【急募】推しに好きって言わせる方法

期限まであと一ヶ月


「美味しい……生き返る味がします……。いきててよかった……」
 
 切実に言うと、味噌汁を持ってきた香くんが面白そうに私を見た。
 
「まじで?そんなに美味い?それインスタントだから、湯入れただけど」
 
「暖かい味がします……」
 
「工場の人喜ぶよ」
 
 香くんは私の隣でコーヒーを飲んでいる。
 ブラックだ。大人だ〜〜〜。
 コーヒーを飲んでる様子を見ていると、不意に香くんが言った。
 
「実は僕、不治の病を患ってるんだよね。完治が見込めないやつ。この前主治医にもうすぐ死んじゃうって言われてさー。いやー参っちゃうよね」
 
「……え」
 
 突然、本当に突然。
 まるで明日の天気でも話すような声だったから、私は理解が追いつかなかった。
 頭がガンガンする。
 
「いきなりそんな言われてもさ。ああはいそうですかとはならないじゃん?あー死ぬんだーとは思うけど。現実味ねぇよな」
 
「………」
 
「イオリ?」
 
 香くんに言われて、私はテーブルの下に敷かれるラグをじっと見ていた。
 香くんが病気?
 もう死んでしまう。
 それをあっけからんと、全く悲しそうに言わない香くんが、とても悲しかった。
 私はぐっと手を握って、香くんをみた。
 なぜだか無性に寂しかった。
 
「おっ………」
 
「お?」
 
「思い出をっ…………!今から思い出を作りましょう!まだできるはずです!何でも!やりたいこととかないですか!?例えばほら、夢の国に行ったり!ヌニバに行ったり!あったそうだ。ほら、せっかくなら銀座で飲みもしましょうよ!私、香くんと飲んでみたいです!!あとクリスマスはイルミネーションも見て、旅行もいって……八つ橋も食べましょう!宝くじも買ってみましょうよ!」
 
「イオリちゃん落ち着いて。宝くじがなんて?」
 
「宝くじかった事ありますか!?」
 
「いやないけど………」
 
「じゃあ買ってみましょう!じ、時間が制限されてるならやってみたいことやらないと………も、勿体ないじゃないですか………。せっかく、時間があるのに……まだ……」
 
 話してて、だけど自分が何を言っているのかだんだんわからなくなってきた。
 香くんが病気?もうすぐ死んじゃう?じゃあ私は。私はどうすればいいの?
 私に何か出来ることは……。
 
「ごめん、病気は冗談。だからそんな泣きそうな顔しないで」
 
「え……冗談……」
 
「そ。冗談。嘘だよ。そんな都合よく死ぬわけねーじゃん。タバコも吸ってるしさぁ。体悪かったら吸ってないって」
 
「あ………そう、ですよね。すみません……私、興奮して……」
 
「いいよ。……ありがとな。まさか宝くじ買えって言われるとは思わなかったわ。死ぬってっ言ってんのに」
 
「あっ……ああ!そうですよねすみません……」
 
「だからいいって。それより早くそれ飲んじゃって。あと、隣戻んのだるかったらこのまま寝ちゃっていいから。寝室、隣ね」
 
 香くんはそう言いながら、自分のコーヒーを一気に飲みきった。
 宝くじ……!確かにすぐ結果が出るとは限らない。
 むしろ結果が出るには時間がかかる。私はなにを言ってるんだ……。
 後悔と羞恥で悶えながらも、しかしお隣さんの寝室を居座れるほど図々しくはなかったので私は早々にお暇した。
 部屋隣だしね………!!



