【急募】推しに好きって言わせる方法

悪い男



「じゃあ、僕と賭けをしようか」
 
 目の前で笑う男は酷く――
 
 顔が良かった。
 
 ☆
 
 私の名前は柳 イオリ。
 二十歳の大学生である。高校を出て、大学生になって一人暮らしを始めた私は、お隣さんがびっくりするほどのウルトラデラックスイケメンだと知った。
 ガチャで言うならSSR+である。
 進化もしてるし何なら開花もしてる。
 
 とにかく、めちゃくちゃに顔がいい。
 お隣さんは文学系青年みたいな容姿をしていて、背が高い。
 ほっそりとした体に、いつもマスクをしている。
 黒髪に白いマスクが映えて、大変お顔がよろしい。そして目はたれ目で、右目には涙ボクロがある。なんてけしからん。
 どこかおっとりとした雰囲気のあるお隣さんはまさにえろ同人に出てきそうな見た目をしていた。
 そんなこと口が裂けても言えんが。
 
 たまにすれ違って挨拶をする程度だが、友人からお墨付きを貰うほどのドドド面食いである私は秒でお隣さんに落ちた。
 
 うちわを作っても許されるのなら〈LOVE♡お隣さん♡〉と書いて振り回したいくらいである。だけどお隣さんはお隣さん。
 まさかたかが隣人に、〈視線ちょうだい♡〉とか〈バーンして♡〉とかいう気持ち悪さ百パーセント超えてるうちわを作られたらドン引きはもちろん、最悪大家に相談、警察にも通報されかねない。
 それはちょっと嫌だ。
 いやちょっと所ではなく嫌だ。
 
 そんなわけでひっそり、私はバードウォッチングならぬお隣さんウォッチングを彼が越してきてからずっとやっていた。

 ――しかしそんなある日。

 同じエレベーターに!偶然!なった時!彼に言われたのである。
 
「きみ、可愛いね」
 
 なんて少女漫画みたいなキラキラ展開が訪れるはずがない。
 実際お隣さんに言われたのは
 
「きみ、僕のストーカーだよね」
 
 である。現実は世知辛い。
 無表情で言うお隣さんは冷静だ。どうやら私がストーカーと完全に把握しているようである。
 ……ではなく、私はストーカーではない!!
 確かにちょっと、あまりにもお隣さんの顔が見たくて時々ベランダから何時に帰宅するのか確認したり、隣の玄関扉が開く音がしたらさり気なさを装って私も家から出たりはしているが、ストーカーではない!!
 あれ……ストーカーではない…………よね?
 やばい。自分のことながら自信がなくなってきた…………。
 そんな冷や汗ダラダラ、ここが密室じゃなければすぐさまダッシュをキメこみ、サヨナラベイベーする私ではあったが、生憎ここはエレベーター。
 私たちの住む7階までノンストップで送り届けてくれる箱型密室である。
 うわあああああああいっそ殺してくれ!!!
 
「えっと………あの………」
 
 陰キャ三種の神器。〈えっと〉と〈あの〉を使用したらあとはもう〈その〉しかない。
 やばい。手持ちカードがなくなってしまう。
 狼狽える私にお隣さんはしかし、落ち着いた様子で続けた。
 
「あまりにも視線を感じるからおかしいなとは思ってたんだよね。きみ、僕のストーカーでしょ」
 
「いや、あの、エエト」
 
 いいえと答えなければ!!ここは!!
 でも推しを前にしたら何も話せない!!
 私は陰キャなオタク!
 悲しい!何も言えない………ッ!
 そもそも私がお隣さんにすることといえばそっと陰ながら見守る程度であり、会話をしたことは全くない。
 時々、神の差配による偶然で、エントランスですれ違い「あ、こんばんは……」と話すくらいである。
 しかし、それも私はコミュ障こじらせ女の称号を得ているため、「……ばんわ」になる。
 居酒屋の「いらっしゃいませ」が「らっしゃーせー!」になるくらいの省略語である。
 
