れて見えた。
少女を地面に殴り飛ばした男は、他の黒い服を着た男たちにあとを任せてすたこらと逃げていく。
そのことに強い怒りを露わにした天使は、次の瞬間鬼と化した。
たくさんのナイフを持った相手を殴り飛ばし、蹴り飛ばし、一番偉そうな灰色の髪の男に「手を引け」と話している。
日本語ではない。
けれど、不思議なことに意味はきちんと理解できる。
「……っ」
ついに視界が黒く染まった。
彼女の意識はそこで途切れる。
どうしてこんな目に遭うことになってしまったのだろう。
自分はただ、助けてほしかった。
そして、助けてあげたかった。
最後にそんなことを考えて――思い出す。
(助けて……)
それは、いつもの金曜日。
塾を終えて帰宅していた少女、加賀深涼は鞄を左肩にかけて駅へと歩いていた。
バスの時間は大丈夫だが、この日に限ってやけに人が多い。
なぜだろうかと首を傾げながら、交差点の方へと進む。
(ずいぶん賑やかだな……あ、ハロウィンか)
十月三十一日。
今やすっかり駅前に集まって若者がコスプレを楽しむ日になっている、欧州の行事。
本来は子どものお祭りであり、死者が帰ってくる日本でいうところのお盆だ。
帰ってきた死者に子どもが攫われないため、『同類』だと思わせるために仮装をして家を一軒一軒回る。
トリックオアトリートでお菓子をもらい、収穫を祝い合う意味もあるとか。
片田舎の普段は寂れた駅前の交差点は、こんなに若者が住んでいたのかと感心するほど人が集まっている。
「あ、涼ちゃ……か、加賀深さん」
「え? あ、真堂くん」
名前を呼ばれると思わず、驚いて顔をそちらに向けると、そこにいたのは生まれた時から家が近所の男の子、真堂刃。
いわゆる幼馴染である彼は、小学校までは時折同じクラスになるなど交流があった。
中学に上がると社交的な彼は人の輪の中にいることが増え、内向的な涼とは距離ができて疎遠になる。
高校も別になってしまったので、近所に住んでいてもまともに言葉を交わすのは三年ぶり近い。
「こんばんは」
「あ、うん、こんばんは……。あの、加賀深さんもハロウィンに来たの?」
「ううん。私は塾の帰り。真堂くんは遊びに来たの?」
「う――うん、断れなくて」
そういうものなのか、と少し意外に思う。
彼は友達づき合いを大切にする人に見えたから。
しかし、人間関係は歳を重ねるごとに複雑になるものだ。
自分の両親が夫婦揃って別な人を好きになり、家に帰ってこないのを見ているのでよくわかる。
父に至っては五人目だ。
娘の自分が把握している人数でこれなのだから、本当はもっと多いかもしれない。
あんな冷たくて寒い家に帰るのは嫌だが、他に行く宛があるわけでもないのだ。
都会の大学を受験して、向こうで自立を目指すしかないだろう。
幸い両親とも周囲にバレていないと思って見栄を張り、娘には一流の大学へ行くようお金だけは惜しまず出してくれる。
もう、涼にとって両親とは生活費と学費を出してくれる他人に近い。
対して真堂家は毎日犬の散歩を、家族の誰かが二人でやっているのを見かける。
見えないところでは喧嘩もあるのかもしれないが、人の声すらない加賀深家に比べればやはり“家庭”らしい家だろう。
羨ましいとも思うが、羨んだところで手に入るものでもない。
「刃くーん! みんなファミレスでいいって! ……あれ、誰これ? 知り合い?」
「あ、ああ、うん。近所の……。えっと、もしよかったら、加賀深さんも、ファミレス行かない?」
「ごめんなさい、家に作り置きがあるの。賞味期限の近い食材で作ったものだから、今日中に食べちゃわないと……」
「あ、そ、そうなんだ……」
だよね、と小さく呟く刃に、涼も少しだけ困る。
よほどそこにいたくないのだろう。
彼に抱きついてきた少女は派手に化粧をして、この寒さの中露出の高い魔女の仮装に男もののパーカーを着ている。
涼を見るなりわかりやすく睨みつけ、涼が断るとにやりと笑う。
刃のことが少し可哀想に思えてしまうが、一人しか知り合いのいない集まりの中に入る積極性は、涼にはない。
「それじゃあ、真堂くんも早く帰ってあげてね。おばさん、お刺身買って『手巻き寿司だ!』ってすごく張り切ってたから」
「あ! う、うん! 教えてくれてありがとう!」
「え! 刃くん帰っちゃうのー!? やだー!」
「ご、ごめん。でも手巻き寿司には勝てない」
ニコリと笑ってその場を立ち去る。
バスの時間まであと十分。
帰ってくるのなら同じバスにはなるだろう。
けれど、並ばないと席には座れなさそうだ。今日はずいぶん人が多いのだから。
踵を返してバス停に向かう途中、喧騒の中にいる自分がひどく物悲しい生き物に感じた。
笑い声。話し声。雑踏の音。
これからの予定を話しながら、ふざけあう人たち。
こんな片田舎でもこれほど賑わうのは、夏祭り以来ではないだろうか。
こんなに賑やかなのに、自分はあの家に、帰るのだ。