 お味噌汁を飲みきり、お隣さん宅を後にする時、ふと私は気になったことを口にした。
 そう言えば、私、香くんの年齢を知らない。
 私は見送りのため玄関まで出てきた香くんを振り返った。
 
「香くんはいくつなんですか?」
 
「いくつに見える?」
 
 質問を質問で返されて考え込む。
 香くんは、見た目だけならとても優等生に見える。
 黒髪だし、タレ目だし。でも実際はお酒を飲むしタバコも吸う。あとこの前ちらっと見えたけど耳も結構ピアスを開けてる。見た目は優等生なのに中身はチャラいとかなにそれ最高すぎる〜〜……!!
 私は香くんをじっと見た。
 やばい……年齢全く分からない。
 年齢不詳………?若く見えるけど、私より年上……かな。
 
「二十四……とか……ですか?」
 
「ブッブー。正解は二十二。ってな訳で早く帰んな。もう一時過ぎてるよ」
 
「えっ?あっ、ほんとだ……!すみませんこんな時間まで……。ありがとうございました、あと、二十二歳だったんですね……。じゃあ大学生……ですか?」
 
 聞くと、香くんは少し目を細めた。あれ、でも私香くんが大学行くところ見た事ないな………。
 割とストーカ……香くんのこと見てきたけど。
 
「まあね」
 
 香くんはそれだけ答えた。
 
 ☆
 
 次の日、香くんのしじみ汁のおかげで二日酔いにはならなかったけど、推しに迷惑をかけたことに私は死ぬほど後悔した。
 そのため菓子折を持参して謝罪に参ることにした。
 隣のお宅に向かうと、香くんはタバコを吸っていた。マスクを下にずらしているため、いつもより香くんの顔がもろに見える。やばい。素顔とかレアにもほどがある……!今日はツイている。もしかたら今日の運勢私の星座一位だったのかもしれない。
 久々に見た香くんの顔はやっぱりとてもよくて、そしてやっぱり私は面食いだった。
 あまりにも香くんのお顔が良すぎる。写真を撮ってブロマイドにしたい。
 部屋に飾りたい。何なら十二か月カレンダーを作ってほしいとすら思った。言い値で買います。
 
 約束の期限まで、あと二週間。
 
 月半ばの水曜日。
 私は過去に類を見ないほどの悪運に見舞われていた。
 まず靴のヒールが折れた。嘘じゃん。
 こんな綺麗にヒールって折れるの?
 駅のエスカレーターでヒールが折れて可哀想なものを見る目をされたのは私です。
 恥ずかしさで死ぬかと思った。
 そして今日は朝から豪雨。
 折りたたみ傘はアバヨ………と言わんばかりにひっくり返り、骨組みは折れ、もはや解体されたかのようになった。
 しゃーない、コンビニで傘買うか……と手痛い出費を覚悟でコンビニに向かえば、銀行のカードを家に忘れていた。
 ジーザス。
 しかも財布を水たまりに落として水浸しになった。
 アーメン。
 しまいにはポケットに入れていたスマホが水没して電源がつかなくなった。
 そんな馬鹿な。
 私の侘しい財布には小銭しか入ってないが、交通カードを使って何とか家に帰宅した。
 そこで今期最大の危機に見舞われた。鍵が…………鍵がねぇ…………!!
 
「ストラップはあるのに鍵はないって何事?え?こんなことある?この先どこいった………?」
 
 鍵をつけていたくまのストラップは健在なのに、鍵だけない。
 鍵だけ綺麗にない。
 外れた?落とした?でもどこで?
 はっきりしているのは今、私にはお金が無いということと、連絡を取るための手段がないということだ。
 終わった。神はいない。
 え、この場合どうすればいいの?小銭はあるから公衆電話で実家の親に電話する?
 でも公衆電話って何処にあるの!?完全にパニックになってると、エントランスの自動ドアが開いた。
 やばい。今の私は水浸しで自動ドアの前に居座る女である。悪霊と勘違いされてもおかしくない有様。
 少なくとも見た目だけは取り繕おうと、濡れネズミになった前髪をかきあげた。そこで、私は自動ドアから出てきた人を見た。香くんである。
 
「おとなりさん………」
 
「え?ウワ、イオリちゃんじゃん。どうしたの?ずぶ濡れじゃん」
 
「実は………鍵がなくて」
 
 手短に話すと、香くんは「えっそうなの?」と答えた。
 そうです。外は豪雨。何なら雷まで鳴ってる。
 視界の端にどこかから飛んできたビニール袋が飛んで行った。私、この雨の中公衆電話探す旅をするの………?
 ゾッとした。お金はないわ、連絡手段はないわ、靴は壊れてるわ、災難すぎる。
 