「ふーん?ま、いいや。じゃあ、僕と賭けをしようか」
 
「何で??」
 
 コミュ障なのに秒速でツッコミを入れてしまった。
 漫才か。
 私がツッコミを入れた瞬間チーンとエレベーターの扉が開いた。
 漫才か。
 
「どうぞ?」

 お隣さんに手を差し出されてうろたえながらエレベーターを降りる。
 
「ド、ドウモ………」
 
「きみ、何ちゃん?」
 
「エッ!」
 
「うるさ」
 
 そう言ったお隣さんはやはり無表情である。
しかし、まさか推しに名前を呼ばれる奇跡が起きるとは。
 
 私、前世で何したんだ……?
 もしかしたらボランティアが趣味なあしながおじさんだったのかもしれない。
 私は前世の自分に心からの感謝をしながら答えた。
 
「柳イオリです!!」
 
「イオリね。僕は水瀬香。イオリ、じゃあ賭けしよーぜ。内容は簡単」

 お隣さんは低テンションで言う。
 そのあっさりとした物言いに嫌な予感がこみ上げた。
 
「どっかの誰かを落とすとか嫌ですよ……。不倫とかに首を突っ込むのはごめんです……私は別れさせ屋でも便利屋でもないので………」
 
「あはは。なにそれ面白いね。でも違うから安心しろよ」
 
 やっぱり無表情だ。無表情だぞ、この人。
 あははって言ってるのに全く笑ってない声と顔のお隣さん。いや、香くん。初めてお隣さんの名前を知ってしまった!!
 香!!香くん!なんて雅な名前なんだ!表札で苗字が水瀬なのは知ってたけど、下の名前は知らなかった!
 私は香くんという名前を心のノートに大事にインプットした。
 
「僕に好きって言わせてみて」

お隣さんが振り返って言う。マスクをしているため目元しか見えないが、その瞳は楽しそうな色を映していた。
 
「…………は?」
 
「あれ、聞こえなかった?僕に好きって言わせてみてよ。簡単でしょ」
 
 お隣さんはあっけからんと言った。
 私は焦る。
 簡単って、いやどこが??
 ってかまって、何?好き?
 SUKI?すき焼きの間違いではなく?
 いやすき焼きって言わせてみてっておかしいだろとセルフツッコミをする私の思考回路は完全に大気圏だった。
 やばい。早く日本に戻らないと。
 
「僕に好きって言わせたら、きみの勝ち。あ、期限は一ヶ月な」
 
「………えっ………あの」
 
「家ついたけど、質問ある?」
 
 香くんはこっちが拍子抜けするくらいあっさりと言った。
 私は再度混乱した。
質問?ありすぎるに程にはあるのですが………?

 気がくといつの間にか、香くんの家の前まで到着していた。体感二秒だ。
お隣さんなので、香くんの隣が私の家である。
 
「えっ……えぇと……あの……お隣さんは」
 
「香でいいよ。面白いでしょ、僕のこと落としてみるの。イオリちゃん」

 静かなテンポで、落ち着いた口調で香くんは言う。
 
「エッ。アッ。オッ」
 
 私は驚きのあまりオットセイのモノマネになりかけていた。
そんな私に、お隣さんーー公的に名前を呼ぶことが許された!なんてことだ。とても嬉しい。
香くんはにこりと目元に笑みを浮かべてて言った。
 
「一ヶ月、よろしくね」
 
 じゃ。
そう言ってばたんと扉はしまった。
 おっ……おうおうおうお隣さん!?
 いや香くん!?
 衝撃的すぎる展開にもしやこれは私の夢なのではないかと錯覚する。
 しかしすぐに冬の冷たさがばちばちほっぺたを叩くので、これは現実なのだと知った。
 私は信じられない思いで家に入り、見事に玄関でつまずいて顔面から強打した。
 とても痛かった。
 低い鼻がさらに低くなった気がしてちょっと泣いた。
 
 
 
 ☆
 
 
 
 さて、しかし推しを落とすとはどうすればいいのだろうか。
 というか普通に推しと話すとかそれだけで難易度マスターなんですが?
 