(仕方ないよね。誘ってくれる友達もいないし)
友達は、いる。
近所にもう二人、幼馴染の双子の兄妹が。
二人とも親切で優しいけれど、お兄さんの方がとても優秀な弓道の選手で都会の町の高校に推薦されて入学した。
妹の方も家族――特にその兄――が過保護で、お兄さんの学校の姉妹校である女子校に入学したので二人とも今地元にはいないのだ。
高校を卒業したら、二人のいる町の大学へ行こう。
迷惑かもしれないと何度も思ったけれど、妹の方は今でも一週間に三回は連絡をくれる。
親友と呼べるのは彼女だけ。
きっと迷惑には思われない。
多分――。
「っ」
でも彼女も、とても明るく社交性が高い。
今頃彼氏もできているだろうし、大学に行ったらもっとモテるだろう。
目の前で親友だと思っている彼女が自分よりも彼氏を優先して立ち去るところを見たら、自分は果たして絶望せずに見送れるだろうか。
そんな気持ちになるくらいなら、最初から同じ大学など目指さない方がいいのではないか。
どうせ両親が帰ってこない家ならば、あの家から近い職場でも探して就職した方がいいのではないか。
けれどもう、進学と教師にも伝えているし。
ぐるぐると悩むのに疲れて、空を見上げた。
(え、星……すごいな?)
見たこともないような星空だ。
まるで夏の天の川のよう。
いつの間にか昼間のように明るくて、月もやけに近く感じる。
――いやだ、誰か助けて……
(え?)
聞き間違いだろうか。
男の声で『助けて』と聴こえた。
あたりを見回すが、人の声は聞こえない。
(え? 待って? 声がどんどん聞こえなくなってる……!? なに!? なにか変!)
周りを見回すが、他の人間はなにも気にした様子がない。
ということは、耳の不調だろうか?
思わず両耳を触る。
――誰も殺したくない……
細波の音が聴こえる。
どうしてだろうか。
ここはいつもの町の中。
車の音はしても波の音など聞こえないはず。
(でも聞こえる。はっきりと。誰? 殺すってなに? なにをされそうなの……? け、警察に相談した方がいいのかな……?)
周りがあまりにも普通。
けれど、誰もなにも気にしない。
鞄の持ち手を握り締め、駅前の交番を見つめる。
――助けて……嫌だ……
闇の向こうでそんな声がした。
優しい声だが、感情の様なものはあまり感じない。
けれど、その言葉は多分、なによりも優しいものだ。
だってこんなにも悲しい。
引いては寄せる波の音。
どうして、という疑問は浮かばなかった。
「わ、私になにかできることは、ありますか……? あの、交番に一緒に行きましょうか……?」
声に対して答えた瞬間、周囲が紺色に染まる。
時間が止まったかのように、人々が笑顔のまま硬直してしまう。
「え――っ!?」
あたりを見回す。
誰もこの状況に気づいていないのか。
本当に、時間が止まってしまったのか。
「どうなってるの……?」
『君――』
「え、あ、わ、私ですか? わ、私は……加賀深、といいます。あ、あの、なにか悪いことをされそうになっているのなら、交番に案内します、けど、あの……」
『――』
「え? あの……」
『誰も殺したくない。だからどうか協力してもらえないだろうか?』
「きょ、協力……って、言われても……」
声が次第にはっきり聞こえるようになる。
すると、空の星が少しずつ流れ始めた。
なにか異様なことが起きている。
その異様なことに、巻き込まれ始めている。
(逃げた方が――)
きっとその方がいい。
けれど、その時思ってしまった。
(どこに逃げるの?)
ここから逃げてもあの家にしか行く宛はない。
そう思った瞬間、全身から力が抜けていくようだった。
足下が真っ暗で、雪の上に立っているかのような寒さに襲われる。
「……私が協力したら、誰も死なないんですか?」
『ああ、死なせない』
「わかりました。お手伝いします」
あの家に帰るくらいなら。
この異様な現象に巻き込まれて――消えてしまった方がマシに思えた。
「だからどうか、私を……私のことも、助けてください」
男の息を呑むような音。
自分はなにかに利用されるのだろうに、利用される相手にそんなことを言われるとは思わなかったのだろう。
『わかった。僕にできることをしよう。君を、助ける。守る』
「あ――」
顔もわからない、姿も見えない相手にそう言われて安心した。
空を満天の星が駆け始める。
流星群。
その方向へ顔を向けると、時間の止まった人々を呑み込む巨大な黒い穴が地面に口を開けた。
あまりにも禍々しいそれは、どんどん広がって行く。
涼もそれに間もなく飲み込まれる。
「っううううぅ!」
けれど、きっと大丈夫。大丈夫のはず。
だって“声”は約束してくれた。
助けてくれる。守ってくれる。
確証もない、そんな約束を――信じるしかなかったのだから。
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