「すげー雨降ってるじゃん。コンビニ行こうと思ったんだけどなー。タバコ切らしたし」
 
「タバコ………」
 
 マンションからコンビニまで、徒歩で五分程だがこの大雨だ。
 五分でも地獄のシャワーと化すだろう。
 
「ま。いいや。イオリちゃんそれじゃ風邪ひくでしょ。うちおいで」
 
「エッ」
 
「鍵ないんでしょ?なら雨止むまでとりあえずうちにいれば?スマホは?」
 
「水没しました……」
 
「まじで?」
 
「まじです。ちなみに靴はヒールが折れて財布は水浸しになって銀行のカードは家に忘れて、鍵はどっかに落としました」
 
「最悪じゃん。なにそれコント?」
 
 そしてお隣さんは少し屈むと私の靴元を見て「あ、ほんとだ折れてる」と笑った。
 お、お隣さんが………!笑ってる………!
 しかも笑ったことで、少し息苦しくなったのか香くんはマスクの先を指で掴んだ。レアな素顔がちらりと見えたのですかさず拝む。
 
 とはいえ、私のヒールはだいぶ哀れで悲惨な有様だ。
 何よりヒールの部分がぐんにゃり折れている。
 ヒールってこんな折れやすいものなの………?初めて知った。
 
「はー、笑った。ほんと災難だったね」
 
 その割にはめっちゃ笑ってますけどね………。
 まあいいやお隣さんの笑ってるところが見れたから……!!
 私の脳内には今〈君の笑顔が1番だよ!〉という文字記載のあるタオルが掲げられている。顔がいいからすべてよし!笑うと少し幼く見えるとかあまりにもキュンが過ぎる……。
 
「じゃ、来る?僕ん家」
 
 ちゃり、と指先に鍵を引っ掛けたお隣さん……香くんが言う。それはとても、very卑猥な匂いがした………。
 いけない香りがする……。香くんだけに………。そんなことを考える私は絶対的な不審者だ。せめて考えてることがバレないようにしようと努めた。
 
 ☆
 
「うーさっみ。外何度?暖房つけようか」
 
「いえ……あの……お構いなく……」
 
「そんなずぶ濡れでお構いなくは無理でしょ。ほら風呂入れって。女物の服とかねーから、とりあえず僕の使って。着れないことはないでしょ。髪は洗面所にドライヤーあるから使って、あと……シャンプーか。まあ、それも風呂場にあるからてきとーにドウゾ」
 
「いやっ……本当に……いいんですか?」
 
 推しの風呂場に突入!?合法的に!?まじで!?私今日運ありすぎじゃない!?今日まじ厄日過ぎて死んだわワロタって感じだったんだけどもうこれだけでプラマイゼロ!どころかプラスしかありません!!やったね黒字ありがとう!!
 気持ち悪い変質者のような笑みが漏れないよう気をつけながら、香くんに伺いを立てる。
 しかし彼は一言しか言わなかった。
 
「入れば?」
 
 むしろいつまでそこに突っ立ってんのと言わんばかりの視線を貰って、私は思わず鼻を抑えた。鼻血が吹き出しそうだったからだ。
 冷たい視線とか、我々の業界ではご褒美です……!
 洗面所に入って深呼吸をする。
 そして、鼻を確認。よし、鼻血は出ていない……!
 私は自分の鼻の血管を褒めた。
 興奮のあまり血を吹き出さなくてよかった……!
 