 無理みが深い。とはいえ推しに合法的に触れられるこの唯一無二のチャンス。
 絶対に逃したくはない。
 さながら私はサバンナの人間だった。
 ここは自然界。
 気を抜いたヤツから蹴落とされる!!
 期間は一ヶ月。落とせようが落とせまいが、期間は決められているのだ。
 いやまぁ、あんな顔面偏差値バグりまくりの推しを落とすとかなにそれ無理ゲー?って感じだけど。
 でも落とすまではいかななくても喋友くらいにはなれるかもしれない。
 いいじゃん喋友。喋るくらいの友人にはなりたい!
 すれ違ったら「あっ…こんばんは…」じゃなくてプラスワンセンテンス。
「あっこんばんは月が綺麗ですね」ってそれは告白じゃないですか〜〜〜!!
 変わらず忙しなく考えながら、私はこれは推しと距離を縮める一ヶ月間と認識することにした。
 少しは推しに近づきたい。
 落とすとかそんな難易度デラックスモードに挑戦することはなく、ほんの少しの距離だけ縮めたい。
 
 純粋なる下心である。
 そんな訳で私は距離縮め大作戦。
 古から何度も使われたであろう古典的方法「作りすぎちゃった!」を実践することにした。
 
 自炊なんていつもレトルトを温めることくらいしか、してこなかった私だが!
 頑張った!カレーはとりあえず具材突っ込んで煮込めばそれっぽくなる!
 ありがとうカレー。
 ありがとうカレー発祥地インディアの民。
 
 そして調子を乗ったらおすそ分けするにも程がある物量が出来てしまったのである。
 えっ、少し多めにと思ってじゃがいもと人参を各二袋ずつ。
 玉ねぎは多めがいいかなと思い、玉ねぎを三袋分入れてしまったら、もう具材だけでもういっぱいいっぱいになってしまった。
 それに牛肉を突っ込めばもう、それこそ何人家族用だ?みたいな量ができてしまった。
 カレールー二箱使ったよ………。
 これ一人におすそ分けしたところで全然なくなる量じゃねぇわ。
 自炊って難しい。毎日カレー生活が続くことを予期しながら、私はお隣さん家へと向かった。
 
 しかしここで問題が起きた。
 インターホンが押せない。私のモットーはYESウォッチ!NOタッチ!である。
 見るのはよしだがお触り厳禁。
 接触なんてもってのほか。
 そんな信条を掲げていた私が……自分からインターホンを……鳴らす…………??
 
 かれこれ数分。
 これじゃ本当に推しの言う通り不審者だ。
 右に左にどうしようかと迷っていたら、背後でコツコツと靴の音がした。
 同じ階の住人かもしれない。
 
 やばい。こんな人様の家の前でウロウロしてたらそれこそ不審者をみる目をされる!
 
 ええいままよ勇気の神様私に力をくれ〜〜〜!!
 意気込んでインターホンを押そうとした瞬間。
 
「あれ?イオリ?」
 
「っ…………!!」
 
 驚きのあまり鳥肌がびっしりたった。
 何この偶然。
 何このタイミング。
 こんな事ってある??虚しくも私の指先が押したインターホンが、ピンポーンと静かにその場に響いた。
 
「どうしたの?出待ち?」
 
 お隣さん、もとい香くんはコンビニ帰りらしく、その手にはビニール袋が下げられていた。白いニットに黒いパンツとラフな格好だが、シンプルがゆえに香くんのスタイルの良さが際立っている。マスクは健在で、変わらず香くんは着用していた。しかし前から思っていたが香くん、腰細すぎないか……!ともすれば私より細……。いやさすがにそんなことはない!はず……。どうしよう。自信がなくなってきた。
 香くんがからかうように笑った声を出すから、私は挨拶という日本人として大切な文化を忘れて、タッパーを差し出した。
 
「カレー!!食べますか!?」
 
「……カレー?」
 
 まままま、間違えた!
 何もこんな、押し売りみたいなやり方で!!
 香くんも困ってるよ!
 
 突き出したカレーのタッパーはまだホカホカと温かい。
 しかし、突き出したはいいものの、今更ながらやっぱり肉じゃがにするべきだったのでは!?とか考え始める。
 カレーって。カレーって!匂いが強いし服についたら落ちにくいし!何より女子力高い飯には思えない!!個人の偏った意見です!
 
「……辛口?」
 
 パニックになってあちこち思考が飛ぶ私に、香くんが言った。
 あ、少し表情が柔らかい、気がする。目元しか見えないからわかりにくいけど。でも、私にはわかる。少し緩んだ香くんの雰囲気にギクシャクする。
 
「へ……?」
 
「俺、辛口が好きなんだよね」
 
 香くんはそんなことを言いながらズボンのポケットから鍵を取り出して玄関を開けた。
 がちゃ、と鍵の開く音がする。
 それにはっと我に返った。
推しの!!推しの部屋が!!開いた!!
 開いたゴマ!!
 
「どーぞ?」

やはり笑みを含んだ声で言われて挙動不審になってしまう。
 
「ドッ……ドウモ………」
 
 その言い方は、完全に緑のマスコットキャラを指すような物言いだった。
私はタッパーを持って部屋に入った。
 お、推しの部屋に入場〜〜〜!!
 やばい入場料を払わねば……。
 
「で、それ何口?」

香くんが施錠しながら言う。なんか香くんからいい匂いする……しかも近いんだが……。
 
「あ、中辛です………」
 
「ふーん、次は辛口にしてね。激辛がいいな」
 
 次があると…………!?
 次があると期待していいのですか!?
 これは!?!?
 
 そこから私は香くんに「ルーだけ?米ねぇの?」と言われ、私は隣室にかけ戻った。
 自炊なんて全くしない女。
 基準がわからず3合炊いてしまってこれ誰が食うの?状態のホカホカ炊飯器を炊飯器ごと持参した。
 香くんは「めっちゃあんじゃん」と笑いながら言ったが、やはりそのお顔に変化はなかった。
 表情筋固定かよ。そんなところも好きだ。
 
 そして和やかなお食事タイム。
 かかかか、香くんが、推しが私のご飯を食べてらっしゃる……!
 香くんはカレーを食べると「ん、うまい」と一言、感想をくださった。
 神か?サービスの塊か?うちわふっていい?何ならペンラも振り回したいです。
 
 そして食事が終わって、香くんから「コンビニでプリン買ったけどイオリも食う?」とお誘いを受けた。
 私が!!推しの!!プリンを食べていいのか!?
 まじで!?奇跡!?
 奇跡の神様ありがとう!!
 前世の私、徳を積みすぎたな………。
 今なら宝くじも当たるかもしれん。そんなことを考えながらデザートにありつく。
 
 私より先にプリンを食べ終えた香くんがテレビをつける。
 テレビはお笑い番組がやっていた。「なんでやねん!」「あはははは」とテレビの中からにぎやかな声が聞こえてくる。
 いつもなら私もお笑い番組につい視線が奪われるところではあるが、今は香くんが大優先である。
 推しがテレビを見ている………。
 もはや何をしていてもかっこいい。写真撮りたい。額縁に入れて飾りたい。
 
「あ、この子かわいー」
 
 それは何気ない香くんの一言。
 しかし、私にとっては特大フォントの太字仕様だった。
 今なんと??この子可愛い?誰??
 どなた??
 パッと物凄い勢いでテレビを見た私の目に飛び込んできたのは、お笑い芸人だった。
 
「スイパラに行ってケーキを食べたはいいものの逆にお腹が空いてステーキありませんか?と頼んだことがあるんですよー」と笑いながら話し、場が笑いに包まれている。
 女性はふくよかというより、だいぶふとましい方だった。
 この方が、可愛い。
 確かに可愛いと思う。マスコット的な可愛さがあると私は思う。
 性的魅力はどうなのだと思うが、ひとの好みはそれぞれだ。もしやこの女性が香くんの好みなのか…………!?
 