 お隣さんのフワーオなお風呂場はとてもいい匂いがした。
 なに……。これが成人男性の風呂場……?なんかめっちゃ綺麗だしいいかほりがするんだが……。
 私が風呂場に入った瞬間にフローラルな匂い後して、効果音はまさにフワーオ。
 アニメなら間違いなく桃色フィルターがかかっているところだ。
 
 おかしい。ここは女の家ではないはずなのに……!
 限りなく感じる女の影………!
 ここに来てハッとする。
 そうだ、香くんに女はいるのか………!?
 あのお顔だ。
 あちこちで女をひっかけて、入れ食い状態に違いない。
 
 そうなると私もいずれセフレ枠へと昇格……!?
 ストーカーから考える時ものすごい出世じゃないだろうか。
 いや私はストーカーではなく、ただの隣人なわけですが。
 
 そんなことを考えてお風呂場から出て、ホカホカな状態のまま手早く髪の毛を乾かした。
 脱衣所には香くんの服がある。
 オッオッオッ推しの服〜〜!!!またしてもオットセイが顔を出しそうになった。
 すんで堪えた。
 
 下着はしゃーないから先ほどまで着ていたものをつける。
 か、帰ったら速攻着替えよう………。
 
 ☆
 
 
「あ。出た?髪乾かした?」
 
「お、お風呂ありがとうございます。髪は乾かしました……」
 
 答えると、香くんは私の方まで近寄ってきて、私の髪先に指をすっと通した。
 あああああドライヤーもっとしっかりしとくべきだったあああ!!
 香くんの指先に髪が絡まなかったことを奇跡に思う。
 香くんは私の髪先に触れると、「お、乾いてる」と返す。
 どうやら確認作業だったらし。し、心臓に悪いな………!!
 
「甘いものいける?」
 
「す、すすす、好きです」
 
「じゃあココアかホットミルク。どっちがいい?あ、紅茶もあるけどどうする?」
 
 そのままキッチンに向かった香くんが至って普通そうに聞いてくる。
 戸棚を開けているのは紅茶のストックを確認するためだろうか。
 や、ややややばい。まるでこれは同棲……………。頭の中を結婚式のファンファーレが鳴り響き始めた。いよいよ変質者である。
 
「ココココココアで」
 
「ココココココアね。了解」
 
 あまりにもどもりすぎた私に笑ったのか、少し面白そうに香くんが言う。
 やばい、私の頭の中の変質的思考が読まれてしまったのだろうか!?
 さっきから私やばいしかでてこないところもやばい。語彙力が軒並み低下している。IQも多分下がっている。
 香くんの前で、挙動不審な自覚はある。
 ついでにキモオタバリの思考回路をしている自覚もある。
 やべぇ〜〜私とんだやばいやつだ!!オワタ!
 程なくして、香くんがココアを持ってきてくれた。推しに飲み物を運ばせてしまった……。このココア、一生飲めねぇ……。
 うちに持って帰って飾っちゃダメかな……。
 ダメか……液体だし蒸発するしな……。
 以前お味噌汁をご馳走になった時は、とんでもない程に酔っていた。だけどあれも、今思えば惜しいことをした。
 ちなみに推しに盛大にご迷惑をおかけした事件から、私は禁酒している。
 だけどお酒が!!飲みたい!!
 酒のツマミはもちろん推しだ!!
 
 推しを見て、
 飲むお酒は
 きっと美味。
 
 渾身の俳句を詠んでしまった。
 そんなことをノンストップで考える私は馬鹿である。
 
「イオリさ、僕のこと好き?」
 
 口をつけた瞬間、永久保存を願ったココアを危うく噴出するところだった。
 なっなっ、何事だ………!
 
「えっ!?……ンッ、ゴホッ、ウヘッ、ォアッ」
 
 しかも噎せて全く女の子らしくない声が出る。
 香くんは私の隣に座って、テーブルに頬杖をつきがらこちらを見ている。
 くっ、くそ、顔がいいーー!!
 
「僕のこと好きでしょ?」
 
「好っ……!そ、それ言ったら私の負けになりません……か……」
 
 負けも何も私の気持ち、もとい行動はすでにばれているのだけど。
 だけど、そもそもの始まりは香くんから持ちかけられた賭けだった。香くんに好きと言わせたら私の勝ち。言わせられなかったら私の負け。私が言った場合はどうなるかわからないが、私が好きと言っても私の負けになるのではないだろうか……?
 ルールをあまり理解していないが、不用意に言ってしまってはダメなのではないかと思った。
 