 この女性の体重は知らんが、私は至って標準体型である。
 今から一ヶ月以内に推定二桁の体重を増やすのは絶対的に厳しいし、健康的にも悪いと思うんだ。
 
 ちなみに後で調べたら彼女の公式ホムペに、体重は百二キロとあった。
 ジーザス。約五十キロどう増やせと言うねん。
 
 しかもいきなり太ったら絶対肉割れするじゃないですか。
 悩んだ私はとりあえず、とお笑いを学ぶことにした。
 
 その日、プリンをいただいた私は秒速で家に帰りお笑いなるものを勉強した。
 とても!勉強した!!
 参考書も買った。
 
 結果、お笑いってすっげ〜〜〜難しいことを知った。
 芸人さんって凄い。しかし、何事もチャレンジ精神だ!!
 
 土曜日のお昼。
 カンペと映画のブルーレイを握りしめて私は香くんの家のチャイムを押した。
 いざ決戦!!気分はテスト受験者だった。
 すぐに香くんが家から出てきて、ブルーレイを見ることを口実に家に上がった。
 
「それ、春に話題になったやつ? ヒューマンドラマだっけ」
 
「はい!そうです!泣けるって話題です!」
 
「へー。イオリ、僕のこと落とすんじゃなかったの?恋愛ドラマにしときなよ」
 
「……………」
 
 その通りである。
 仰る通りである。ダメ出しされた挙句にアドバイスまで頂いてしまったので、次回の参考にしようと思いました。
 
「柳 イオリ。モノマネやります」
 
「ん?映画観ねぇの?」
 
「見ます。しかしその前にこちらを」
 
 私は香くんの前に立つと、スマホを取り出した。
 そしてスマホをいじる。
 少ししてからハッとしたように前を見て、顔を上げる。
 それから何かを確認する振りをして、そのまま何事も無かったかのようにリビングを出て廊下に出た。
 
 そして、またリビングに戻った。
 香くんはどこか楽しむようにしながら私を見ていた。私は口を開いた。
 
「お題。電車を待ってたけどホームを間違えたことに気づいた人、です」
 
「それ体験談?」
 
「いや……まあ……はい」
 
「面白いね。僕もたまにやる」
 
 面白いねとは言うが香くんは真顔だった。
 やっぱダメだったのか………!
 でも私に一人二役の漫才は絶対無理!!
 
 いっそ芸人のモノマネでもすればよかったか………こんな地味ハロウィンで披露するようなネタ、香くんには受けなかったか……。
 
 私は学んだ。
 あとやっぱり、体型についても再検討する必要があるのかもしれない。
 
 
 
 ☆
 
 
 
 次の日は日曜日だった。元々予定していた高校の友達との飲みである。
 私は推しとの賭けについて話した。
 
 推しの話を散々聞かされている友人たちは「ああ、あのお隣さんね」とすぐに理解した。
 もはや香くんが〈お隣さん〉という名前にすらなりつつある。
 
「それさぁ、ずっと考えてたんだけどイオリの妄想とかない?」
 
「待って酷い。オブラートが欲しい」
 
「だってありえなくない?突然そんなこと言われるなんて。それか、あんた騙されてるんじゃない?賭けに使われてるんだよ。仲間内の。お隣さんいくつなの?」
 
「し、知らない」
 
 怪しい〜〜!と友人たちから声が上がる。
 友人のひとりの話では、お隣さんは仲間内で私に落とされるかどうか賭けをしているのではないかと話す。
 私と賭けをして、更に仲間内でも賭けをする………。
 