 賭けの期限は一ヶ月。
 十一月ももう半ば。……期限はあと、十日あまりしかない。
 
 それでも、その期限を早めることはしたくない。
 期限内に香くんに好きと言わせること……。
 うーん絶対的に無理な気がする!!
 でもそれでいい!これは思い出作り!
 これを足がかりに香くんとの仲を深めよう!
 少しは仲良くなれるはず!
 ズッ友枠じゃなくていい。せめて顔見知り程度にはランクアップを願いたい……。
 
 賭けが終わったら会えなくなる訳でもなし、そんな焦る必要はない………はず………。
 ない………よね?
 どうなんだろう。今更ながら焦ってきた。
 そんなことを考える私に、香くんは「負けにならないから、言ってよ」と促してくる。
 うううん。香くんがそう言うなら……!
 しかしやっぱり緊張する……!
 私はココアを両手で持ちながら顔を上げた。
 くぅ〜〜やっぱり顔がいい!!
 なんでそんな色気があって、気だるげな厭世的な雰囲気があるんだ!!
 見た目だけで年齢制限引っかかるって!!余裕でアウトです!
 
「あの……その……。好き、です」
 
 わ~~い、恥ずかしい!!
 死んでしまう!!言って、黙る。場に沈黙が広がる。
 えっ、何、無言……?
 きつ……無言の圧やば………。
 精神が死にそう……。死に絶える……。
 そう思って顔を上げると、香くんが笑みを浮かべていた。め、珍しい……!
 嬉しそうな、顔だ。どきりと胸が音を立てる。香くんは少ししてから
 
「ありがと。でもイオリは見る目ねぇな。よりによって僕とか。変な男に引っかかりそう」
 
 と言った。
 ひ、酷い………。私はココアをぐっと一息で飲んでから、宣誓した。
 
「か、香くんは変な人じゃないです!!面白いですよ!!」
 
「え」
 
「笑うところが若干ズレてるし、会話のテンポが独自すぎて面白いし、あ、あとお味噌汁を作ってくれて優しいし………その、私は大好きです!」
 
 まくし立てるように言い切ると、香くんは少し驚いた顔をしていた。
 だけどすぐに「ふは、」と息を吐くように笑った。
 
「面白いとか初めて言われたわ。僕面白い?まじで?どの辺が?あと味噌汁はインスタントだし」
 
「じ、自分の世界観があるというか……。独特と言いますか……個性的って言うか……」
 
「あれ?ディスられてる?」
 
「ディスってないです!その、そういうところもひっくるめて好きなんですよ!」
 
 私は何回告白すればいいんだ!?
 もういい加減許してほしい。
 何回言っても恥ずかしいものは恥ずかしいので!!
 というかこのままだと言わなくてもいい、推しをストーキングして得た情報までも口から溢れそうで怖い。だからここら辺で勘弁いただけないでしょうか……。
 
「はー。おもしれー。僕、見た目以外で褒められたのって初めてかもしんねぇわ。イオリちゃん僕のこと、ほんとよく見てんね。そこまで知ってよく嫌いにならないな。逆にすごい」
 
「そ、そんな事ないですよ。確かに最初は見た目からでしたけど、今はその、そういう性格も……含めていいなぁって思いますし……」
 
「ふは。ほんと変わってる。ココア、お代わりいる?まだあるけど」
 
「もっ。もらいます!!」
 
 正直、もう体は十分に温まったからおかわりはいらなかったけど、ココアを飲めばもう少しここにいられるので。私は口実のためにもう一杯ココアをお代わりした。
 お腹はだいぶタポタポだった。



 あれ。あれ。
 何でだ。
 マイナンバーカードがない。先日私は、鬼シフトの居酒屋から大学内研究室のバイトにジョブチェンジした。その際、マイナンバーカードを提出が必須で、今日コピーを持ってくるように言われたのだが!無い!

 家に印刷機などないので、コンビニでマイナンバーカードをコピーしようとしていた私は、絶賛慌てふためいていた。
 私は慌てて記憶をたどった。
 落とした?そんな馬鹿な。
 無くした?だとしたら再発行しなきゃ。
 時間どれくらいかかる………!?
 慌てる私は、ふと思い出した。
 それは先週の水曜日のことだ。その日の私は厄日かと言うほど酷い有様だった。
 だけど最終的には、香くんのお世話になって釣り合いがとれるどころかお釣りが出ても足りないくらい、いい日となった。
 うん、今思い出しても最高だったな………。香くんお手製のココアの味を思い出す。
 ジップロックに入れて持ち帰りたいほどだった。
 
 その日、たしか私はお財布も水没させたので香くんの部屋のテーブルに財布の中身を並べて、乾かしていたはずだ。
 それはポイントカードからお手ごろクーポン、財布の中に入れっぱなしのレシートも同様だ。そして、その中にはマイナンバーカードも一緒に並べていたはず………!
 あれ、私置いてきた?
 
 その日は、恐れ多くも推しの家にお泊まりさせていただいた。
 私は、朝日が昇ると共に失礼にならない程度の時間に大家さんに速攻、電話をすることにした。水没したスマホをダメ元で電源を入れると、昨夜はうんともすんとも真っ暗画面しか表示しなかったスマホは、奇跡的に復活した。
電源ボタンを押して、真っ白な光が付いたときは喜びのあまり泣いた。修理しなくてもいい!修理代金かからなくて済んだ!やった~~!

フランクな大家さんに電話して事情を話すと「あらあら大変だったわねぇ」とすぐに合鍵を渡してくれると言ってくださった。
大家さんに多大なる感謝を捧げたい。
 有難く大家さんのその申し出を受け、私はすぐに香くんの家を出た。
 だって推しの部屋、長居したら何が起きるか分からない………!
 もしかしたら、推しの供給過多で私の体が爆発四散するかもしれないし、人間の体を保てなくなってしまうかもしれない。
 押しの過剰摂取は体に悪い。
 そういうわけで、すぐさま家を出た私ではあるが、その時並べてあったレシート類をバババッと取ってお財布に突っ込み、すぐ家を出た気がする………。
 朝弱いらしい香くんはまだ寝ていて、起こすのは忍びなかった。
 なので、置き手紙を書いて、鍵をかけてそれをポストに突っ込んでおいたのだ。
 それで………それで!?
 香くんの家で財布から取り出した時は確かにあったマイナンバーカード。
 しかし今は手元にない………。
 だとすれば、香くんの家以外にないのでは………!?
 くっ、何でマイナンバーカード。よりによってマイナンバーカード!
 あんなクソブスな顔が貼り付けられたカードを置いていくとか、私バカか?
 死ぬのかもしれない。乾かしている時は裏面にしていたが、忘れ物に気づいた香くんがきっとひっくり返すだろう。
 そしたら私の顔面が。顔面が。顔面があああ!
 慌てムンクの叫びと化す私は財布から覗く保険証を見る。
 こいつは無事なのに…………。何なら保険証を忘れればよかった。いや、忘れ物自体したくなかったけど。
 
 仕方ない。
 香くんに連絡をして………………。そう思ってスマホを取り出したところで、私は固まった。
 あれっ?私、香くんの連絡先知らなくない?
 
 香くんとは結構親しくなっているし、お隣さんだし、気安い関係を築けていると思ったが、まさかの連絡先すら知らない問題………!
 私は顔見知り以下だった……。
 いや、普通顔見知り程度には連絡先は教えないか……?
 そしたらやっぱり、私は香くんのギリギリ友人という枠内を狙っていきたいと思う。
 掴め香くんの連絡先!!
 