 アルコールをガバガバ調子に乗って飲んだこともあり、頭が回らない私に、「ゴムはしろよ」と何とも女子力とは乖離した発言が飛んできた。吐くかと思った。
 
 そのまま話は盛り上がり、自宅付近に辿り着いたのは深夜十二時三十分。
 
 フラフラと千鳥足でマンション前に帰宅して、ポストを確認する。
 しかしなかなかポストが開かない。
 
 あれ?番号あってるよな?
 
 頭が働かない。
 そんなことを思いながら不審者よろしくガチャガチャしていると「イオリじゃん」という言葉が聞こえてきた。それと同時にエントランスの自動ドアが開く音もする。
 見ると、そこにはよく分からない海外の絵が印字された黒シャツに黒パーカー、そして黒ズボンという出で立ちの香くんがいた。香くん、黒パーカー似合うな〜〜〜!!写真撮りたい!!
 
「香くん!!」
 
「こんな時間にどうしたの?僕はコンビニ行くとこだけど」
 
「私は今帰宅したところです!」
 
「今?遅くね?」
 
「そうですか?まだ十二時ですよ」
 
 答えながらもポストを開けようと頑張る。
 くっ。なかなか開かない!!
 どうしてなんだ!!番号はあってるはずなのに!
 頑張ってくれポスト!
 特に中身に興味はないのに、ひたすらポストを開けようと四苦八苦していると、不意にいい匂いがした。
 びっくりして振り向くと、至近距離に香くんの顔があった。
 ビックリしすぎて、腰が抜けるかと思った。距離が近い………!不意打ちがすぎる。
 
「イオリ、結構酔ってるでしょ」
 
「えへへそうですかね?えへへ」
 
「いやどう見ても酔ってる……。このまま帰るの?」
 
「はい!でもポストが開きません!」
 
「明日にしな」
 
 短く香くんに言われ、命令されたことに私は打ち震えた。
 か、香くんに命令された………!
 私はいつの間にか香くんに手を引かれ、そのままマンション内に入った。
 
「うちにしじみの味噌汁あったな。飲んでいけば?明日、辛いよ」
 
「しじみ?しじみのお味噌汁ですか!?なんで香くんが。香くん料理するんですか!?」
 
「声でけぇな……。料理はするし、味噌汁があるのは昨日僕が酒飲んで二日酔いになったから」
 
「香くんお酒飲むんですか………」
 
「飲むよ」
 
 短く答えた香くんに連れられて、エレベーターを出る。
 驚くくらいエレベーターにいる間の時間は短く感じられた。
 
 香くんの部屋に入ると、推しの部屋という感じがした。
 やばい。ジップロックに空気入れて持ち帰りたい。今日の日付と香くんの部屋の匂いって見出しに書きたい。
 いよいよ正常心が失われてきているが、この時の私はアホなくらいに酔っていたので自制心などは既に死滅していた。
 
「靴脱げる?っていうかイオリちゃんはさ……」
 
 トロトロノロノロ亀かよというくらい遅い動作でようやく靴を脱ぐと、そのままト、と右手首を掴まれた。
 そのまま背中が壁にぶつかって、気がつくと目の前に香くんの顔があった。
 死………?頭が追いつかない。
 
「危機管理能力がミジンコレベルだよね。こんな時間まで出歩いてるし」
 
「香くん……?」
 
「気をつけなよ。色々。悪い男に引っかかるよ」
 
 香くんはそれだけ言うと、そのまま私の手を離し、部屋に入ってしまった。
 すぐにガスコンロがつけられた音がして、ふわりとお味噌汁の匂いがする。
 何だったのだろう?ふわふわする思考で考えた。
 
 
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