 ふと、今日の日付を思い出す。

 十一月二十五日。
 香くんと賭けをしてから、もう一ヶ月が経とうとしている。
「……期限は1ヶ月、だったなぁ」
 初めて香くんに声をかけられた時のことを思い出す。
 『僕に好きって言わせたら、きみの勝ち。あ、期限は一ヶ月な』
 もうすぐ一ヶ月が経つ。
 十一月が終わったら、私は香くんと話すことは出来なくなるのだろうか?
 それは嫌だ。折角仲良く慣れたのに。
 確かに最初は顔からだったし、顔がドストライクで好みだった。
 だからこそストーキン、彼のことを調べるような真似をしてしまった。
 だけど今は、香くんというひとを知って、さらに好きになっている。
「……会いたいな」
 もう会えないかもしれない。
 それは嫌だ。
 でも、賭けのことはどうなるのだろう?
 聞きたい。でも、聞きたくない。感情が相反する。
 自分から、核心を突くような質問はしたくない。
 だけど、このままでいて何も聞かずに終わってしまったらきっと後悔する。
「そういえば、香くんはいつ大学行ってるんだろう」
 前に聞いた時、香くんは大学生だと言っていた。
 二十二歳であれば、私の二つ上。
 それであれば、大学四年生のはずだ。
 同じサークルの大学四年生の先輩は、卒論に絶賛追われている。
 『就活がようやく終わったと思ったら、今度は卒論だ』と飲み会で泣いていたのを思い出す。
 
 香くんは、そんなに忙しそうなイメージはない。というより、いつも家にいるような………。香くんのことは何でも知っているつもりだったけど、もしかしたら私は香くんの何も知らないのかもしれない。
 コーヒーを好んで飲むこと。
 タバコを吸うこと。
 実はピアスを開けていること。
 よくマスクをしていること。
 それは知っているのに、私はそれ以外のことを、何も知らない。
「…………」
 そう思った時、もっと知りたいと思った。
 香くんのことを。
 コンビニで陽気な音楽がかかる中、私だけが一人立ち尽くしていた。
 控えめに言っても、他のお客さんの邪魔だ。
 マイナンバーカードもないし、一度家に帰るか……。
 それでお隣さんのチャイムを押して、香くんの家に忘れてないか聞こう。
 それで、香くんの連絡先を聞こう。行動しなければ何も変わらない。
 一先ず、今後の流れを頭に思いかべていると、その思考を破るようにけたたましくスマホからメロディが流れた。
 電話の着信音だ。
 音量の大きさにまずビビった。私ナイトモードにしてなかったか……!
 周りの視線を浴びながら、私はひとまずスマホを握りしめてコンビニを出る。
 それと同時に相手が誰かも見ないで、着信を取った。
「はい」
「柳さんのお電話でお間違いないでしょうか。私、出山小崎病院の丸山と申します。今お時間よろしいですか?」
「え?あ、はい」
 病院……?何で……?
 戸惑う私に、丸山さんと名乗った女性の方はすらすらと事情を話していった。
「水瀬 香さんについて、お電話させていただきました。先程、水瀬さんが緊急搬送されまして、至急手術を受けることとなりました。連絡のつくお電話番号がなく、水瀬さんの所持しているカバンに柳さんのご連絡先がありましたので、お電話さしあげた次第です。つきましては……」
 頭が追いつかなかった。
 病院?手術?緊急搬送………?その全てに現実味がなくて、私は恐る恐る丸山さんと名乗った女性に聞いた。
「水瀬……香ですか?倒れたって……」
「……ご関係者ではありませんか?」
 丸山さんの怪しむ声が聞こえて、私は考える間もなく答えてしまった。
 考えるより先に口が動いていた。
「病院に行きます!」
 丸山さんはだいぶ怪しんでいたけれど、私が香くんの知人で、緊急連絡先としてマイナンバーカードを持っていてもらったのだと話すと、ひとまずは納得したようだった。
 う、嘘をついてしまった。
 だけど、それ以上に私は気になっていた。
 香くんが緊急搬送?手術?何で?電話では聞けなかったけれど、とにかく言われた病院に向かおう。丸山さんはこうもいっていた。
 『連絡のつくお電話番号がなく……』
 つまり、今香くんの元に駆けつけられる人間は私しかいないのだ。
 香くんから、ご家族の話を聞いたことがなかった。
 そして彼は、周りとの人間関係が希薄のように思えた。
 一ヶ月、何かと話す機会はあったがその会話のどれをとっても彼から家族の影を感じることは無かったのだ。
 気の所為、だろうか。気の所為だといい。まだ、連絡がつかないだけなのかもしれない。
 そう思いながらも、私は出山小崎病院に向かった。
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